第9時限目 旋律のお時間 その50
片淵さんが私の胸に顔を埋めながら尋ねた言葉に、跳ね上がりそうなほど私の心臓が脈打った。片淵さんにも聞こえてしまったんじゃないかってくらい。
なんだろう、中居さんと言い、片淵さんと言い、私は気づかないうちに男だって気づかれてしまうような迂闊な行動を取っているんだろうか。
あ、園村さんと工藤さんは流石に別ね。ああいうパターンのバレかたはいくらなんでも変則的過ぎるから。
洋式トイレなんかは元々座っているし、僕というより私という方が普通になったし、言葉遣いも出来るだけ丁寧にするように気をつけている……とまあ、入学当初に太田理事長や益田さんに気を付けるように言われた点については全て気を付けている、というかそもそも気を付けなくても実践してきた、はず。
だのに、何故。
「なんていうか、先頭に立ってアタシを守ってくれて、引っ張ってくれて、それで……」
少し熱っぽい声で片淵さんが続ける。
「こう言うと恥ずかしいんだけどさ、王子様っていうかさー……」
「うえっ!? お、おお……?」
王子様っ!?
「あ、ゴメン、やっぱ無し無し! 今のはアタシの独り言!」
慌てた声で片淵さんが弁解する。
「だから、答えなくていいから……ううん、答えないで欲しい」
片淵さんはそう言って、すりすりと顔を私の胸に押し付けた……いや、首を横に振っていただけかもしれないけれど。
それはそれとして、王子様……かあ。
「もし、本当に女の子だったら残念だし、女の子じゃなかったら――」
じゃなかったら?
固唾を呑んで、片淵さんの次の言葉を待つ。
「――あはは、多分、我慢できなくなっちゃうから」
おどけているけれど、声は少しの迷いもなく、きゅっと私のパジャマの胸元を控えめに掴んだ。
「だから、今はまだ、言わないで」
真面目な声で片淵さんがそう言うから、
「……うん、分かった」
とだけ答えた私。
だって、この状況で、それ以上何も言えないでしょう?
正直なところ、中居さんのときほど私が男だって確信しているわけではない、というかかなり希望的観測を含んだ言葉のように聞こえる。
とはいえ、ただのイケメン女子のような扱いではなく、性別に疑いの目を向けられている時点で、やっぱり何かしら「男なのかも」と思ってしまう何かがあるのかもしれない。
一体、それは何なんだろう……早いうちに直しておかないとどんどんバレていってしまう気がする。
「ホント、変なこと聞いてゴメン。別に準にゃんが男でも女でも大事な友達だし」
暗闇で見えないけれど、多分笑っているんだろうと思う。
「何にしても、こうやって一緒に寮で生活するのも今日までだしさー。ちょっと、こうしていてもいいかなー?」
「ああ、うん……構わないよ」
私の胸に顔を埋めたままの片淵さんのお願いに対して、私は片淵さんの髪に顔を埋めるようにして、そう答えた。
「……良かった……」
心底安心したような声がしたと思ったら、ほとんど間を置かず寝息が聞こえてきていた。
テストが終わるまでずっと気を張っていただろうから、緊張の糸が切れてしまったんだろう。ゆっくりおやすみなさい。
……なんてかっこつけていたら、いつの間にかふんわりとした片淵さんの香りと溶けるようにして、私の意識もいつの間にか消え失せていた。
目が覚めると、片淵さんの姿はなかった。あれ、もう起きたのかな?
「片淵さん?」
片淵さんが使っていた隣の部屋をノックしてみるけれど、反応なし。
ゆっくりノブを回してみるけれど、ガチンという拒絶する鍵の音が聞こえるだけ。
「……あれ?」
普段学校に行くときより少しゆっくり目覚めたとはいえ、まだ8時半を少し回ったところ。いくらなんでもまだ……。
薄ぼんやりとしている脳をはっきりさせるため、私は洗面所に下りていって、顔を洗った。
ようやく少しずつもやが晴れるように意識がはっきりしてきた私は、部屋に入ったところで何かが勉強机の上に置いてあるのに気づいた。
それは可愛い猫のメッセージカードで、
『色々お世話になったから、もう家に帰るのは1人で大丈夫! 月曜からはまた、いつも通り学校でよろしくねー 都紀子』
とここ1ヶ月くらいノートに書かれたのを良く見た、少し子供っぽい文字が走っていた。
「……別に、今日くらいまでは一緒に行っても良かったのに」
片淵さんの書き置きを見て、そうぽつりと呟いたけれど、答える人など居るわけがない。
「なー」
……人は居なかったけれど、同意を示すような鳴き声をテオが返してくれた。ありがとうね。
あはは、と笑いながら私がメッセージカードを裏返すと、
『準にゃんが好きなのは本当だからねー!』
と最後にハートマーク2つ付きで書かれていた。
「!」
……男かどうか、か。
もし、私を男だと疑っているのであれば、布団の中でのあのキスは……?
昨日の記憶を手繰り寄せつつ、暗闇で片淵さんの唇が触れたと思われる辺り、自分の唇の指で少しなぞってみると、妙に気恥ずかしさが頭に立ち上ってきて、私は顔を左右に強く振った。
窓を開けると、いつもより太陽が眩しく見えたけれど、私はその太陽を独り占めするくらいの気持ちで、全身に光を浴びながら大きく伸びをした。




