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第1時限目 初めてのお時間 その7

「いや、あのっ、ご、ごめんなさい! 決して今のはわざとじゃなくて! あ、その、悪気があったわけでもなくて! たまたま手をついた位置が悪かったというか! そもそも、飛び掛かるようなことをしてしまった時点で――」


 体面上は女性同士であることをすっかり忘れながら、目を瞑って謝り倒す私。女同士だったら普通こんなに平謝りしないと思う、と後々考えたけれど、このときは正常かどうかを判断出来る思考は脳内から逃げ出していたみたいだった。だから、そのときの状況は私にとって都合が良かったんだと思う。


 相手の反応が皆無なことに対して、薄目を開けながら転がっていた薄明かりを出している懐中電灯を拾って、ひっくり返っている人物に明かりを当てる。


「きゅぅ……」


「あ」


 懐中電灯で足元の少女の顔を照らすと、固く目を瞑ったままで、意識はここに居ないようだった。


 女の子の柔らかなところを触ってしまったこととか、ファーストキスを奪われた、いえ、奪ったというか、向こうがファーストだったかどうかは知らないけれど、とにかく唇同士を合わせてしまった経験については、彼女の記憶に残るどころか、そもそも記憶に入る前にすぽーん! と吹き飛んで学校の何処かを転がり、彷徨ってしまったかもしれないことにやや安堵したけれど、同時に別の問題がむくむくと鎌首をもたげる。


「きゅ、救急車……!」


 考えすぎかもしれないけれど、場合によっては命に関わるかもしれないこの状況。何と言っても、結構な速度で突っ込んできた人にぶつかったんだから。とりあえず、体験した私から言わせてもらうと、曲がり角でパンを咥えた女の子にぶつかるようなことがあった場合は、まず恋への発展があるかどうかの有無を確認する前に、相手の意識があるかどうかと、怪我してないかを確認する方が良いと思う。


 そして、どう見ても泥棒には見えない容姿。いや、こういう姿の泥棒も居るのかもしれないけれど、単純に見た目から想像するとこの学校の生徒であるとしか考えられない。さっき色々な状況を想定したのに何故相手が教師や生徒である場合を考えなかったのかが分からない。私の馬鹿!


「準ちゃん! 支え棒探してきたよ! 何処!?」


 ナイスタイミングというべきか、トイレの方から暗がりの廊下に向かって、先生の声が転がり込んでくる。


「あ、先生! こっちです! 救急車!」


「早く出ないと……え、救急車? アタシは救急車じゃないよ?」


「知ってます! 小学生ですか!」


 懐中電灯の光量フルパワー状態で現れた先生は、何処から持ってきたのか支え棒という名のモップを、長槍のように右肩に掛けるように抱えて現れた。先生というよりは、不良上がりの新人OLがお礼参りに来た、っていうのはいくらなんでも可哀想だけど、少なくともお掃除しに来た風には見えなかった。


 って今更だけれど、モップだったらトイレの掃除用具にもあったんじゃないかな。


「どったの?」


「この子が……」


「ん? ……おや、女の子が倒れてる?」


 そう言いながら、咲野先生は足元の女の子に懐中電灯の明かりを向ける。その明かりで、徐々に少女の姿が顕になる。


 少し乱れてしまっているけれど、髪を真ん中分けにした肩より少し長いストレートの黒髪で、床の上で吹き流したように広がっている。前髪の両端を別の形の髪留めで崩れないように留めていて、この少し冷える学校内にずっと居た上に急に走ったからなのか、色白い頬が赤みがかっている。細く長い眉はハの字に歪められており、苦しそうに息をしているのが見える。


 服装は、少し薄い桜色のカーディガンに少し肩の透けた白のレースブラウス、アイボリーのフレアスカート。なんか春らしくていいけれど、学校の校舎ではさすがにちょっと寒いんじゃないかな、なんて今考える必要のないことを考えてしまって、慌てて意識を少女の状態を観察する方に意識を戻す。


 呼吸をしていることは胸の上下で確認は出来るけれど、頭をぶつけたか、足を捻ったか、なんてことは医者でも何でもないから分からない。だから、大丈夫であるかもしれないけれど、大丈夫である保証はない。


「正木さんじゃない」


「ご存知なんですか?」


「ご存知、というかアタシのクラスの生徒だよ」


「え……」


 ということは、自分のクラスメイトを突き飛ばした、というか抱きついたということ? いや、抱きついたどころか……!


