第9時限目 旋律のお時間 その42
「にひひ、準にゃんは分かりやすいからねー」
そう言った片淵さんは、無理やり作った笑顔を緩めて、また諦観を湛えた表情に戻る。
「まー、アタシの努力が足りなかったからねー……」
「それは違うよ」
片淵さんの言葉の最後に少し被せるようにして、私が即答する。
間違いなく、片淵さんは頑張っていた。睡眠時間を削ってでも勉強していたし、先生に質問した内容を噛み砕いて確認し直していて、何が何でも知識を吸収しようとしていた。
ただ、努力すれば何でも報われるわけではない。
努力した分の見返りは裏切らないけれど、その見返りが自分の思い描いた通りになるわけではない。
分かっていたけれど、その事実を突きつけられてしまうと、胸の奥がきゅうっと締め付けられる。
「……ふう、よし。準にゃん」
「ん?」
何か決意を固め、ため息をコンクリートの床に投げつけた後、同じ口から転び出た私を呼ぶ声に、疑問符を付けて声を返す。
「悪いんだけどさ、一緒に付いてきてくんないかなー」
「……ん、そうだね。いいよ」
むしろ、この状況で私が付いていかなかったら、あのお母さんが何を言い出すか分かったものではない。
もう今更逃げたり隠れたりする気も、必要もない。
投げられた賽は既に出目を私たちに見せているのだから。
「大丈夫! アタシが何としてでも準にゃんの転校だけは阻止するさー」
精一杯強がってそう言った片淵さんは、ぴょんと飛び跳ねるようにして離れ、くるりと半周回ってこちらを向いた。
「よし、じゃあ行こうかー」
憑き物が落ちる……いや、今泣いたカラスがもう笑う、ううん、これもちょっと違うかな。
ただただ、片淵さんの切り替えの早さには脱帽する。
本当に心が切り替えられたとは思っていないけれど、いつもうじうじとどうでもいいことで悩んでしまう自分としては、態度だけでもこうやって切り替えられるところは見習わないといけないと思う。
「じゃあ――」
「あ、もしかしてこっちかー」
片淵さんが、立ち上がろうとした私に手を差し出してくれたところで、急に非常階段から上ってくる足音と声。
「え」
「えっ?」
私と片淵さんがほぼ同時にその声がする方を向くと、丁度非常階段の下からスーツ姿のクラス担任が上がってくるのが見えた。
「あ、全く……やれやれ、こんなとこに居たかっ」
呆れ顔と笑顔を7対3くらいで混ぜたみたいな表情の咲野先生は、腰に手を当てて私たちを見た。
「もうホームルームも終わったから、帰っても大丈夫だかんね」
「あ……すみません、咲野先生」
慌てて私が立ち上がり、深く頭を下げると、
「す、すみません、でした」
その横で片淵さんも追うようにして頭を下げる。
頭を上げると、ぽりぽりと頭を掻きながら、
「あー……まあ事情は分かってるけどさ。せめて、ホームルーム終わるまで待ってくれれば良かったと思うわけよ」
と咲野先生が言いにくそうに言う。
「ごめんなさい、ご迷惑をお掛けして――」
「あー、違う違う。そういうのじゃなくてさ」
咲野先生が手を左右に往復させて、私の謝罪を押し返す。
「ああいうことするとさ、元々事情を知らない子たちにもほら、噂が広がっちゃって2人の話とかも知られちゃうわけじゃん。それが良くないなって思っただけ。ホームルーム自体、テスト明けだからあまりやることなかったから、さっさと終わるつもりだったしさ」
「……ああ、なるほど……」
全く気づいていなかったけれど、確かにああやって大騒ぎしてしまったら、周りの事情を知らない子と知っている子が「あれなに?」「実はね……」みたいな会話を始めてしまってもおかしくない。
「ま、あの大隅と中居が突然絡んで来たの見る限り、あの2人も事情知ってたっぽいし、もう今更だったのかもしんないけど……で、これから片淵家に突撃するの?」
咲野先生の言葉に、私と片淵さんは顔を見合わせてから、咲野先生に肯定の意思表示をする。
「そっか。……まあ、アタシが結局手伝ったのにこんな状況だったんだから、アタシにも責任の一端はあるけど」
「そんなことないです。先生は十分助けてくれました」
片淵さんがすかさず言うけれど、咲野先生もすかさず否定する。
「いやいや、キミたちの年代なら“頑張ったで賞”でも十分許されるけどね。大人ってのは結果が伴わなければ駄目なんだよ。悔しいけど、生徒2人も守れなかった時点でアタシの能力不足。ごめん」
深く、咲野先生が頭を下げてくる。
「そんな……」
首を左右に振って、その謝罪を拒否する片淵さんだったけれど、それに対して咲野先生は、
「まあ、そんなだけどさ。小山さんがこの学校止めなきゃいけないってのだけは最低、何とか取り消せるように取り計らうよ。本当は片淵の家庭の事情にも突っ込みたいけど、そこまでやると家庭へ干渉しすぎになっちゃうから……片淵には申し訳ないけどさ」
「いえ、お気持ちだけで十分です。……じゃあ、私たち、お母さんに会ってきます」
「ん、分かったよ」
なんだか、字面だけ見れば結婚の報告に行くみたいに聞こえるけれど、そんな幸福な話とは天と地の心持ち……いや、人によってはあまりお腹の痛さは変わらないかもしれないというのはさておいて、暗澹たる気持ちを抱えつつも、私と片淵さんは足を踏み出す。




