第3時限目 日常のお時間 その14
「おーい、小山さん?」
「え? あ、はい、ごめんなさい」
「何か悩み事?」
「あ、ああ、大丈夫です。あの、テオのことをどうしようかなって悩んでただけなので」
誤魔化して私は言う。こうやってすぐに思い悩む癖、早く止めないと。
「まあ、なるようにしかならないよねー」
「ええ、そうですね」
苦笑いを貼り付けたまま寮の近くに戻ってくると、
「あ、いい匂い」
煮物か何かのような醤油ベースの匂いが鼻腔をくすぐった。
「ホントだ。何だろう……夕飯の準備中とか?」
「かもしれないですね」
そういえば、太田さんが寮の食事は益田さんが作っていると言っていた気がする。
……そう、あの益田さんが。
正直なところ、未だにあの話を信用していない。だってあの初日にあれだけはっちゃけていた益田さんだからね。
スクープを狙う新聞記者の心持ちで、私はテオを頭に乗せたまま寮の扉を開け、岩崎さんと共にスリッパに履き替えて食堂へ向かう。と、古びた学生寮『菖蒲園』の台所で記者・小山準が見たものは!
「おや、おかえり」
益田さんがラフな恰好の上にエプロン姿、更に三角巾まで被って厨房に立っていた。なんと、あの噂は本当だった!
「すまない、まだ夕食は出来ていないんだ。後15分くらい待ってもらえれば終わると思うんだが」
ちらり、とこちらに柔らかな笑顔と共に視線をわずかに寄越してから、また手元に視線を落とす益田さんに、私は、
「あ、いえ、そうではなくて……」
と慌てて両手を左右に振り、その振動で振り落とされそうになったテオを慌てて掴む。その様子に、再度私に視線を合わせた益田さんが目を瞬かせた。
「おや、その頭に乗っているのは? ……ふむ、5分ほど待ってくれればキリがつく」
「あ、はい。待ちます」
「待ちまーす」
何故か1人納得してからそう言ったので、私と岩崎さんは素直に頷いた。
私と岩崎さんは椅子に座って、テオは少し首が疲れてきたから膝の上に乗せて撫でていると、約束の5分もしない内に益田さんがテーブルの向かいの席に座るなり口を開いた。
「待たせたな。それで、要件はそのキミの膝の上に居る子のことか?」
「は、はい」
益田さんに見えるように抱き上げると、すっと益田さんの目が細くなったため、何か言われると思った私はぴくん! と小さく震えて答えた。うう、やっぱりまずいかな。
視線が変わらず厳しいものに見える益田さんはじっとテオの方を見て尋ねる。
「種類はアメリカンショートヘアーか?」
「えっ、あっ、いえ、この子は雑種です。親がアメリカンショートヘアーの血が濃かったのか、見た目はほとんどアメリカンショートヘアーですが」
「ふむ。私は実家では犬しか飼っていなかったから、猫の種類は良く分からないが、それでもアメリカンショートヘアーくらいなら分かるぞ。それで、その子をこの寮で飼いたいと言うことか?」
「飼うというほどではないですが……あの、この猫、実家の猫なんです」
「ほう?」
机の陰で見えないけれど、1度体を反らしてから益田さんが言う。多分、足を組み替えたんじゃないかな。
「何故か家からこちらに来てしまったみたいなので、実家に返そうと思うんです。ただ、ちょっと今は実家の方が立て込んでるみたいで、迎えに来れないと連絡があったんです」
「ふむ」
「なので……えっと、寮でしばらく預かっておきたいんですが……駄目でしょうか?」
「そうだな……」
少し悩む様子を見せた益田さんが言う。
「彼? 彼女? オスなのかメスなのか知らないが、その子はうちの学校の生徒か?」
「…………はい?」
私と岩崎さんは2人で顔を見合わせて、首を傾げた。
「えっと、どういうことですか?」
私よりも先に、岩崎さんが疑問を呈する。
「この寮に入るということは、この学校の生徒でなければならない。だから、その膝の上の猫が学校の生徒でなければ、寮に住むことは出来ないわけだ」
「……飼わせないなら、飼わせないって素直に言えばいいのに」
ぼそり、と岩崎さんが益田さんから視線を外して言う。言いたいことは分かるけれど。
「い、岩崎さん……」
「だってそうじゃん!」
「私は別に飼わせないとは言っていない」
「だったら!」
目を伏せてさらりと言う益田さんに食って掛かるような岩崎さん。そのいきり立った様子を流し目で見て、あっはっはと大声で笑う益田さんは、胸ポケットから折りたたんだ紙を取り出して私たちに見せる。その紙に書かれていたのは――
「えっと……『ペット入学申請書』? これ、なんですか?」
「名前の通り、ペット専用の入学申請書だ」
「……えっ」
頭の中で言葉が処理しきれず、私と岩崎さんは再度顔を見合わせてしまう。ペット専用?
「どういうこと、ですか?」
ここのところ増産続きで、製造課長が過労死しそうな頭の中の疑問符製造工場に、私が再度疑問符を大量発注しながら言うと、まだ笑い続けながら益田さんが言う。
「その猫は我が校の生徒ではない。だから寮には住めない。だったら生徒にしてしまえば良い。それだけのことだ」
「それだけのことって……理屈は確かにそうなのかもしれませんが」
「いやあ、私もこれをまた使うことになるとは思わなかったが」
くすくすと笑い声を止めない益田さんは続けながら、髪を纏めていた三角巾を外す。
「実はな、これは美夜子……ああ、美夜子のことは小山さんは知っているだろう。隣の……キミは知っているか?」
「岩崎です」
「岩崎さんか、なるほど覚えておこう。岩崎さんは知っているか?」
「知ってます。あの猫耳着けた小さい子のことですよね。地下室に住んでるっていう」
岩崎さんの言葉にそうだ、と頷く益田さん。やっぱりみゃーちゃんのことって結構皆知っているんだ。
「彼女、美夜子が飼っている猫が居てね。確か黒猫だったか。家から出て来るときにその猫を連れてきたのだが、当然最初は寮も学校内も猫の飼育は禁止だった。だから、彼女が猫を飼いたいと言ったとき、私も真雪……太田理事長も駄目だと首を振った。でも、彼女は諦めず、翌日に『確かにペットの猫なら飼っちゃ駄目かも知れないけど、この子はこの学校の生徒だから』と言いながら、この紙を差し出してきてね」
「へえ……」
あのみゃーちゃんがそんなことを……?
それだけ、その猫ちゃんのことを大切にしているっていうことなのかな。
「今でも思い出すよ、あの娘の真剣な目。もちろん、本来はそんな紙に何の意味もないが、あまりに真剣だったからか太田理事長がそこまで言うのであれば、と折れてね。全く、太田理事長の甘やかしには困ったもんだったが……くくっ、でもそのお陰で飼っていた猫は晴れて生徒として迎え入れられ、学校内で飼われることになったということだ」
「そんなことが」
「まあ、彼女だけ特例的に許可するというのは不公平だということで、同じくペットを飼いたいという人間が居たら、同じようにこの紙を出すように理事長から言われていたから、これをキミに渡そう。ちゃんと記入すれば、その猫を一時的でも永続的でも飼って構わない」




