第10時限目 融解のお時間 その15
何が原因かは良く分からないけれど、とにかく頼みの綱である咲野先生も頼れない。
だったら……どうしよう。
ここまで来たら、自分でどうにかするしかないよね、十分に考え抜いたし、と半ば自分に言い聞かせつつ、私は教室を飛び出そうと1歩足を踏み出したところで。
ドガシャーン!
教室の後方から、何かが大きく倒れる音がした。
クラスのほとんどの人間が一瞬だけそちらを向き、数秒の後にまた廊下へ視界を戻したのだけれど、僅かな時間だけでも視線を総取りした先には机に添い寝されている正木さんが床の上で寝そべっている姿があった。
そんなところで寝ていたら風邪引きますよ……ってそういう話ではなく、どうやら椅子に足を引っ掛けて転んだ際に、机ごとを横倒しになったらしい。
「あいたたた……」
正木さんってちょっとおっちょこちょいなところがあるし、怪我していないと良いけれど――
「――怪我?」
何かが閃いてきらりん、と脳内で豆電球が光るイメージ。
後々で状況を良く反芻してみると、大半が人の好意に甘えたものだった上、思っていたほど良案ではなかった気がするけれど、それでもこの場では最善策だったと信じたい。
「先生っ!」
「ひんっ! な、何っ!?」
さっきまでの態度のせいで、叱られるかと思ったらしい咲野先生が一瞬しゅんっ! と天敵から隠れようとするフクロウみたいに体を縮こまらせていたのが少し可愛かったけれど、今はもっと大事なことがある。
「保健委員って誰ですか」
「え、え? ……あ、保健委員? 確か岩崎ちゃんと……後、誰だったかな」
「岩崎さん……?」
なんてタイミング。
今までなら気軽に声を掛けられていたけれど、今はその「岩崎さん」という一言までが遠い。
でも、意識してしまうと足が止まってしまうから、私は先生がもう1人の名前を思い出す前に、小走りに岩崎さんのところへ駆け寄り、
「ちょっと来て」
とやや乱暴に手を掴んだ。
「え、な、何!? ちょ、ちょっとっ」
唐突に連れ去られる岩崎さんの不満声を背中全体で受けながら、私は正木さんに駆け寄る。
「大丈夫? 正木さん」
そう言って、正木さんの隣にしゃがみ込む私。
あっ、と小さい声を上げた後、多分心配掛けないようにと思ったからなのだろうけれど、正木さんは笑顔で、
「だ、大丈夫で――」
と言いかけたので、私は正木さんの口を手で覆って、素早く小声で耳打ちをする。
「ごめんなさい、足を捻ったことにしてもらえないですか?」
「えっ?」
時間にして、多分2、3秒だったと思うけれど、
「……え、えっと、ちょっと足を捻ってしまって……保健委員さん、ちょっと保健室まで連れて行ってもらえないですか?」
と言いたいことを理解してくれたらしい正木さんは、わざわざ周りに聞こえるように少し声量を上げてそう言ってから、岩崎さんをちらりと見上げる。
やり取りを後ろで見ていた岩崎さんの呆れ顔の視線が、私と正木さんの間で2往復。
それから、はあっとため息を吐いた岩崎さんは、
「……はいはい、連れて行ってあげますよっと」
なんて言いながら、正木さんに肩を貸した。
「ありがとう。先生、ちょっと足を挫いたので保健室に行ってきます」
正木さんがそう宣言すると、いつまで経っても静まらない生徒たちをわたわた見ていた咲野先生が、
「え、あ? ああ、うん、だ、大丈夫?」
と落ち着かない様子のままで言う。
「はい、足がちょっと痛いですが、多分次の休み時間の間には戻ってこれるかと思います」
正木さんがはっきり言うと、肩を貸している岩崎さんが、
「はい、どいたどいた。ちょっと怪我人通るから」
と入り口に屯しているクラスメイトを押しのける。
モーゼの十戒ほどではないけれど、クラスメイトの波が割れ、再び波が戻る前に足を止めた岩崎さんが、
「あー、あたしじゃ身長差と体重で肩貸すの無理。準! ちょっと、紀子に肩貸して!」
と言って、私の方を振り向き、人差し指でちょいちょいと呼ぶ。
「う、うん」
あ、あら?
元々は岩崎さんが正木さんを連れて行く際に、みゃーちゃんも連れて行ってくれて、私は休み時間に合流する案なんてどうだろうと思ったのだけれど、もちろん岩崎さんとも正木さんとも打ち合わせなんかしていない。
だったら、このプランBに乗るしか無い。
私は慌てて岩崎さんの逆側で、正木さんの肩を貸す。
本来なら正木さんの女の子らしい匂いが……とかでドキドキしていたかもしれないけれど、事情が事情だっただけに少ししか覚えていない。
私が確実に覚えているのは、結局正木さんの肩貸しを全て私に任せた岩崎さんが、少し早足でみゃーちゃんの横を通り過ぎた後、
「何で泣いてるか知らないけど、あたしたちは保健室行くから、怪我でもしてるなら来れば良いんじゃない?」
と振り向かずに言った背中だった。




