第3時限目 日常のお時間 その18
岩崎さんを残して、脱兎の如く消え去った妹を追いかける訳にもいかず、というか追いかけようにも何処に行ったか分からないので、私は追跡をさっさと諦めて、岩崎さんを促す。
「正木さんの家、行きましょうか」
「う、うん……」
やや納得のいかない表情のままの岩崎さんと並んで正木さんの家に向かう。ごめんなさい、岩崎さん。詳しい話は出来ないんです。まあ、色々とあって。
「あ、来た来た。準にゃんたち遅いぞー」
「小山さん、真帆ー」
手を振っている片淵さん、正木さんに手を振り返しながら、私と岩崎さんは正木家に到着。家の前には既にペット用のトイレやペットシーツが並べて置いてあった。
「ああ、すみません、正木さん、片淵さん、お待たせしました」
「いえいえ、さっきお母さんと帰ってきたばかりですから」
そう言って、脇に立つ女性に顔を向けた正木さん。その女性は正木さんの面影……というか、その女性の面影が正木さんにほんのりと感じられた。目元とか髪の綺麗さとか……後は、その、スタイルとか。
正木さんから可愛さを少し減らした分だけ色っぽさを充填したその女性は、
「ああ、貴女が小山さん?」
と笑顔で笑いかけてくるから、私は背筋を伸ばして答える。
「は、はい!」
自分自身で思うけれど、私は綺麗な年上の女性に弱いのかな……? 何だかいつもドギマギしてる気がする。とりあえず、変なところでバレないように気を付けないと。
「うふふ、紀子がいつもお世話になっています。紀子の母です」
「こ、小山準です。今回はお手数お掛けしました」
「小山……準?」
私の短い自己紹介に対し、少し疑問のトーンを丸め込んだ声で正木さんのお母さんがたおやかな動きで、後頭部辺りでアップにした髪を揺らしながら首を傾げる。
「あ、えっと、はい」
「あ、ああ、ごめんなさい。同じ名字の知り合いに似た名前の子が居たから。……良く良く考えたら名前どころか、性別も違ったわ。お恥ずかしい限りね」
「い、いえいえ」
性別、と言われると私も少しどきり、と心の臓が爪を出さない猫パンチを受けたくらいには驚いてしまうけれど、とりあえず正木さんのお母さんの中で何か自己解決したようだから良かった。
「それで、小山さんの家は寮なのね?」
「はい。正木さんと同じ、すぐそこの学校です……と言っても寮までは少し遠いですが」
「直接車で中まで入って良いのであれば、直接寮まで持っていくのだけど……持っていける? 大丈夫?」
「うん、お母さん。皆で運べば大丈夫だから」
正木さんが笑顔で答えてくれる。
「まー、4人も居るしねー。んじゃあ、準にゃんのにゃんこちゃんが待つにゃんにゃんハウスへれっつごー」
「おー」
にゃんにゃんハウスという響きはちょっと、と思ったけれど、案外皆反応していないから、私も反応しないことに決めた。何に反応したかなんて言わないからね!
私は1番大きい荷物の猫用トイレの箱を抱えて歩き出してから、まるで光線銃を脳内に受けたみたいにはっとして、家に入ろうとした正木さんのお母さんを慌てて呼び止める。
「あ、あのっ」
「あら、何かしら?」
「お金を払っていなかったので……」
荷物を下ろして、慌ててスカートのポケットから財布を出そうとしたら、正木さんのお母さんが私の手をそっと押さえた。
「ああ、良いですよ。大したものではありませんし、トイレなど一部はミケちゃん用に買っていて、結局使わなかったものですから。ああ、良ければキャットタワーも小さいものであればありますが、ちょっと持ち運びが……」
「い、いえ、大丈夫です! そもそも、一時的に部屋に連れて行くだけですから!」
もし、長期的に飼うつもりであれば、確かにキャットタワーとか遊び道具も充実させる必要があるかもしれないけれど、今貰ったものだけで十分過ぎる。
「そぉ? また必要なものがあれば言ってくださいね」
そう言って笑ってから、正木さんのお母さんは私に耳打ちした。
「うちの娘、ちょっと鈍くさいから中々友達が出来なくて……最近は岩崎さんや片淵さんと一緒に、貴女の名前も良く聞くようになって、私としては少し嬉しいの。これからも仲良くして頂戴ね」
「は、はい、分かりました。こちらこそ、よろしくお願いします」
正木さんのお母さんに一礼してから、私は待っててくれた3人に並んで再度ダンボールを運ぶ。
「しかし、これだけ揃ったらしばらくどころか、よいしょっと、ホントずっと飼ってても大丈夫なんじゃない?」
岩崎さんが荷物を抱え直しながら笑う。
「確かにそうかもしれないです」
「でも、どうだろうねー。確かにものは揃ったかもしれないけど、学校に行ってる間、猫ちゃんは放置しっぱなしだよ? そうすると、猫ちゃん可哀想じゃないかな。構ってくれる人も居ないしねー」
「うちのテオもそうですが、猫はまあ、放っておいても自分で遊んだりしてくれるので大丈夫だと思います。どちらかというと、コードとかを勝手に囓ったり、壁を引っ掻いたりする不安の方が……」
実家でテオを飼っていたときも、お父さんとお母さんが仕事に出ているときは猫用のケージに入れておいて、私が帰ってきたらケージから出してあげる、というのが日常だった。
まあ、両親どちらも仕事が忙しいときはそもそも家に帰ってこない日があったり、夜遅くにようやく帰ってくることも多かったから、基本的には私が常に面倒を見ていたけれど、それでもお母さんなんかはきっちりテオの躾をしてくれていたから、あまりテオも無駄噛みや本を破くことは減った。
ただ、それでも稀にコードを囓ったり、本を破ったりすることがあったから、やはり心配かな。正木さんのお母さんが持たせてくれた荷物に少し小さいケージがあるから、やっぱり昼の間は閉じ込めておくしか無いかなあ。




