第9時限目 旋律のお時間 その24
「さて、私は寮長室に戻るよ」
腰を上げて、益田さんが飲んでいたマグカップを持ち上げる。
「はい、ありがとうございました」
「いや、こちらこそつまらない昔話に付き合わせて済まなかった。それじゃあ」
軽く手を上げ、マグカップをさっと洗ってから、益田さんは食堂を出ていった。
「益田さんにあんな過去があったなんて……」
去っていく益田さんの背中を見送ってから、私がぽつりと言葉を漏らす。
「知らなかったねー。ってまあ、アタシはそもそもこの寮に来たのが最近だから、寮長さんのことはよく知らなかったけど」
そう言って、片淵さんが軽く笑ってから、手元に視線を向けて「およ」と一驚の声を上げる。
「折角のオムライスが結構冷えちゃったねー」
「あ、確かに」
片淵さんの言葉に、私も手元に視線を落とすと、さっきまでまだ冷えかけで済んでいたオムライスは完全に冷製オムライスと化していた。あらら、勿体無い。
「さっさと食事終わらせちゃおうかー」
「そうだね」
片淵さんの言葉に同意して、私たちは食事をさっさと済ませる。折角のとろとろオムライスは大分冷めてしまっていたけれど、それでも十分に美味しかった。
食事を終わらせて部屋に戻ろうとすると、いつもはそのまま私の部屋に直行する片淵さんが、
「んじゃー、アタシも部屋戻ってるよー」
との言葉を投げかけてきた。
一寸、私は訝しんだけれど、今日は最終日だからたまにはゆっくり物思いに耽りたいとかあるかな、と思って、
「ん、分かった」
と返した。
いつもみたく、軽くひらひらと手を振った片淵さんを見送って、私も部屋に戻る。
ベッドの中央で伸び伸びと寝ていたテオはベッドの端に追いやってから、代わりに私が中央に陣取って体を伸ばして横たわると、不満げなテオは枕の端で丸くなり、ぱさぱさと尻尾を何度も私の顔の上で往復させる。
「……ちょ、やめなさい!」
私はテオを再度ベッドの端に追いやってから、そのテオを背にして横になる。
溜息と共にゆるゆると瞼を閉じると、ふとさっき悩んでいたことが再び頭に過る。
ちゃんと勉強をしないことを言い訳にして、失敗しても仕方がないと言い訳しようと考えてはいるわけではない。
でも、今のままで片淵さんが10位以内までに入れるかと考えると、正直なところ私もわからない。
片淵さんは真面目に勉強すれば、すぐに知識を吸収出来るタイプではあるようだけれど、集中力がとにかく続かない。
たまに30分、1時間続くこともあるけれど、すぐに集中力が切れて、ぐったりしてしまう。
だからこそ雑談から攻めたり、豆知識的な内容から興味を持ってもらうことに終始してみたけれど、時間が掛かりすぎている気はする。
うーん……と悩みながら、とりあえずお風呂に入ろうと、着替えとタオルを持ってお風呂に向かい、洗面所の扉を開けると、
「ん? ありゃ、小山さんもお風呂?」
何故か咲野先生が、全身を一切包み隠さない状態で立っていた。
……ってぇ!?
「さ、咲野先生!?」
「ん? どったの? あ、なんでアタシが居るかって? いやー、それがさー……」
私が聞いていないのに、男らしく……いや、女なのだけど、突っ立ったままで勝手に話を進める咲野先生。いや、せめて隠してください。
「綾里の部屋に泊まろうと思ってたんだけどさー。ベッド2つしかないらしくてさー。で、公香も今日泊まってるらしくてさー。でも、ソファで寝ると腰に来るじゃん? もうそんなに若くないしさー。仕方がないから寮のベッド借りようと思ったワケ。で、折角だからお風呂も寮長室の小さいのより、たまには大きな寮のお風呂に入ろうかなーって、そんなワケよ奥さん」
ほぼ休憩なしで一方的に喋る咲野先生……って誰が奥さんですか。
「んまー、そういうことなんだけど、小山さんも入るとこ?」
「え、あ、いや……その、そ、そうですね」
一瞬「あ、間違えました」と言ってみる選択肢が脳内に浮かんだけれど、お風呂セットを持ってきて何を間違えたのかという至極当然な質問が返ってくるだろうことは容易に予想出来たから、私は素直に首を立てに振った。
良く考えたら、他の子たちと入るときなんかはあまり時間を気にしていなかったけれど、そもそも益田さんや太田理事長との約束では10時以降にこっそり入る、という決まりになっていたっけ。
つまり、本来はこんな時間に入っちゃいけなかったのだけど、最近は片淵さんと一緒に10時前……というか、食事が終わってすぐくらいに入っていたことが多かったから、すっかり忘れていた。
……ああ、そういえば片淵さんを呼ばなくても良かったかな。部屋に戻るって言っていたから呼ばなかったけれど。




