第14時限目 契約のお時間 その7
「……」
むくり、と無表情のまま上体を起こした工藤さんは、
「……?」
しばらく周囲を見渡し、
「……!」
私と園村さんを見て、一瞬だけ躊躇ったけれど、
「私、どうなったの?」
と園村さんの方を向いて尋ねた。
「倒れたんですよぉ……だから、駄目だって……でも、良かったぁ……」
ぐすんぐすんと縋り付いて、園村さんが言うと、
「大丈――」
無理に立ち上がろうとして、そのまま前に突っ伏し、土下座みたいな格好になる。
「だから……」
「本当に、駄目ですよっ!」
園村さんの言葉を引き継いだのは、シャーッと大きな音を立ててカーテンを開き、入ってきた眼鏡の保険医だった。
「授業後もしばらく校舎内に居たから良かったものの……工藤さんは貧血気味なんですから、無理したらめっ、ですよ」
眼鏡をキラリと光らせて、坂本先生が叱るけれど、あまり迫力はない。
同じことを考えたのか、工藤さんが首を振って、やっぱり動こうとする。
「大――」
「駄目です」
再び上体を起こそうとした工藤さんを無理やりにベッドに押し返し、布団に押し込んだ辺り、言い方はやんわりだけれど、やはり保健の先生らしい行動力は備わっているみたい。
……部室で床と頭突き勝負しそうになった工藤さんをキャッチして、慌てて部室棟から運んできたのは正解だった。
まだ保健室に坂本先生が居て、様子を見てもらい、大丈夫とお墨付きをもらえたから一安心。
だから。
「私がもうしばらくここに居ますから、2人は帰っても良いですよ」
笑顔を向けてくれた坂本先生の言葉に、工藤さんが倒れる前のやり取りを、ふと反芻してしまった。
私が居ても……いや、私が居た方が迷惑になるよね。
「そうですか。それじゃあ坂本先生、お願いします」
私がそう言って、頭を下げて離れると、
「えっ……? ちょ、ちょっと、準……?」
焦ったような園村さんの声が聞こえてくる。
その声に、キリキリと神経を削るような痛みが脳を突き上げるけれど、その痛みに目を背けて、
「お大事に……“工藤さん”」
と言ってから、私は静かに扉を閉めた。
昇降口で靴を履き替え、扉の外に出て、大きく一呼吸だけしてから、頭を抱えてしゃがみ込む。
「最ッ……低だ……!」
分かっている。
自分でも痛いほど分かっている。
特に最後の、敢えて名字で呼んだのなんて酷すぎる。
ただの、駄々(だだ)をこねているだけの子供でしかない。
それでも、ああ言う態度を取ってしまうのは、お互い信頼できる相手だと思っていたのに裏切られたから……と誰に向けてでもなく言い訳をする。
……でも、良く考えれば裏切るも何も、そもそも自分は性別を偽って入っているのに、何故工藤さんに信頼してもらえると思っていたのか。
吸血鬼であることを隠している園村さんとは、一応同じ秘密を共有するというお題目があるから……と言っても、だからと言って肌を見ることが許されるべきかは甚だ疑問ではあるけれど、万歩くらい譲ってありうるとしても。
工藤さんに限って言えば、ただ友達の秘密を隠すためというだけで、私の性別を隠すことに付き合ってくれているだけ。
つまり、交換条件が成り立つ代償らしい代償は無い。
強いて言うなら、今まではぼたぼたと廊下に雫を落としていた髪を梳かして、乾かしてあげていたくらいだ。
それも、今日の朝みたいに自分で出来ないことではないのだから、今までは私に肌を見られるだけの、損な役回りでしかなかったと言ってもいい。
そう考えれば、結局自分の自分勝手じゃないか。
「……駄目だな、僕」
腹を立てたらすぐに喧嘩腰になるのは、坂本先生のお陰で少しだけ躊躇うことが出来るようになった……つもりだったけれど、結局直情的なのは治っていないらしい。
「……帰ろう」
寮に戻り、階段を上るところで繭ちゃんとすれ違った。
「準ちゃ……ひっ!」
笑顔で近づいてきた繭ちゃんが、悲鳴のような声を上げたから、
「どうしたの?」
と私が尋ねると、繭ちゃんは続けて話をしてもよいのか不安になったのか、しばらく震えながら周囲を見て、ようやく恐る恐る私に声を掛けてきた。
「じゅ、準ちゃん、すごい顔、してる、よ?」
「……そう?」
「うん。なんか、寂しそう、っていうか、悲しそう、っていうか」
「……そっか」
多分、死んだような顔をしているのかもしれない。
「教えてくれて、ありがとう」
ちゃんと笑顔が作れたかは自信がないけれど、笑ったつもりになって階段を上がろうとしたら、不意にぎゅっと服を握られた。
「……?」
足を止め、振り返ると、繭ちゃんが心配そうに私を見上げていた。
「準、ちゃんは、友達、だから。本当に、困ったら、相談して」
繭ちゃんはそこまで言ってから、萎んだような声で、
「……欲しい、です」
と続けた。
そう思ってくれている人が居ることを嬉しく思いつつ――
「……ありがとう。うん、でもこれは……自分で考えなきゃいけないことだから、大丈夫」
――そんな子も、私は裏切っているのだと思い返して、深い海の底に放り込まれた気持ちが心に刺さった。




