第9時限目 旋律のお時間 その46
「それにしても、うちの娘と来たら……これだけ孫のために頑張ってくれた客人を饗すどころか、恫喝するなどと言語道断。ちったあ反省しな!」
そう言うと、片淵さんのおばあさんは、片淵さんのお母さんの耳をぎゅうっと抓り上げる。
「い、いたた……お、お母様、やめっ……」
「こんな性格だから夫にも逃げられるんだよ!」
「あ、あの人のことは関係……」
「いいや、あるさ! 何でもかんでもヒステリックに、自分の言いたいことばかり言いよって!」
ガミガミと目の前で繰り広げられる様子に、私が少し呆れ顔をしながら隣を見ると、片淵さんも家庭の恥部を魅せられて少し困った様子だったけれど、家に戻ってきてすぐのような絶望と失意の表情はほぼ消え失せていた。
「……さて、話は決まったな」
「え?」
今の今まで、眼の前で母娘喧嘩していただけだと思うのだけれど、片淵さんのおばあさんは自分の娘が自分用に持ってきたと思われる紅茶を奪い取ってから飲み干し、そんなことを言い出した。
「小山さんとやらの退学は無しということで良いな?」
「っ! お母様!」
当然、片淵さんのお母さんは反対しようとした……と思うのだけれど、相変わらずおばあさんの強力な視線によって、強制的に発言権を奪われた。
ただ、私自身、ああも大見得を切った上でこの結果だから、素直にうんと頷くことが出来ないところもある。
私をちらりと見やった片淵さんのおばあさんは、
「ふむ、何やら納得がいかないという様子じゃな」
と心の中を透かして読まれたみたいなことを言う。私の表情ってそんなに分かりやすいのかな。
「……そうです、ね」
「ふむ、そうか」
少々の時間、虚空を見上げたおばあさんは、
「そうじゃのう……小山さんとやら。お主のテスト結果はどうだったんじゃ?」
と何故か直球のようで変化球な質問を投げてきた。
「あ、その……」
私の試験結果に何の意味が? と思ったけれど、
「差し支えなければ、見せてもらえんかの」
嫋やかな動きで尋ねられたので、私は拒絶することも出来ず、
「……は、はい、どうぞ」
鞄の中からテスト結果の紙を差し出した。
「……ふむ?」
何度か目を瞬かせてから、少し席を立って老眼鏡と思われる眼鏡を持ってきてから、私の結果を再度確認してから、
「こりゃあ凄い。ほぼ全て1位じゃな」
などと大袈裟に頷いた。
「しかし、本来ならわざと手を抜いて自分の順位を下げていれば、都紀子も10位だったというのに、そんな不正もせずに正々堂々やった上、それを隠さずに見せるとは実に潔いのう」
にっこりと恵比須顔……にしてはやけに含みが多い気がするけれど。
「都紀子。11引く1は何じゃ?」
「え? えっと、10です、ね」
唐突な小学生並みのクイズに答えた片淵さんも、最後の「ね」の辺りでは祖母の言いたいことが分かった様子だった。
「そうじゃ。今回、都紀子の師であった小山さんの順位は今回除けば約束していたテスト順位10位以内ということじゃな?」
「へ、屁理屈です!」
黙って話を聞いていた片淵さんのお母さんは、ソファからがたんと勢いよく立ち上がり、わなわなと肩を震わせながら言った。
「さっきから黙って聞いていれば! 約束は約束でしょう!」
「その約束の前提が、小山さんのテスト結果を入れるかどうか、なんてことまでちゃんと話しておったのか?」
「そういう問題ではありません! 受け取ったテスト結果はテスト結果です!」
うがー! と噛み付く娘と意に介さない母の図。
「何にせよ、テスト結果が11位であること自体は間違いないのですから、私は許しません!」
「――分かりました。では、私も退学にして頂きます」
ほんの一瞬、世界が静止した。
片淵さんのお母さんはおろか、片淵さんのおばあさん、そして私も。
「……な、何故? 何故なの、都紀子さん」
皆の時間を一瞬だけ奪った片淵さんに対して、片淵さんのお母さんは再び椅子に座り込む。
「この結果は私の能力不足が招いた結果です。つまり、私はこれ以上の能力向上が見込めないということです」
「ち、違うわ、都紀子さん……悪いのは貴女ではなくて――」
「いえ、全て私の責任です」
見る見るうちに悲壮感漂う表情になっていく片淵さんのお母さんと目を伏せながら自身に対して辛辣な言葉をねじ込む片淵さん。
……まさかとは思っていたけれど、片淵さんのお母さんって、片淵さん依存症?
初めて会ったときの私に対する攻撃的な態度とは裏腹に、片淵さんに対しては過保護な様子は見受けられたけれど、厳しい声を掛けることはなかった気がするし、今日久しぶりに見た姿もやけにやつれた感じがあるし。
過保護の度が過ぎたからこそ、今のいびつな親子関係があるのかもしれないと思えてきた。
「ですから、小山さんに非があるというのであれば、それは元を辿れば私の非です」
「ち、違うのよ、都紀子さん。私はそういう意味で言っているのではなくて――」
自分の思惑と違う方向に進み始めた片淵さんのお母さんは、おろおろとしながら片淵さんを見る。




