第1時限目 初めてのお時間 その1
「こ、これ……!?」
まだ春先のため、周囲の景色を覆うように下りた帳の色が紅からやや薄い黒に変わった頃。
理事長室に呼ばれた僕は、革張りのソファに座り、目の前の服へ視線を固定させたまま、針のむしろという言葉を体感していた。
ああ、ちくちくと全身が細い針で突かれているように痛痒い。
目の前の革張りソファには女性が2人。
その片方、頬に手を当て、細く整えられた眉をハの字にした年齢不詳のスーツ姿の女性は、勝手に動物園に迷いこんできた羊を見る目で僕と目の前の服を交互に見ては、淑やかな動作で溜息を吐いた。
「申し訳ないのですが、どうやら事務手続きの間違い、みたいなのですよ」
目の前の女性は、単なる転校であればせいぜい初日に顔合わせして「これから頑張ってくださいね」程度の挨拶を終えたら、それ以降在学中に見ることは学期の始まりと終わりのときの挨拶くらいしかないだろう、ってくらいに偉い人。
この女性はここ、西条学園の理事長さんの太田真雪さんである。
理事長さんが出てくるような"緊急事態"というのはなんと……! なんて溜めなくても既に分かっていると思うけれど、単純に目の前にある"女子生徒の制服"を男である僕が着ること、もっと言えば、これを着て、僕がこの西条学園で学校生活を送らなければならないという事案が発生している、と言うこと。
「ご存知かと思いますが、弊校は女子校ですので、本来男性の入学は認められていません。もちろん、今までも不埒な気持ちを持った男性が入学願書を出していたケースがありましたが、今までは正しく事務手続き中でチェックされ、然るべき処置がされていました。しかしながら……」
黒髪のふんわりカールな髪型の理事長さんは、落胆と動揺の色が互いに出ては消え、消えては出を繰り返す声色で、困ったときの癖なのだろうと思われる、髪を指で少し弄びながら声を発する。
面接では何も言われなかったし、書類の性別欄にも間違いなく"男"と書いた。
でも、僕は入学出来てしまった。
何故、今更僕が男だと気づいたのかということについては疑念が尽きないけれど、何にせよ夕刻に片足を突っ込んだくらいの時間にようやく荷物を持って到着した僕が、校門前に立っていた理事長さんに捕まって、荷物を持ったまま理事長室へ連行された後、事情を説明されたというのが今のこの状況。
もっと早く気づいてよ! と思うし、ちゃんと性別は偽らずに記載していたのだから僕は悪くないと思うけど、そもそも転入学の入学願書を出してしまったのは僕といえば僕だから、全く問題がないとは言い切れない。
……あれ、入学願書を出さなければこんなことは起こらなかったのだから、むしろ僕の方が悪いのでは?
で、でも、僕にこの学校の入学を勧めたのは――
「うむ。私が思うに――」
ずっと無言のまま、理事長さんの隣でコーヒーを口に運んでいた、こちらもまた年齢不詳な女性の寮長さん(そう説明された)である益田綾里さんが、やや勿体つけてから、人差し指を僕に向けて持論を展開した。
「キミが可愛かったからだ!」
「そんなの理由になってないですよ!」
そして、ちょっと溜めて言うようなことじゃないですよ! と続けたかったけど、そのツッコミはさすがに初対面の人間にするものではないかなと思って、踏みとどまった。
「ま、冗談はさておき」
冗談だったんだ、今の。
すらり、と黒のタイトスカートから覗く長い足を組み直して、寮長さんは言葉を続けた。
「キミが女性的な顔立ち、声をしているのは間違いない。先ほど太田理事長が言った通り、女子校に男が志願してくる邪なヤツは大抵、写真チェックで弾かれる。写真チェックで誤って通っても、面接時の声で気づく。だが、その容姿と声で、きっと書類の性別欄を書き間違えたのだ、たったそれだけの間違いで落としてしまうなんて可哀想だ、だから今回はオマケで通してあげよう、という面接官の心遣いと思い込みが発生し、晴れてキミはここの生徒になった、とこんな流れだろう」
凄く、出来る女性オーラと共に滅茶苦茶な理論を振り撒く。駄目だこの人……!
でも、違うと言いきれそうになかったのがなんとも。
実際、今まで何度も女の子と間違えられてきたし、小さい頃は妹の服を着せられて、遊びに連れ回されたこともあったし、海でナンパされたこともあったけど! ちゃんと男物の海水パンツ履いていたのに!
……なんか、ちょっと悲しくなってきた。
挫けた心を何とか踏ん張って起こす。
そう、僕自身もいけなかったかもしれないけど、面接でちゃんと落としてくれなかった学校側も原因なんだから、気に病む必要はないんだ。
益田さんが言っていたように、落とすなら面接の時に落とせていたはずだし!
