第9時限目 旋律のお時間 その34
”現実逃避”という言葉を脳内では使っていたけれど、突然工藤さんも使ったから、私は脳内でも読み取られたかと思って、目を見張った。
「手芸部の子たちが、現実逃避したいから作らせてください、って言ってた」
「……あ、ああ、そういうことね」
皆思うところは同じなのね。テスト前に掃除を始めるとか、そういうのと同じ類。
というか手芸部の子たち、あまりに素直に言い過ぎてない?
それはそれとして、確かに事情を知らない人が見たらそう見えても仕方がないか。
「準もこんな時間に学校に居るから、現実逃避したいのかと思った」
まあ、ここが女子校だという現実から逃避したいかしたくないかと言えばしたいけれど、今はそういう話ではない。
「そうじゃなくて。咲野先生が勉強会に来てくれる時間を聞き忘れてたから、校内で探してただけだよ」
「……勉強会」
少しの余白の後に、珍しく何か含みを持たせたような声で工藤さんが言う。
「私はこれから、千華留の家で勉強してくる」
「うん……ってあれ? 5時半には間に合わない?」
園村さんの家で勉強してくるということは、その後にこっちに来るのかな?
そう思って尋ねたのだけれど、工藤さんはふるふると首を横に振った。
「勉強会には行かない」
「え?」
昨日までは参加するって言っていたのに。
「駄目?」
「いや、駄目ではないけど、どうしたの?」
私の言葉に、珍しく単なるぼんやりではなく、言葉の選択中を思わせる静止をした工藤さんだったけれど、最終的に出てきたのは、
「理由は内緒」
という言葉だった。
「えー」
「……嘘。私と千華留が行くと、勉強の邪魔するから」
言った直後から撤回しているけれど、それよりも。
「邪魔すること前提だったの!?」
邪魔”になる”ではなくて邪魔”をする”というのが。
「……ふふ」
珍しく含み笑いをすると、工藤さんは、
「今回は、ふざけられないって聞いてるから。勉強、頑張って」
と優しく話を打ち切って、私より先に校舎を出ていった。
工藤さんの去っていく背中を見ながら、態度に首を捻る。
うーん、まさかとは思うけれど、工藤さんも中居さんたちみたいに片淵さんの件について、誰かから事情を聞いたとか……無いよね?
まあ、前に言っていたように、唐突に寮へ引っ越してきたところからして、何かしら抱えていることについては気づいているみたいだし、勉強会を急に始めた辺りも何かしら疑問を抱いて然るべきとは思う。
ただ、誰かから事情を聞いていたのであれば、誰から聞いたかをちゃんと確認しておかないといけないし、更にそれが中居さんと同じ出処からの情報であれば、その子は要チェックしておかないと。
下手にその情報を広められてしまったら困るし。
今度、工藤さんと中居さんに情報提供者について教えてもらおうと心に決めて、私は寮へ戻った。
「おかえりー。先生見つかったかねー?」
真面目にノートに向かっている片淵さんが、最初に声を掛けてきた。
「うん。5時半頃からでどうかって」
「オッケー。あ、でも晩御飯はどうするんだろ、先生」
「確かに……」
「何処かに皆で食べに行くとか? 先生のオゴリでさー」
煮詰まったようにうんうん唸っていた岩崎さんが、机に突っ伏して答えた。
「それはちょっと……でも寮に泊まっていく訳でもないから、食堂のご飯を頂くのも……」
岩崎さんの言葉を諌めるように正木さんが言いつつ、自分で自分の言葉にツッコミを入れている。
「というか咲野先生って一人暮らしなのかな?」
「どうだろう? 実家ぐらしなのかは分からないけど、結婚はしてない、はず」
益田さんが自身と坂本先生、咲野先生は独身だと言っていたからね。
あ、そうは言っても、実はひっそりと彼氏さんが居て、同棲中でしたとかであれば分からないけれど。
「そこは先生が来てから決めれば良いんじゃない?」
「そうだね。じゃあ勉強を――」
始めようか、と言おうと思ったのだけど、既に他の3人はノートを開いて、思い思いにシャーペンを走らせ始めていたから、改めて開始宣言する必要はないことに気づいて、
「――私もすぐに始めるから、何か分からないことがあったら聞いてね」
と言い改めた。
正直なところ先生が来る前に根を詰めて、疲れてしまっては意味が無いとは思うから、しばらく休憩というのも手ではあるけれど、だらけたまま先生をただ待っているだけ、というのも他力本願過ぎて良くないとも思う。
何より、岩崎さんにしろ、正木さんにしろ、連休明け直後に寮の宿泊許可依頼を出そうとしたり、ここに皆で詰めかけたのは、落ち着いていられないからだろうと思うし。
それにしても、先生の勉強方法か……どんな方法なんだろう。




