第9時限目 旋律のお時間 その15
「えええ? 本当ですか?」
ベッドにもたれて、スマホをいじっていた園村さんが目を丸くした。まあ、その反応も理解できますね。
買い物行こうと街まで出かけたのに財布を忘れたのと同レベル……いや、それ以上かも。
「鈍くさい」
「あ、あはは……」
工藤さんの冷たいお言葉もあるけれど、まあ色々あったからシカタガナイネー。
ただ、どうしよう……今はまだ寮長室には戻りたくないという気持ちが種火みたいにちらりちらりと主張している。さっきの今だし、あのパッドも急いで受け取らないと普段の生活に支障が出るほどではないし。
とはいえ、そのまま“アレ”をあの場所に置いておくのも不安がある。
益田さんはさておき、さっき帰ってきたばかりの坂本先生に見られたら私が男だってバレてしまうかもしれないからね。
まあ、坂本先生ならバレても事情を説明すれば分かってくれると思うけれど、理事長や益田さんが坂本先生に教えていないってことは、もしかすると普段から私と接する機会が多い人が私を男だと知ってしまうと、過剰な反応を示したりして、男バレしやすくなってしまうとかを考えているのかもしれない。
……じゃあ、何故益田さんは知っているのか? という理由には疑問が残ってしまうけれど。
兎にも角にも、あの場に女の子変身キット改を置いておくのは得策ではないだろうし、あのパッドだけなら取りに行くのにそんなに時間は掛からないと思うから、ささっと取ってこよう。
「ちょ、ちょっと取りに行ってくる」
「いってらっしゃーい」
「今度は忘れないように」
「お気をつけてー」
再び3人に見送られつつ、私は寮を飛び出したのだけど。
「あ、小山さーん」
玄関を出たすぐのところで、何処かから私の名前を呼ぶ声が。
声はすれども姿は見えず。一体誰?
「こ、小山さーん!」
私が気づいていないことに気づいたか、ボリュームをもう少し上げた声の主が、近くに立っている電灯の下に姿を現したと思ったら、見事にすっ転んで小脇に抱えた箱の中身をぶちまけた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫、大丈夫です……」
コケたときに鼻の頭を擦ったのか、鼻をさすりながら立ち上がったのは、さっきの窮地を救ってくれた坂本先生だった。
あれ、さっき寮長室に戻ったばかりだと思っていたけれど……?
「ど、どうしたんですか、坂本先生」
「あ、はい。なんか小山さんが忘れ物していたと聞いて、私が届けに来たんです」
「……え?」
坂本先生が、私の忘れ物を?
そして、さっきひっくり返した箱って……?
私の背中をひんやりとした汗が伝っていくのが分かる。
「綾里は部屋着だったから、帰ってきたばかりの私がそのまま持ってきたんですよ……ってああああっ!? す、すみません! こ、小山さんの届け物の箱、ひっくり返しました! こ、壊れてないかしら!?」
ああ、やっぱり。
暗闇の中から手探りで目的のものを探そうとする坂本先生だったけれど、
「あ、ああ、良いです良いです! 私が拾います!」
と言った私が拾おうとすると、首を頑なに振る坂本先生。
「駄目です! 私がひっくり返したのですから、ちゃんと綺麗にして渡し――」
言い掛けた坂本先生の声が一瞬でミュートになった。あ、この反応、見つけてしまった……?
坂本先生は、闇鍋で掴んだものを確認するかのように電灯の下へ”それ”を恐る恐る持ち上げ、手元の食べられない柔らか水饅頭に視線を落として沈黙した。
……ああ、寮を出る直前まで心配していた不安が、こうも早く的中してしまうとは。
でも、こうなっては仕方がない。ちゃんと説明しよう。
私が腹を決めたところで、坂本先生は手に握った水饅頭もどきに付いていた砂を払ってから箱に収め、私の両肩に手を置いた。
「……小山さん」
「あの――」
「いえ、言わなくても大丈夫です。思春期ですし、どうしても気になってしまうのは分かります」
「…………はい?」
あ、このパターン、知ってる。
ぐぐっ、と拳を握って坂本先生が力説する。
「胸の大きさを気にして、保健室に相談に来る子とかも居ますしね。ここまで気にしているのであれば、幾らでも相談に乗りますよ。この前もバストアップのための体操を教えてほしいという子が来ましたから」
やっぱり、坂本先生はサイズに悩む乙女が、こっそり胸部の追加装甲を購入したと勘違いしたみたい。
確かに下半身のパッドの方を見つけなければそうも考えられるかもしれない。
というかバストアップ体操を教えてほしい、という話に心あたりがあるのだけれど、まあそれは聞かなかったことにしよう。
「必ずしも大きい方が良いわけではないですが……気にする子は気にしますし。いつでも保健室に来てくださいね!」
うんうん、と自己完結している坂本先生に、私は、
「あ、あはは……そうですね……」
と乾いた笑いを返すしか無かった。




