第3時限目 日常のお時間 その5
チャイムが鳴って放課後。
「んあー、ようやく終わったー!」
帰りのホームルームが終わるや否や、岩崎さんが鞄を持って私の机のところまで来て、伸び伸びしながら第一声。もちろん、片淵さんも一緒。
「朝言ったみたいに午後5時! 校門前! おっけー?」
岩崎さんが人差し指と親指で丸を作るから、私も倣って作る。
「おっけー、です」
「よし、じゃあ先帰っとくから! 早くあのちびっ子との話切り上げてよね!」
「準にゃんばいばーい」
「それではまた後で」
「はい、また後で」
3人を見送り、私も地下室に向かおうとしてからはたと気づく。
そういえばみゃーちゃん、私を部屋に呼ぶときには渡部さん経由で、とか言っていたような気がする。
でも渡部さん、特に今日接触してくることは無かったし、既に姿も見えない。昨日の場合は、みゃーちゃん本人が直接私に言ったから特別、ということなのかな?
また部屋まで行ったは良いけれど、鍵が開いていなくて入れないっていうこともありうるから、せめて渡部さんが捕まれば良いんだけど……まあ、とりあえず部屋に行ってみようかな。
帰路に就く生徒に混じってスロープを降り、1階へ。そこから他の生徒達とは別行動で、階段を降りてあの薄暗い地下室に向かう。
「さて……」
扉が開くかどうかだけれど、とりあえずはノックしてみよう。2回はトイレのノックで、親しい人だと3回。面接で普通は4回……面接の手引きにはそんなことが書いてあったような。
まあ、正直そこまでみゃーちゃんが気にしているとは思わないけれど、もう仲良しだよというアピールのために3回ノックにしてみようかな?
コンコン、と2回目まではちゃんと目の前に扉が在ったけれど、3回目のノックで目の前の扉が唐突に開いてしまい、私の右手は空振り。そのせいで本来はノックのために振り下ろされた腕は、代わりにその扉を開けた人間の額に振り下ろされることとなった。
部屋の中にもノックの音がちゃんと聞こえるように、と思って少し強めにノックしていたのも災いして、それなりの強さで振り下ろされた私の裏拳は不幸な少女の額で炸裂し、結構良い音を立てた。
「あいたっ!」
「わ、ご、ごめんなさい、ごめんなさいね」
私はうずくまった少女に駆け寄って、拳を意図せず振り下ろすことになった額を撫でる。
暴発した私の拳骨を食らった少女はすぐに立ち上がって、ギロリとややツリ目気味の顔をこちらに向けてから動きが止まった。
「……ん? キミはクラスメイトの小山くんか」
「え?」
額を擦りながら、少しだけ首を上に向けてこちらを見るのは、後ろ髪はやや短めの髪がぴょんぴょことハネ、前髪は切りそろえられつつやや目に掛かっているクールな少年っぽい子。少し視線を上げるだけで私の視線とぶつかるくらいには身長があるから、何故か着ている研究者風の白衣が似合う。
「ボクもキミと同じクラスだよ。覚えていないか? いや待て、答えなくていい。流石にクラスメイト全員の名前を2日、いや実質1日半で覚えるのは難しいだろうな。そもそも、今日のホームルームでは全員自己紹介した訳でもなかったから分からなくても仕方がない。じゃあ、自己紹介しておこう」
勝手にペラペラと1人で喋る少年っぽい女の子。……多分、女の子。女子校だからね。普通、男の子が入ってくることはない、はず。先生たちが拳大の穴が空いたビニールプールから漏れる水並の判定で女装男子を大量受け入れをしていたら話は別だけれど。
はい、今他人の事言える立場じゃないと思った人、手を挙げなさい。その通りです。
「ボクの名前は桜乃華奈香。苗字は"さくらの"と書いて"さくの"と読む。後は難しい方の華に奈良の奈、香るで華奈香だ」
「あ、ああ、はい、どうもありがとう、ございます。桜乃、かのk……華奈香さん」
立て板に水という言葉があるけれど、すらすらと論文発表でもするような、特に抑揚もなく事実だけを淡々と述べている感じはまさにその言葉の通りだと思った。そのせいかもしれないけれど、しばらく頭の中で繰り返し言い直さないと苗字も名前も一瞬で脳内から霧散しそうだったから、確認の意味も込めてフルネームを声に出した。
後、本当に女の子だよね? ボクって言ってるけど……本当に女の子何だよね? いや、何処を見てそう思ったかとは言わないけれど。
「ああ。ちなみにボクはキミの名前をちゃんと覚えているよ。小山準くん、二見台高校から来たんだったね」
「はい、宜しくお願いします」
「そういえば、美夜子が――」
「美夜子ではなくみゃーだと言ってるにゃ。というよりも人の部屋の前で何やってるにゃ」
部屋の奥からぬっ、と出てきたのは部屋の主である猫耳少女、みゃーちゃんだった。相変わらず皆にみゃーと呼ばせることを強制しているみたい。余程自分の名前が嫌いなのかな。
「というか準、別に呼んでないんだから勝手に来るんじゃないにゃ」
「いや、昨日自分で呼んでたでしょう?」
「…………?」
表情は冗談めかしてでもなんでも無く、真面目に腕組みして考え込む。あ、これ完全に忘れてる。
「いいものくれる、って言っていたでしょう?」
「…………あー、ああ、そういえば言っていたかもしれないにゃ」
「いいもの? ああ、さっきのアレかい? ふふふ……なるほど。いや、アレの使用者が誰なのか気になっていたのだが、なるほどキミか」ニヤリ、と桜乃さんが不敵に笑う。「確かに……ふーむ、気になるかもしれないが、そういうものに頼っていてはいかんな」
「そういう自分だって、男か女か分からないような体格にゃ」
「う、うるさい! ボクはまだ発展途上なんだ! そもそも、ちんちくりんなキミには言われたくないね!」
頬を赤らめて、今までの様子からは珍しく研究者風少年っぽい少女はムキになって言い返す。
「みゃーの方がよっぽど成長過程だから成長の余地があるにゃ。とにかく華奈香は話終わったんだからさっさと帰れにゃぁ」
「ふん、分かっているさ。だけど、さっきのあの話はちゃんと気をつけておいてくれよ」
「カメラは確認しておくから心配するにゃ。まあ、校庭のど真ん中とか、カメラで撮影できない範囲だったらどうしようもないけどにゃ」
「そこは仕方がないと思っている。とにかく何かあれば連絡を。じゃあ、小山くん、また明日」
「え、あ、はい、また明日」
2人の話が大きな錠剤のように一切飲み込めない状態で去っていく桜乃さんを見送りながら、私は視線を猫耳少女に移す。




