第9時限目 旋律のお時間 その10
私たちが勉強談義に花を咲かせていると、ふっと浴室の明かりが全て消えた。
「うわぁっ」
私は一瞬だけ体を固くしたけれど、
「……停電?」
とすぐに平静を取り戻した。
まあ、結構古い建物だからこういうことがあっても不思議じゃないよね。中学のときに住んでいた寮もたまに停電とかあったし。
「そっ、そうみたいですね……びっくりしました」
背後の方から園村さんのものと思しき声が聞こえてくる。園村さんの無事は確認出来たし、後は――
「かたぶ……わひゃっ!」
一緒に入ってきた残り2人の状況を確認しようと声を出した瞬間、横から何かがぶつかってきた。
「ど、どど、どうしましたか、小山さん!?」
思わず私が大声を上げてしまったことから、落ち着きを取り戻していた園村さんの声が裏返りそうなほど上ずっていた。
「え、えっと、なっ、何かが私に、くっついて……」
私自身あまり落ち着いていられなかったけれど、私にくっついた何かは私に危害を与えようとする様子は無く、私の腕どころか体全体を木登りするかの如くくっついて離れずにぷるぷると小刻みに震えているだけだった。
え、ええっと、幽霊……という可能性は考えたくないし、それにしては柔らかくて温かいから、残り2人のどちらかだと思うのだけど。
「か、片淵さん?」
「えっと、居るよー? どったの、準にゃん」
ぷるぷる震えている何かとは逆側、少し離れたところから片淵さんの声が聞こえてきた。
「えっと、じゃあ工藤さん?」
私が声を掛けると反応は無し。あれ?
えーっと……この状況からすると、考えられるのは2つ。
1つはこの横にくっついている、小刻みに揺れている特大ホットマシュマロが工藤さんというパターン。
もう1つは、実は直ぐ側に居るけれど黙っておくことによって、残りの私たちを不安がらせてやろうという悪戯のパターン。
工藤さんの性格から後者の可能性も考えられると思ったけれど、そうすると工藤さん以外にもう1人誰か居ないと、このお隣のふんわりバイブレーターの正体が幽霊か何かになってしまうことから、その可能性は無い……と思う。
思う、と言ったのは、園村さんという存在しないものだと思っていた吸血鬼が実在してしまったという時点で、超常現象的な存在を100%否定することが出来なくなったからなのだけど、流石に幽霊は……無いよね?
「工藤さん?」
「…………」
「工藤さーん?」
声は返ってこないけれど、私の呼びかけに応じるように横のあったかスライム的な何かの振動が強くなっている、気がする。
……いや、待って。
もしこの隣の謎の物体Xが工藤さんだとしたら、さっきから腕とかそこら中に触れているこの柔らかいのは……?
「華夜?」
園村さんも声を掛けてくれた瞬間、急激に周囲に光が満ちて、私は目を閉じた。
眩しさに慣れてきて、ゆっくりと瞼を開くと、隣には私の方に顔を埋めながら、生まれたての子羊みたいに震えている工藤さんの姿があった。
「え、ええっと、工藤さん、もう明るくなったよ?」
「……」
ふるふると頭を振って、何かを拒絶する工藤さん。
「く、工藤さーん?」
そろそろ離れてもらわないと、さっきからずっと私の半身全てが柔らかいもので包まれていて、色んな意味で危ない。とても危ない。
「華夜、もう大丈夫だから」
こうなってしまった工藤さんをどうにかしてくれそうなのは、やはり園村さん。工藤さんの髪を撫で付けながら、私の横で縮こまっている工藤さんを宥める。
しばらくそうしていると落ち着いたようで、工藤さんがゆっくりと私の体を離しながら、
「ごめん」
と一言呟いた。
「ううん、大丈夫だけど……暗いの苦手?」
私の言葉にこくり、と頷く。
何故そこまで怖がるのかを聞いてみようと思ったところで、
「誰か入ってるか?」
という言葉と共に、ガラガラと浴室の扉を開ける音。
私たちが入り口に視線を向けると、浴室の中を覗き込む益田さんの姿。
「ああ、入っていたのか。済まない、ブレーカーが落ちてしまってね。さっき直したんだが、怪我とかはないか?」
「あ、はい。大丈夫です」
私がそう答えると、
「そうか。まあ、それなら良かった。お風呂のボイラーも起動させ直すから、お湯が途切れることは――」
答えながら、益田さんが一瞬フリーズした。
……ん? どうしたんだろう。
「あの、大丈夫ですか?」
園村さんが言葉を忘れたような益田さんにそう尋ねると、
「い、いや、ははは、大丈夫だ、大丈夫。ああ、私は大丈夫なんだが……え、ええっと、そうだ小山さん。さっきちょっと、お届け物があったから寮長室に、後で来てくれないかな」
「え、あ、はい。分かりました」
そう言って、益田さんは慌てて扉を閉めた。やっぱり、何かあったのかな。
というか私に届け物? うーん、まあいいか。
「んじゃあ、お風呂上がろうか」
「そだねー」
片淵さんの言葉を合図に、私たちはお風呂から上がった。




