第15時限目 図書のお時間 その30
「私は帰らなきゃいけない、です」
「うん」
「でも帰りたくない。どうしたらいい……んですか?」
私は答えない。
六名さんが私の無言に対して、何を感じたのかは分からないけれど、
「……我儘言ったら、叔母さんに迷惑が掛かります。だから、私は帰り、ます」
と言ったときには、諦観の先にある、ある種の悟りのような空気が感じられた。
……でもそれじゃ駄目。
私たち(こども)が出来ることって限られていて。
そして、親が決めたことっていうのは絶対で、変えることができない原理だと思っていて。
いや、私だって今でも半分くらいはそう思っている。
だから、六名さんも自分で考えることを止め、歩き出すことも放棄してしまった。
これをそのまま肯定してしまったら?
そうやって自分を押し殺してしまったら?
多分、一生全てに対して諦めてしまうようになると思う。
幸いなことに、私はそんな状況を変えられた例を知っている。
もちろん、かなり周りの協力があったし、今回も周りが協力してくれるかどうかは分からない。
ううん、そもそもそんな周りばかりを頼りにしていてはいけないとも思う。
それでも、完全に諦めるのはまだ早い。
「……小山さん」
「うん」
「名前のことで怒って、ごめんなさい」
カーテン越しに見える影が上下に揺れた。
「ううん、そんなことない。私ももっと気を使うべきだったと思うし」
「私の家のこと、知らなかったから仕方がない、です」
いくら私が迂闊な人間とはいえ、流石にここで「いや、実は家の事情、知ってたよ」なんてことは言わない。
「だけど、もう私は寮には居られないから、学校でまた――」
「えっと!」
「……?」
私の、突然の遮りに、疑問符付きの言葉を六名さんが飲み込んだ、ような気がした。
「別に寮にも居ていいんじゃないかな?」
私がそう言うと、当然こう返してくる。
「だから、家の事情で――」
「もちろん、簡単にどうこう出来るものではないと思うけれど」
「そう、簡単じゃない、です。だから、駄目」
「簡単じゃないから諦めるの?」
私はカーテンをシャーッ! と開け放ち、ちょっと困惑気味の六名さんの顔を覗き込んだ。
「むしろ、何故諦める必要があるの?」
「だって――」
「お父さんとお母さんは絶対だから?」
「……」
うん、とは言わなかったけれど、沈黙が肯定を返しているようなものだった。
「お父さんとお母さんが間違っているんだったら、変えられるはずだよ」
「そんなこと……当事者じゃないから簡単に言える……」
「私も当事者になるから」
「……え?」
ただでさえ困惑成分があったのに、それがマシマシになった六名さん。
まあ、そうだよね。
突然、そんなこと言われたら、頭がちょっとおかしい子なのかなって、多分私も思う。
でも、嘘じゃない。
「一緒に考えよう。上手くいくかは分からないけれど、少なくとも今のままで良いなんて思わない。ううん、絶対にこんなのおかしい。六名さんばかり困ったことになるなんて絶対に間違ってる」
ぎゅぎゅっと、六名さんの両手を握って、私が言う。
「……無理」
「無理じゃない」
顔を背ける六名さんの視線を追いかける私。
「絶対、無理」
「絶対、無理じゃない」
「無理だもん」
「無理じゃないよ」
「無理だったらどうするの」
「無理じゃなかったら?」
私の言い返しに、六名さんはぴたりと静止した。
こういう、お家事情のときに1番重要なのは、カッとせずに冷静な行動を取ることと、根回しというか周囲の協力を仰ぐことだと気づいた。
もちろん、周りに頼りっきりになっていては駄目だし、周りでもフォローできないような突拍子もないことを言い出すのも駄目。
何も方針は決まっていないし、問題は山積。
ただ、今何よりも重要なのは、本人が1歩を踏み出すこと。
「……無理じゃなかったら……」
六名さんがそう言った後、少しだけ押し黙ってから、
「小山さんの言うこと、聞く」
と小さく笑ってくれた。
「うーん……じゃあ、私のお友達になってくれる?」
私も笑顔でそう尋ねると、六名さんはほとんどノータイムで頷いた。
「じゃあ、決まりね」
相変わらずの無言ではあったけれど、六名さんは再び頷いてくれた。




