第3時限目 日常のお時間 その11
「こっちも迷子さんかな?」
「……」
紫色の首輪。灰色ベースに黒の縞模様で、尻尾の先が真っ黒になっている鍵尻尾。小さい体。目の前の迷子猫には強烈な見覚えがあった。
「テオ?」
「ん? 準にゃん、どうしたの?」
「あ、いえ、もしかすると……ですが、うちの実家の猫かもしれないと思いまして」
「うそん!? 準ちゃんハウスってここから近いの?」
「いえ、近くはないです。近くはないですが……脱走してきたのかな?」
試しに名前を呼んでみよう。もしかすると、見た目が似ているだけかもしれない。
「テオ、おいでテオ」
名付け親は妹。『テオドール』という名前だったけれど、全部呼ぶと長いので皆略して『テオ』と呼んでいた。名前の由来は確か、妹が見ていたアニメのキャラからだったと思う。
「にゃあ、にゃあ」
名前を呼ばれた猫は更に鳴き声はエスカレートして、アメショの猫は私の足元ですりすりしながら足の周りを回る。ああ、これは間違いなくうちの甘えん坊さんだ。
「テオ、どうしてこんなところに居るの?」
「にゃあ」
テオを顔の高さまで抱き上げて聞く。もちろん、人間の言葉を喋るわけでもないから、聞いたところで仕方がないのだけれど、動物を飼っていたら誰でも犬とか猫に話し掛けるのは誰でもあると思う。
……あるよね?
「本当に準ちゃんの実家の猫ちゃんだったんだねー……っておや?」
テオに向かって人差し指を振り振り、じゃれてこないかと構ってちゃん状態だった片淵さんは視線を別のところに置いて、不思議そうな声を上げた。
「どうしました?」
「紀子ちんの家の三毛猫ちゃん、こっち来たよ」
片淵さんの言葉に私も三毛猫ちゃんの方を向くと、私が抱き上げたテオに興味があるのか、それとも自分のテリトリーを荒らされたと思って怒りに来たのかは分からないけれど、確かに三毛猫がこちらに歩いてくるのが見える。
私の足元まで後数歩といったところで足を止め、明後日の方を向いて座り込む三毛猫ちゃん。尻尾をゆっくりと動かしながら、たまにチラッとこちらを見る様子からして、怒っているとかいうよりは興味無いフリしてこちらに興味津々なんじゃないかなと思う。
「えーっと……」
「にゃっはっは。これは準にゃん、猫にモテモテの予感?」
「この子……テオが気になっているんだと思いますよ」
「いやいやー。実は準にゃんが猫を呼び寄せる匂いでも出してるんじゃないかなあ、にゃんともニャンダフル! なっはっは」
片淵さんの笑いのツボと三毛猫のチラ見に気を取られていたら、膝の上でゴロゴロ喉を鳴らしていたテオが肩の上に乗り、更に上を目指そうとこめかみの辺りに前足を伸ばしてきた。
「ん? あー、はいはいちょっと待ってね」
テオにそう言いながら、私はテオを抱き上げて頭の上に乗せる。
「おー? 何、猫かぶり?」
「響きがちょっと……」
「んじゃあ、これが所謂”ず”に乗るっていうやつかな!」
「それは頭ではなく、図画工作の図です」
「あっはっは、そうだったそうだった。まーでも、頭に乗るなんて変わった猫ちゃんだねえ」
「ええ、まあ良く言われます」
テオが子猫の頃から妹が私の頭の上にテオを良く乗せ、写真を撮っていたり、その上で猫じゃらしで遊んであげたりしていたら、テオの定位置が私の頭の上になってしまった。未だにたまに甘えたいときにはこうやって頭に乗りたがるから、乗せてあげることにしている。
普通の成猫よりも一回りくらい小さいから重いながらもまだ頭に乗せられるけれど、これが普通の猫のサイズだったら私の首はとっくの昔に折れていたかも。または折れない代わりに私の首が丸太みたいに太くなっていたかな。
「にゃあ」
乗ったテオは満足そうに鳴いて尻尾を大きくゆっくりと振り始めた。ん、機嫌良さそう。たまに尻尾が首筋に当たってくすぐったいけれど。
そんな天上人ならぬ天上猫になったテオの尻尾に興味を持ったらしく、三色猫ちゃんは私の座っているベンチの横、片淵さんが座っている方向とは逆側の狭い隙間に飛び乗って、視界の中で振り子のように揺れる灰色と黒の尻尾を必死に目で追っていた。
どうやらテオもテオで三毛猫ちゃんに気づいたようで、自分の尻尾に夢中な下界の猫ちゃんの方を向くと、猫が西向きゃ尾は東、当然の如くテオの尻尾は三毛猫ちゃんの視界から消えることになったのだけど、三毛猫ちゃんは逃げずに私を見上げた。頭の上のテオフェイスを見上げているだけかもしれないし、本当に私を見ているのかもしれないけれど、とりあえず尻尾の動きはゆったり。怒ってはないみたい。
私は慎重に両手を差し出して三毛猫ちゃんを両脇から抱き上げたけれど、全く暴れ出さなかった。うーん、あっさり捕まってくれたってことは、単純に構ってほしかっただけなのかな? それともお腹が減ったのかな?
……それとも本当に片淵さんが言うみたいに謎の猫まっしぐらフェロモンみたいなものを出しているからじっとしてくれているとか。そういえば、みゃーちゃんのノワールちゃんも懐いてくれたし、もしかすると本当に?
「小山さーん」
とりあえず、テオを落とさないように気を付けつつ、三毛猫ちゃんを胸に抱き留めると、全力で振り回している鈴の音みたいな声が、ホームベースに突っ込んでくる三塁ランナーくらいの勢いで飛んできた。
「み、ミケちゃんは……あ、あれ?」
ヘトヘトな正木さんと少し余裕のありそうな岩崎さんが私の頭の上の猫と胸に抱いている猫を交互に見ながら、同時に疑問符を浮かべた。




