第10時限目 融解のお時間 その16
保健室に坂本先生の姿は無く、私と正木さん、岩崎さんとみゃーちゃんは仕方がないのでひとまず保健室で待たせてもらうことに。
体面上、正木さんが怪我をしたということになっているから、うろうろ廊下とかを歩くわけにはいかないし。
事情は坂本先生が来たときに話そう。
「それで?」
保健室に入って早々、岩崎さんが私にジト目で視線を送る。
「え、ええっと……ごめんなさい」
何はともあれ、謝っておこう。
「……はあ、まあいいや」
また岩崎さんは溜息を吐いていたけれど、その表情はさほど責める様子ではなかった。
「それで、紀子はいいとして、そっちはどうしたわけ?」
岩崎さんがみゃーちゃんが抱えていたダンボールを覗き込みながら尋ねる。
「……」
でも、みゃーちゃんは口を開かない。
「全く、こっちもこっちかあ。ま、良いよ別に。ほら準、事情を聞きなよ」
「う、うん。みゃーちゃん、どうしたの?」
私の声に対し、ようやく絞るようにして声を発したみゃーちゃん。
「ノワールが……ご飯も全然食べなくなって……」
みゃーちゃんがさっきまで抱えていたダンボールには、少し荒い息をしているノワールちゃんが横たわっていた。
「なんか……苦しそうですね」
正木さんがそう言いながら不安そうに覗き込んでいる横で、私もノワールちゃんの様子を見る。
ノワールちゃんはこちらの様子をやけに気にしつつ、自分のお乳を頻りに舐める様子が見える。
というよりも、異常にお乳が張っている。
ああ、なるほど。これはやっぱり――
「なんかヤバイ病気なんじゃない?」
岩崎さんが何気なく言うと、みゃーちゃんがびくんと跳ねる。
「真帆、そんな言い方しなくても……でも、本当に心配ですね」
岩崎さんの言葉を諫めた正木さんはやはり不安な様子を隠さない。
「準……ノワール、死んじゃうの……?」
決壊寸前の目から溢れそうになったみゃーちゃんの涙を持っていたハンカチで拭いてあげて、
「大丈夫だよ、みゃーちゃん」
と私は笑顔で言う。
ただ、この事実をみゃーちゃんにどう教えるべきか。
……いや、悩むこともないか。
見た目通り小学生だとしても、ちゃんとこういう教育は必要なはず。
「何? 準、なんの病気か分かるの?」
岩崎さんの言葉に、首を振る方向を縦にすべきか横にすべきか悩み、最終的に縦に振ることにした。病気ではないけれど。
「多分病気じゃなくてね」
「病気じゃなくて何?」
岩崎さんが先を急かすように言うから、私ははっきりと答える。
「ノワールちゃん、多分妊娠してる」
「……妊娠?」
ほぼ同時に3人が同じ表情になった後、3人ともがダンボールの中を見て、これまたほぼ同時にやまびこのように言葉が木霊する。
「……妊娠」
「そう。よく見ると胸が張ってるでしょう? さっきから何度も舐めてるし、気になるんでしょうね。それと攻撃的になるのも妊娠した猫の特徴ね」
「なるほど……」
岩崎さんが納得したように言う。
「そういえば、昔うちの飼っていた猫もこんなにお腹が大きくて、お乳も膨らんでた気が……でも良く気づきましたね」
正木さんの言葉に、私は少し頬を緩めて答えた。
「テオの父猫がお見合いというか、友達の家の猫ちゃんに子供を産んでもらったときに色々調べてたからね。もし腹水が溜まるような病気ならあんなに元気に歩かない気がするし、それなりに食欲はあるみたいだったから単純に太っただけでなければ、後は妊娠かなと」
そういえば、そのとき母猫になった側の飼い主だった女の子が、母猫を見て同じように死んじゃうんじゃないかって泣いていたっけ。
「……それはないにゃ」
いやいやするみたいに、みゃーちゃんが小さく首を横に振る。
「どうして?」
私の言葉に、まだ不安げな表情を貼り付けたまま言うみゃーちゃん。
「だって、この学校にはノワール以外に猫は他にいないはずにゃ。学校の周りにはセンサーが巡らせてあるから、野良猫が入ってきたらセンサーが反応するはずにゃ。2ヶ月くらい前に数日センサーが壊れた箇所があったけど、すぐに直してもらったにゃ」
「ん? でも、今って寮の準の部屋に猫居るよね?」
岩崎さんの言葉に私が頷くと、みゃーちゃんは目をくりくりと動かした。
「ホントにゃ?」
「うん。アメリカンショートヘアのオスの猫が居て――」
そこまで言って、ふと気づく。
多分、他の人も同じように気づいたんだと思うけれど、静止したまま私を見ている。
あ、これは。
「ねえ、みゃーちゃんとやら? センサーが校内に張り巡らされてるから他の猫は見たことが無いって言ってたよね?」
「そうにゃ」
「でも、この子は妊娠してるんじゃないかと疑われるわけだよね?」
「そうにゃ」
「そういえば、小山準という子の部屋にオス猫が居るらしいんだけど、これはどういうことかな?」
「……」
数秒の沈黙の後。
「準(の猫)に(ノワールが)孕まされたにゃ」
大分、言葉を省略し過ぎてない?!