「どったの?」


 心の中で大量の冷や汗を掻きながら、私は全力で両手を左右に振る。


「い、いえ……とりあえず、彼女、さっき私が言っていた玄関の方からした音の正体だと思います。ついでに、おそらく先生がトイレの扉が開いてたと言っていた犯人でもあるかもしれません」


「ほむほむ。で、何で倒れてるの?」


「……えっと、先生がトイレから飛び出した後、トイレに駆け込んできたので、逃げられないように咄嗟に掴みかかろうとしたら……えっと、ぶつかって倒れました」


 細かいところは誤魔化す。正確に伝えてないだけだから! 嘘は言っていないから!


「ちょっ、準ちゃん! なんて危ないことしたの! 怪我したらどうすんの!」


「……すみません」


「と、とりあえず確かに救急車がっ……あ、でもこの時間、ここで救急車呼ぶのは……ううむ」


「でも先生! そんなこと言ってる暇は……!」


 暗がりの学校内だということも忘れて、私は思わず大声で先生に詰め寄ってから、よく考えれば自分自身が悪いんだから自分で解決すべきだと、スカートのポケットに入っていた携帯電話を取り出そうとした私の手は、ひんやりした何かによって絡め取られた。


 それはまるで、この世のものではない存在が、形式上では”彼女を押し倒した”ことになっている私を責め立てているかのように。


「大丈夫にゃ。倒れたときに頭も打ってないし、倒れたショックで気絶してるだけにゃ」


「っっっっっっっ!」


 絶句する、というのを人生初体験することになった。人って、本当に驚きすぎると声が出なくなるものなんですね。


 ギリギリギリ、と何十年と使っていない歯車式時計が動き出したような動きで振り返ると、背後には私の胸元くらいの身長から私を見上げる色白の少女。


 ああ。


 倒れた彼女、正木さんは死んでしまっていて、絶対に許さない! と霊として現れたのかもしれない。


 ……って、いやいやいや! まだ彼女は生きてる、息してるから! 勝手に殺しちゃ駄目だから!


 じゃあ生霊? 怨霊になって、私に取り憑いた?


 私の精神がネガティブ方面の下り坂を絶賛驀進中な状態であることも何のその、私の脇に立っていた生気を感じない、幼女とも言えるくらいの少女は床に倒れこんでいる私のクラスメイトを徐ろに指差す。


「保健室まで運ぶにゃ」


「……え?」


「そこに転がってる正木 紀子を保健室まで運ぶにゃあ。坂本先生、呼んでやるにゃ」


 そう言って、トイレとは逆方向、玄関の方へ歩を進めた幽霊風少女。耳から入った言葉を私は脳内で言葉と意味と語尾を反芻して、ようやく意味を理解出来た頃には数秒の時間が失われていた気がする。


「………………あ、ああ、はい」


 にゃ? って猫?


 思考回路が突然のことで何箇所から火を吹いている状態のまま、言われるがままに私が眠れる学校の美少女を抱えようとしたとき、


「あれ、美夜子みやこ。地下室から出てくるなんて珍しいね」


 との言葉と共に、咲野先生に懐中電灯を向けられた幽霊じみた少女は、足を止めて深い溜息と共に振り返った。


「美夜子じゃないにゃ、みゃーはみゃーにゃ。いいからさっさとするにゃ、小山 準。後、眩しいからこっちに懐中電灯向けるんじゃないにゃ」


 懐中電灯に照らされて不機嫌そうにそう言い放った少女の頭には、黒猫の耳が付いていた。


2016/8/19 文章見直し

相手の容姿を見て、泥棒ではなく生徒だと推測する内容辺りを追加しました。

後は非常に細々とした部分の修正です。今回はあまり大きな修正は無いですね。

推敲してから投稿しているはずなのに、それなりに修正箇所があるだけでもおかしい気もしますが……。


2018/12/16 文章追記

「って今更だけれど、モップだったらトイレの掃除用具にもあったんじゃないかな。」


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