第18時限目 夜闇(やあん)のお時間 その15
「もうすぐだねー」
「さっきから、もうすぐって何度も聞いてるけど、どのくらいよ……」
辟易してきた様子を隠さない真帆に、
「お祖母様……いや、おばあちゃんが言ってた分かれ道はもうすぐ……あ、ほらあの辺りさー」
都紀子が山道の少し先を指し示す。
私たちが視線をそこに向けると、目を凝らせば辛うじてほんのりと明かりが灯っているのが分かるくらいの、心許ない光が見えた。
この山の中、唯一ではないかと思われる光の下に私たちが辿り着くと、それは古びた傘が掛けてあるだけの裸電球だった。
むしろ、先頭を歩いている都紀子の懐中電灯とか、私たちが使っている携帯電話の照明機能の方がよっぽど明るいまである。
……いや、こういう電灯の方が暗いのは普通かもしれないけれど。
『あ……』
その明かりを見て、脳内で声がした。
「ん?」
そして、その声に、無意識に私が声を発してしまったから、
「ちょっと準! 突然声出さないでよ! 何か見つけたとか、変なこと言わないよね?」
と言った真帆含め、3人の視線が集中する。
「あ、ごめん。えっと……」
ご、誤魔化そう。
「何でこんなところに電灯があるのかなってちょっと不思議に思ったんだけど、よく見たら案内板があったんだなって」
工事の看板のような自立タイプの案内板が置いてあって、明かりはどうやらそれを照らしているようだった。
私の言葉に、ちょっとほっとした表情の都紀子が説明してくれた。
「そうなんだよねー。ここ、どっちからでも基本的に行けるんだけど、さっきおばあちゃんが言ってたみたいに、たまに片方からしか行けないときがあってねー……ってあれ?」
説明していた都紀子が、掲示板を見ながら首を傾げた。
「どうしたの? まさか、今度は都紀子が……」
「いやいや、そうじゃなくてねー。おばあちゃんが、左側が通行止めだったって言ってたんだけど、通行止め表示が無くてねー。普通なら通行止め表示があるんだけど……うーん、もしかして見間違えたのかねー?」
都紀子が言う通り、案内板には通行禁止の表記は見当たらない。
「でも、確か温泉の番台さんから電話があったって言ってなかったですか?」
呼吸を整えた正木さんがそう言った。
「そうだよねー? うーん……まあとりあえず、右側に行こうかねー」
「ういー。まあ、温泉まで辿り着くならどっちでも良いよ。早く入らないと結構汗だくになってきたし」
そう言いつつ、薄いTシャツ1枚姿の真帆が胸元を大きく開けて、空気を送り込みながら言う。
……薄明かりしかないから、その動作だけが見えるだけではあるけれど、実際に何かが見えたわけじゃないから大丈夫だよ!
いや、一体何が大丈夫なのかと……あ、それよりも。
「とにかく、こっちを右に行けばもうすぐだよー」
「だから、もうすぐばっかり……まあ、何言ったって歩くしかないか。紀子、もうちょっと頑張れる?」
「……う、うん。頑張ってみる……」
正木さんも結構へろへろだけれど、なんとか笑顔を見せている。
「おっし、じゃあ頑張ろー」
そう言って、先頭を歩き出す都紀子に続いて、真帆、正木さん、そして私の順で進んでいく。
私が殿なのは、1番体力的に心配な正木さんのフォローが出来るように、ということだったりするけれど、隣に居る真帆が助けてあげているから、今の私はその様子を見守るだけという状況。
だからこそ、私はそっと心の中に問いかける。
マリアさん、何かありました?
『あ、えっと……』
私の言葉に、私の中にいるマリアさんが反応した。
『ここ、ミオボえがあって』
見覚え、ですか。
まあ、温泉に行こうとしたことがあるのであれば、道に見覚えはあるかもしれないけれど。
あ、でも――
『……もうスコしススんで、ミギのホウ』
私が言われた通り、少し歩を進めてから右手方向を見ると、木製の柵が途切れているところがあって、そこにはトラロープが繋がれていた。
あのトラロープのところですか?
『トラロープ?』
あ、えっと、あそこにぶらさがってる黄色と黒のロープです。
『ああ、はい。そこです……』
……まさか。
少しだけの沈黙があって、脳内でゆっくりと声がした。
『そこは、ワタシの、サイゴのバショです』
……。
慰める言葉も、励ます言葉も、何も思いつかなかった。
言っても、亡くなったマリアさんにとっては空虚だろうから。
私が足を止めてトラロープを見ていると、
「準、やっぱり、何かあったとか」
真帆が不安そうに声を掛けてきた。
「あ、いや、そうじゃなくて。こんなところにトラロープ張ってあるのが気になって」
私の言葉に、少し先行していた都紀子が戻ってきて、ちょっと悲しげな表情で説明してくれた。
「あー、あれは結構昔に亡くなった人が居たらしくてねー。でも、しっかりした柵を作るほどの交通量もないから、トラロープだけ掛けてあるらしいよー」
「……なるほど」
「多分、残ってる柵も脆くなってるだろうから、触らないようにねー」
再び柵に視線を向けると、柵の根本に小さな牛乳瓶が置いてあり、そこにはオレンジ色の花が挿してあった。
何の花だろう。
『マリーゴールド……』
え、何ですか?
『あの花、私の大事な人が、私の名前と同じだからって大事にしてくれていた花なんです』
マリーゴールド……もしかして、名前からしてマリー……つまり聖母マリアの金色の花って意味なのかな?
「準、行くよー」
「あ、うん。ごめん、すぐに行くよ」
私はそう言って、先に行った都紀子たちを追って進み。
……まだ、マリアさんのことを、忘れていない人が居るのかもしれませんね。
『…………はい』
姿は見えないけれど、少しだけ声が震えていた。




