第16時限目 勇気のお時間 その16
「で、救急車で病院に運ばれてきたと思ったら、捻挫と擦り傷だけだって?」
「うん……」
病院のベッドの上で、上半身だけ起こした私がそう言うと、目の前の女性は深く溜息を吐いた。
「全く、心配させて……」
「ごめん」
「いや、まあ何ともなかったのは良かったけどさ。母さん、結構心配したんだからね」
私の母、小山 夏海が背もたれのない椅子に背を預けようとして「うわわおぉっ……とぉ!」なんて大きな声を出しつつ、何とかひっくり返るのを堪えた。
髪型は私と同じくらいのショートカットで、特別若作りしているわけではないと思うけれど、身長はあまり高くないことやハキハキ喋る感じからか、大学生とか新入社員とかに見られることもあるらしい。
……多分、さっきの落ち着かなさとかも関係している気がするけれど。
「あっぶな……ああ、そういえば聞いたわよ」
「え゛っ」
まさか女子校がどうこうとか、そういう話を聞いたのかと思って、あまりにも綺麗さに欠ける声が出てしまったけれど、続いた言葉に少しだけ胸を撫で下ろした。
「サッカーボールを取ろうと車道に飛び出した男の子を助けようとしたクラスメイトを、更に助けたんだって?」
「……あ、ああ、うん。ちょっとややこしいけど、そう」
「ふぅーん、あの勉強にしか興味なさそうなアンタがねえ……」
足を組んで、その上に肘を立てたお母さんは、
「何かちょっと見ない内に、結構変わったわね」
ニッ、と笑った。
そういえば、私が小さい頃に見ていたお母さんって、いつも忙しそうにしていて、あまり笑っているのを見た覚えが無かった気がする。
中学以降、寮に入ってしまってからは家族での会話もかなり減ってしまった気がするけれど、そういう意味では久しぶりに見た顔に少し安堵し、同時に何故か気恥ずかしくなって、
「そ、そうかな……」
ともごもごとしながら答えた。
「あ、変わったといえば……」
「ん?」
「アンタが女装趣味に目覚めてるとは……」
「!?」
呆れたというジェスチャーをしつつ、かなり慎みのないボリュームでそんなことを言うから、センチメンタルな感情を蹴飛ばしてしまった私は思わず周囲に視線を慌てて巡らせて、誰も居ないことにほっとした。
ラッキーなことに個室の病室を借りられたらしく、とりあえず誰も他に聞いている人が居なかったことに胸を撫で下ろした。
「いや、あの……」
「まあでも、アンタも前の学校で色々大変だったのは知ってるからね。別に駄目とは言わないから、人様の迷惑にならない程度にしなさいよ」
「……」
色々と弁明したかったのだけれど、よく考えればどう弁明すればよいのか。
いや、むしろ今、女子校に通っているという事実を説明するべきかもしれない。
でも……まだ、その勇気はない。
「というか、一体女装趣味を勧めたのは――」
「調子はどうだね」
扉が開いたと思ったら、さっき私を診てくれたお医者さんが入ってきて、お母さんも背筋を伸ばし、慌てて口を閉じた。
お医者さんはそれなりのお年を召している方で、白髪が混ざるというか、もはや黒髪が混ざっている側のような感じ。
「あ、はい。ええと……ちょっと擦り傷と捻挫の部分が痛むくらいで、それ以外は特に問題は無いです」
軽く手足を動かしてみてから、私はそう言った。
「そうか、それなら良かった。小山さんも、息子さんが無事で何よりでしょう」
「はい、ありがとうございました」
母が頭を下げると、はっはっはとお医者さんが大きな声で笑った。
「いやいや、私はほとんど私は何もしていないよ。それなりのスピードの車に轢かれたと聞いていて駆けつけたけれど、怪我らしい怪我が擦り傷くらいしか見当たらなかったのに驚いたよ。何か柔道とか、そういうものをしていた経験は?」
私は考えるまでもなく、首を横に振った。
「いえ、全く……」
「そうか。まあ、何にせよ無事だったのは良かった。今の所、レントゲンでも、特に骨に異常がある様子も見られないし、すぐに退院とはいかないけれど、このまま上手くいけば1週間も掛からずには退院出来ると思う」
ずり落ちた眼鏡を元の位置に戻しつつ、お医者さんがそう言った。
「はい、ありがとうございます」
私も母に倣って、上半身だけだけれど頭を垂れた。
「それじゃあ、また明日様子を見に来るけれど、何か気になることがあったらそのときにでも教えてくれ」
「はい、分かりました」
お医者さんが出ていった直後、扉の向こうで何か話し声が聞こえたけれど、その後、
「やあ、準くん。気分はどうだい?」
とコンビニの袋を提げつつ部屋に入ってきたのは、いかにもひょろひょろとした、もやしっ子世界代表みたいな男性。
「……お父さん、うん、大丈夫」
そう、このひょろ長で眼鏡を掛けた人が、私の父親の小山 純一。
父親に対してその言い草は、と思うかもしれないけれど、本当にこれ以上的確な表現がないと思う。
まず間違いなく、私の身長はこの血を受け継いだなって確信が持てるくらいには高身長で、明るいというよりは何だか掴みどころのないフワフワとした感じの人だと思う。
ちなみに、もう父の身長を抜いてしまったのだけれど。




