第29時限目 出立(しゅったつ)のお時間 その11
修学旅行前夜ということで、別に誰が音頭を取ったわけでもないのだけれど、寮生が各々パジャマ姿で食堂に集まっていた。
「き、緊張して、きました」
繭ちゃんが小柄な体を椅子の上でいつも以上に縮めて言う。
「えー、普通に楽しみじゃない?」
椅子に横座りしている羽海がそう言うと、
「た、楽しみ、なんですけど、楽しみすぎて、眠れない、かもって」
ともじもじしながら答える繭ちゃん。
「同じく」
そう言った花乃亜ちゃんはテーブルの上でぐんにゃり溶けているからさほど緊張しているようには見えないけれど、それでも一応緊張している……のかな?
「何か、皆緊張しすぎじゃない? もっと気楽でいいじゃん。準だって緊張はしてないでしょ?」
「緊張とまでは言わないけど、やっぱりちょっと高揚感はあるよ」
「そんなもんかねー……ってそういえば、萌がこの時間までここに居るのって珍しくない?」
羽海に話を振られた萌は、
「まあ、そうね」
と相変わらず背筋を伸ばした綺麗な座り姿で答えた。
「お堅い委員長でも、やっぱり修学旅行はちょっと楽しみだったりする?」
茶化すような羽海にしばらく目を伏せてから考えた萌は、
「そうね……今年は少し楽しみかもしれないわ」
と少しはにかみながら答えた。
「あれ、珍しいじゃん」
「ええ。私自身、こんなこと言うのは珍しいとは思っているわ」
「萌ちゃん……」
驚いたような、それでいて嬉しそうな繭ちゃん。
繭ちゃんの反応からすると、本当に珍しいことなんだろうと思う。
「今まで、遠足とか社会科見学とか中学の修学旅行とか。とにかく、早く終わって欲しいという気持ちしかなかったわ」
「萌はあまりそういう……旅行とか出掛けるのが好きじゃなかったの?」
私が尋ねると、萌は小さく頭を振った。
「そういうわけではないわ。小さい頃に連れて行ってもらった旅行とかは楽しんでいたし。ただ、学生で集団行動……特に普段と違う環境で、比較的自由な行動が許されると、どうしてもハメを外す子たちが増えるでしょう? となったら、クラス委員長として、目を光らせないといけなくなって、楽しんでいる暇がないのよ」
その言葉に私たちは「あー……」と答えるしかなかった。
私だって、旅行とかだったらちょっと気持ちが緩んでしまうことがあるし、そもそも寮生活を始めた頃はいっぱい怒られたし……。
「最初はクラス委員……あの頃は学級委員だったかしら、あれになるつもりなんて全然なかったのよ。でも、誰もなりたがらないし、小学校の頃から眼鏡を掛けていたから、1番委員長っぽいってことだけで何となく決まって。でも、なったからには適当に放り出すわけにはいかないし」
「なるほど……」
会ったばかりの萌はちょっと真面目過ぎるとは思っていたけれど、小学校からクラスの代表をやってきていたんだなあ。
「1度委員長みたいなことをやると、中学校になっても同じクラスだった子なんかが私を推薦したりして、結局ずるずるとそういうのを続けていたわ」
そこまで話してから、1度コップを口元で傾け、喉を潤してから続けた。
「高校はこの学校に入ったらどう言われるかは分かっていたから、別の高校も受けたのだけれど……うまくいかないものね、結局入試で落ちて、滑り止めとして受けていたここに来たのよ。予想通りというか……最初は裏口入学だなんだと言われたわ」
また、私たちは「あー」と言葉が漏れた。
「そっちは……テストの順位を上げて、有無も言わせないように努力したけれど」
ふんっ、と鼻で息をしてから、萌の話はまだ続く。
「……羽海と出会ったときも人間関係が面倒くさいと思ってた頃だったから、適度に希薄な付き合いをしていたお陰でやりやすかったわね」
「なるほどねえ」
羽海が相槌を打つけれど、他の皆はただただ耳を傾ける。
「今だから分かるけれど、余裕がないっていうのはああいうことだったんだなって思うわ」
ふふっと、小さく笑う萌。
「まあ、私も何処かのお節介焼きのせいで、色々と考え方が変わったような気がするけれど」
「あー、お節介焼きねー。ホント、困ったもんだよね」
「ええ、本当に」
そう言って、萌と羽海がほぼ同時に笑う。
……まあ、はい、色々ありました。
「修学旅行の班は繭と六名さん、それに玉瀬さんなら心配はないでしょう。とはいえ、あまり私は玉瀬さんと話をしたことはないけれど……準は彼女と仲が良かったんじゃなかったかしら」
話を振られたから、私は答えた。
「仲が良いかはさておき……まあ、うん、悪い子ではないと思うよ」
「何か、言い方に含みがあるわね」
怪訝な表情の萌に、
「いや、うん、特に何もないよ。若干口が悪かったりするのはあるけれど……」
と私が苦笑しながら言う。
「……意外ね。真面目タイプかと思っていたけれど」
「真面目……かどうかは分からないけれど、少なくとも星歌とか浅葱みたいに手は焼かないと思う」
私がそう説明すると、
「ああ、彼女……大隅さんもそうだけれど、桝井さんは確か工藤さんと同じ班だったかしら? ……大変そうね」
と少し憐れんだ感じで萌が華夜を見る。
華夜が深い溜息を吐いて、微妙な空気になったから、
「と、とにかく、明日に響かないように、早めに寝ないとね」
と私が無理やり締めくくった。