この西条学園の転入試験は、転入試験と同日中に面接もあって、試験要項には『私服で来ること』と記載されていた。
だから僕も素直にそれに従った。
流石にシャツ姿にジーパンというのは駄目だろうと思って、着ていく服に悩んでいたら、試験開始時間に間に合うかどうかの瀬戸際になってしまったから、慌てて手近にあった白のブラウス、ややタイト気味の黒のチノパン姿で飛び出し、試験になんとか間に合った。
ただ、どうやらブラウスは妹のものだったらしく、帰ってきてからしこたま怒られて、その日は一言も会話を交わしてくれなかった。
……もしかして、僕が女物のブラウスを着てこなければ勘違いは起こらなかったとか?
ますます、自分が周りを混乱させてしまったことにより起こった悲劇のような気がしてきて、どんどん肩身が狭くなっていく気がした。
「……あ、あれ?」
そこまで回想して、目の前に置かれた服とのギャップに思考が一旦停止する。
「転入試験の時は、確か私服だったと思うんですが、何故制服があるんですか?」
てっきり、試験要項の制服に関する記載は、制服が無いからだと思っていたのだけれど。
でも思い返すと、確かに転入試験のとき、周りの女の子たちは確かに制服を着ていたような。
「ああ、あれは男女を見分けるために行っているものです」
「……え? すみません、意味が良く……」
僕の至極真っ当と思われる疑問に答えたのは理事長さんではなく、隣の寮長さんの方だった。
「昔、男子生徒がコスプレ用のセーラー服を着て、試験を受けに来たことがあってな。入試のときには遠目からしか生徒たちの姿が見えないし、セーラー服を着ているという安堵感から監視役の教師たちも女子生徒だと思い込んでしまっていた。まあ、その時は明らかに男だと分かるような声だったから、面接の際に気づいて、入学を未然に防ぐことが出来たのだが、それ以降は教師側の緊張感を保たせるためにも、私服での受験を義務付け、生徒1人1人を良く確認して、生徒が男か女かを見極めるようにさせた。まあ、今回は転入手続きだから若干気を抜いていたとはいえ、こうやって男子が紛れ込んでしまった以上、私服受験を見直す必要があるだろうが」
ま、まあ、女性物の服を着て、受験に来たというのは間違いないから、それについては僕も何も言い返せないんだけど。
「で、でも流石に……一緒に生活してたらバレますよね?」
身体測定に体育の着替え。そして何より水泳。男だってバレる機会のオンパレード。多分、まだ気づいていない男バレイベントはごまんとあると思う。
そしてもし、僕が男とバレてしまったら……こ、殺されるよね、肉体的に、精神的に、社会的に。
そんなことを考えて身震いしたら、理事長さんも更にバツの悪そうな顔をして、
「他校への転出手続きをするにしてもまだ時間が掛かりますので、しばらくはここで女性として生活してください」
と、申し訳無さそうな表情とは裏腹に無茶なことをさらっと言ってくださった。それはさながら、脱走したハムスターを掴んで檻に入れるように無慈悲に。
お父さん、お母さん。僕は……もう駄目かも知れません。
「大丈夫だ」
ビシッ、と親指を立てて寮長さんが答える。何故か自信満々。
「な、何か名案があるんですかっ!」
僕は思わずソファから腰を浮かした。
「キミなら、きっとこの服は似合うぞ」
「…………」
立ち上がりかけた体を、特大の溜息と共にソファに投げて沈めた。
何でこんなことになったんだろう。
試験とか面接のときに、登校中の生徒が女の子ばっかりだったことに対して、おかしいと気付かなかった僕も僕だけど。
「あっ……」
理事長さんの漏らした言葉に、もう何が来ても驚かないと僕は観念して答える。
「何でしょう、か」
「ずっと忘れていましたね」
そう言って、優しい、自分の子供を見るような笑顔。
「ご入学、おめでとうございます。小山準さん」
不意打ちだったから、僕の頭の中の全てが一時停止して、なうろーでぃんぐ! って文字が飛び交っていた。
ようやく言葉を噛み締めた僕は、慌てて姿勢を正し、発表会に初めて出た小学生の子供みたいにもじもじしてから、
「あ、えっと……ありがとうございます」
となんとか笑顔で答えることが出来た。
某所に書いたときよりも、情景その他諸々を追加し、こねくり回したお陰で、逆に分かりにくくなったような……。
でも、悩んで書くっていうのは楽しいものです。
8/2 サブタイトルのところで「第1章」になってたので「第1時限目」に変更しました
一応、この先も「○○時限目」で統一します
8/17 文章修正
細かい部分を色々修正しましたが、大半の修正は文章の言い回しを変えただけで内容は変わりません。
2018/11/26 文章見直し
全体的に文章を見直しました。
申し訳ありませんが、修正箇所はそれなりに数が多いため、修正箇所の明示はなしとさせてください。
ストーリー上の変更箇所はありません。
2018/12/16 文章追記
「でも思い返すと、確かに転入試験のとき、周りの女の子たちは確かに制服を着ていたような。」