第6時限目 内緒のお時間 その4
「あ、あの、片淵さん……あ、えっと、都紀子さんは……」
「はい、私です」
「……え? あの、と、都紀子さ……ん?」
「ええ。……そうですね、少し歩きましょうか」
言って少女は家から少し離れ、曲がり角までゆるりと歩き始めるから、私は脳内の奥底から、旅行かばんの底に詰め込んでしまった服を取り出すみたいに、自分の覚えている片淵さんのイメージを必死で引っ張り出しながら付いていく。
「……あの」
どこまで歩を進めるつもりか尋ねるため、私が切り出した言葉に振り返ったその少女は、頭の上で手を組んで、
「にゃはは、準にゃんにバレちゃったねえ」
私が知っている口調で、でも少し困ったような笑顔で答える。
「ほ、本当に片淵さん?」
「そうです、私が本当に片淵さんだよ、あっはっは」
笑った後、ふう、と特大の溜息を吐いて言葉を続ける。
「まあ、こんなカッコじゃびっくりするよねー」
ちょん、と摘んでヒラヒラなスカートを持ち上げる。
「え、ええ、まあ……。あ、あの、何でこんな格好と喋り方なのか、って聞いても良いですか?」
「んー、あー、まあ、そうだねえ」
「言いにくければ言わなくても大丈夫です」
言い渋る片淵さんに私がそう言うと、
「いやあ、まあ家の事情だからあまり人様に話すことじゃないなあ、なんて思ってるだけで、別に深い話じゃないんだよねー。この服装自体はピアノの発表会が近いから、その格好で実際に練習してただけなんだよ」
と答えてくれた。
「あ、ピアノやってるんですか」
「うん、そだよー。あれ、もしかして準にゃん弾いたことある?」
「ええ、というより習っていたことがあります。妹と一緒に、ですが」
「おおー、なんだお仲間だったんだねー、知らなんだ。発表会、GW明けて、テスト終わったらすぐあるんだよ。だから、あまり遊んでる暇も無くて」
「……もしかして、合宿来れないって言ってたのは……」
「ん、まあピアノの練習もあるね。後はホントにテストがヤバくてねー。今までもたまに家庭教師を頼んでたんだけど、全然アタシの成績が上がらないからすぐに先生交代してばっかりでさ。最終的には家庭教師派遣会社っていうのかな、そこからもう無理! って言われたから学校側に相談したみたいなんだよねー」
にゃっはっは、といつもの笑いを上げるから、見た目とのギャップで私の脳がやっぱり異常アラームを出しっぱなしにしている。
「で、でもいくらなんでも毎日家庭教師なんて……ほら、お金とかも凄く掛かるだろうし」
「ま、そこまでしないとアタシが大学行けないくらいにアホだからだろうねえ。一応、お母さんピアニストとして結構有名だし、お金に糸目をつけないってことなんだと思うよ」
「……え? ピアニストなの?」
単純に片淵さん自身がピアノを習っているだけだと思っていたけれど。
「そう。たまに海外まで演奏しに行ったりする程度には有名かな。後は家でピアノ教室とかやってるし。……ほら、あの張り紙」
言って、片淵さんが指差した先には、髪の長い綺麗な切れ長の目の女性が綺羅びやかな格好でピアノを弾いている写真と共に『片淵ピアノ教室』なんて書かれたポスターが貼ってあった。
「生徒さんも結構居るからそこそこお金に困ってはないみたいで、どうにかしてアタシの頭をちょーっとくらいマシにしようと頑張ってるのかも」
それだけで良くなればいいんだけどねー、と言葉を付け足しながら、片淵さんは少しだけ寂しそうな顔で言うと、突然家の門の方から甲高い女性の声がする。
「都紀子さん! 都紀子さん、何処に居るの!」
「あっ……はい! お母様!」
「え、お母様?」
私の疑問に答えず、巻き上がるスカートを押さえつけながら、ぱたぱたと少し駆け足で家に戻っていく片淵さんを慌てて私は追いかける。
家の前まで出てきた女性は、先程のポスターに映っていた女性が少しだけ落ち着いた服装で立っていた。この人が片淵さんのお母さん……。
少し吊り目気味だった片淵さんの目元を更にきつくした感じの顔つきで、身長は私ほどはないけれど、女性にしては高めの方。一言で表現すればクールビューティーという印象だけれど、クールというよりは雰囲気からただただ冷たさを感じた。
そう感じた原因は、話をしていたら直ぐに分かった。
「ああ、都紀子さん。全く、何処に……あら、そちらは?」
「申し訳ないです。こちらは私の級友の小山さんです」
「こ、小山準です……」
頭を下げると、スッと細めた目で値踏みするようにして私を頭から足元まで見る。
「貴方達が都紀子さんの学力を下げているお友達ということですか」
「……! お母様、それは違います! ただ、私が至らぬだけで……!」
母の言葉に慌てて首を横に振って必死に否定する片淵さんに、片淵さんのお母さんは「いいえ、違いません」と力強く否定する。
「貴方達のような人間と付き合うから彼女の学力が落ちるのです。さあ、都紀子さん、お友達にはさっさと帰って頂いて、早くピアノの練習に戻りなさい」
「お母様……」
有無も言わさず、家に戻ろうとした片淵さんのお母さんに、私は反射的に言葉を出していた。
「ちょっと待って下さい」
「何か申し開きでも?」
そんなことを言いながら振り返った片淵母に私はそのまま言葉を紡いでいく。
「確かに、今までは私たちと遊びに付き合っていたから片淵さんの学力が落ちていたのかもしれません。それは申し訳ないと思います。ただ、自分の娘さんへの態度は酷すぎませんか」
こちらを向く冷たい目の女性は目を鋭く細くして私を見る。
「酷いとは? 単純に話を聞く必要が無いだけでしょう。私は彼女より長く生き、海外をも知っている。それに対し、彼女はまだまだ未熟。だから、私には彼女の言葉は勘違いや思い込み、その場しのぎの感情で満ち溢れていると分かるのです。そんな彼女の言葉を聞く必要など無いでしょう?」
一切の迷いない視線と言葉に、私は心の奥底を剣山で擦られるような感覚に蝕まれた。
それが母から子への言葉だっていうの?
言うことは全て言い終わったとでも言うかのように、再度家に向かって歩き出した片淵さんのお母さんに向かって、私ははっきりと言い放った。
「じゃあ、片淵さんのお母さんの目は節穴なんですね」
「……なんですって!」




