第4時限目 変化のお時間 その10
坂本先生もみゃーちゃんを追わない様子を見ると、同じく今はそっとしておこうという考えのようだった。
「……とりあえず、桜乃さんは大丈夫みたいです」
「良かった……」
聴診器を机の上に置いて、傍の椅子に座る。
「それにしても……本当に犯人は吸血鬼なんでしょうか?」
私が隣の椅子に座ると、坂本先生は不思議そうな表情を隠さずに言うから、私も霞みたいに脳内で蠢く言い知れないもやもやを吐き出す。
「うーん……正直なところ、吸血鬼という存在自体が私も疑問で……」
そう切り出すと、坂本先生は「それもあるんですが……」と私の言葉を遮った。
「どちらかと言うともし吸血鬼が原因なら血を吸われた被害者の桜乃さんも吸血鬼になっていないとおかしい気がするんです」
「……ああ、そういえば……」
みゃーちゃんとそんな話はしたけれど、その時は吸血鬼に血を吸われても吸血鬼にならない人が居るのかも、とくらいの話しかしていなかった。そもそも吸血被害に生徒が遭っている割に、吸血鬼になって学校内で暴れまわっている、なんて噂は聞かないから、良く考えてみると坂本先生が言うように、やっぱりおかしな話だと思う。
「私、あまりそういう話には詳しくなかったんですが、あまりに話題になるので調べてみたんですよ。そしたら、吸血鬼は夜間行動することが多いとか、吸血鬼に吸われた人間は吸血鬼になってしまうとかいう話が書いてあったのを見て、本当は吸血鬼ではないのかもしれないと思ったりするんです」
確かに吸血鬼が居るかどうか、という疑問が大前提にあるのだけれど、今まで岩崎さんたちの話を聞いたりしても、自分の知っている吸血鬼というイメージ像と今回の吸血鬼が「ボールと月はどっちも丸いから同じものです!」と言っているような違和感がある。だから、坂本先生が言いたいことは何となく理解できるのだけど、じゃあ誰が犯人なのだろう、との当然入れ替わりで出てくる疑問は解決出来ていないから、暫定的に犯人は吸血鬼と言うしかないのかなあとも思う。
「でも、先程も言った通り、この件にはあまり首を突っ込まない方が良いです。小山さんも転校してきたばかりで、こんなことに巻き込まれて怪我して欲しくないですから」
「そうですね……」
先生の言葉に、やはり1人の姿が脳裏に過りながら、それでもその意識を振り払おうと犬が落ち着くためにするように頭を振ると、
「うっ……あ、ここは……?」
ベッドの方から小さく女の子の呻き声がした。
「あ、桜乃さん、気が付きました?」
目を瞬かせていた桜乃さんに坂本先生が駆け寄り、前に私と正木さんが正面衝突事故を起こしたときのように、指が何本に見えるかなど質問して、
「うん、問題無さそうですね」
と満足と安心を兼ね備えた顔で桜乃さんと私を見た。
「先生、ありがとうございます。……ああ、すまない。小山さんも居たんだね」
「ええ。体の方は大丈夫ですか?」
「倒れたときに擦った痛みだと思うけれど、少しだけ痛みはあるね。後は少し頭がぼーっとする以外は特には問題無さそうだね」
多分、傷とか痛みの1つに工藤さんが頑張って保健室へ担ごうとしたときにゴリゴリしちゃった傷も入っているんだろうと思ったけれど、それは言わないことにした。
「そうですか、良かった。……じゃあ、今日は――」
「私が倒れたことで、吸血鬼調査に何か進展があったかい?」
「……え?」
私の疑問符に、桜乃さんはベッドの縁に座って笑う。
「いや何、保健室に居るということは、おそらく私は吸血鬼に襲われたんだろう?」
「……え、ええ、確証は無いですが、吸血鬼のものと思われる被害に遭っていますね」
「つまり、狙った通りだった訳だ。それで、何か吸血鬼調査を進められたか、教えて欲しいんだ」
「…………いえ、それがカメラには何も写っていなくて、ほとんど進んでいません」
申し訳なさそうに私がそう言うけれど、特段気にした様子のない桜乃さんは軽く笑いながら言った。
「そうか。もしかすると、本当に吸血鬼はカメラに映らないのかもしれないな。そうしたら本当にお手上げだが……色々やってみるしかないな」
そう言って、スリッパに履いて立ち上がる桜乃さんに、台風のように渦巻く風が私の心を吹き抜けていった気がした。
「色々……ってまさか今から!?」
「ああ。さっき被害に遭ったばかりなのだとしたら、まだ近くに居るだろう」
「駄目ですよ! そんなこと教師として……いえ、1人の人間として見過ごせません!」
黙って私たちの話を聞いていた坂本先生がむっ、として立ち上がる。
「大丈夫です、坂本先生。吸血鬼被害は転んだとか倒れ込んだときのちょっとした怪我だけで、生命の危機に関わるような怪我はしないですから」
「そ、そういう問題ではないのですよ、桜乃さん」
「いいえ」
坂本先生の言葉に明確な反対の意志を以て首を振り、桜乃さんが言葉を続ける。
「ボクの体はボクが1番良く分かっています。まあ、大丈夫ですよ。まあ、新しいことを知るのには多少の犠牲は付き物ですし、少々傷ついてでも本当のことを調べれられれば――」
パァン!
乾いた音が保健室に響いて、目の前の桜乃さんと坂本先生の驚く表情が目に飛び込んできた。同時に、私は自分の右手がじんとしびれた感覚があり、視線を落とした先の手の赤さと同じくらいに桜乃さんの左頬が赤くなっているのが見えて、ああ自分は我慢が抑えられなかったんだと初めて気づいた。
「こ、小山さん、何を……」
「ふざけたこと言わないで!」
1度壊れた器は中身を全て出してしまわなければ、綺麗に整えることすら出来ない。だから、私は声を荒らげて全てをひっくり返すことにした。
「少々傷ついてでも? 確かに貴女はそれで気が済むかもしれない。ううん、今回駄目でも次、更に次で少しでも何か分かれば、って思うのかもしれない。でも周りの人は? 親やクラスメイト、先生たちは? 皆を無視して、自分だけが満足すればいいと言うの?」
「え、あ、いや……」
しどろもどろの桜乃さんが怯えた表情をしているのは脳で理解できていても、私自身の行動は止められない。ブレーキを掛けようとしても、タイヤから外れていれば止めることが出来ないのと同じで、私の心がやり過ぎないでと警報を出しても、体を制御出来ていない。
「何故、周りが身を案じて、引き止めてくれているのに当たり前のように無視するの? そんなことをして、もし吸血鬼が捕まったとして、誰が喜ぶと思うの!?」
「こ、小山さん、ちょっと」
「馬鹿にしないでよ! 確かに桜乃さんと私は出会って大して時間も経っていないけれど、だからってどうでも良いとか、桜乃さんが傷付いてでも吸血鬼が捕まえられればなんて思ってない!」
「あ、ああ……」
「……もっと考え直して……欲しい」
いつの間にか私は桜乃さんの両肩を強く握っていて、ようやく出し切った言葉と共に手も少し緩んだ。
「…………ごめんなさい。少し熱くなりすぎました」
「いや…………良いよ。あ、あはは、正直なところ、ボクもここまで言われたことなんて無かったから、その、少し恥ずかしいな」
泣き笑いみたいな表情で、桜乃さんが私を見上げて、そのままベッドに座り込んだ。




