第9時限目 旋律のお時間 その5
……とお任せしたのだけれど。
「あ、ああっ、さ、砂糖溢れてっ!」
「……」
「……」
「うにゃああ!? こ、紅茶がーっ!」
「…………」
「…………」
台所から聞こえてくる沈痛な悲鳴をBGMに、私と工藤さんは向かい合う。
「あ、あの、工藤さん」
「何」
見なくても台所の惨状が目に浮かぶ私は、出来るだけひっそりと工藤さんに尋ねた。
「言いにくいんだけど、園村さんって……」
「そう。千華留は鈍くさい」
「酷いっ!?」
折角、私が園村さんを傷つけないようにと気を使って小声で尋ねたと言うのに、一切の容赦を感じない工藤さんのフルボリュームボイスはどうやら台所にも届いたらしく、ひーん! という泣き声と共に精一杯の反論が聞こえてくる。
「この前も食べさせ合いっこしたいとか言って、チャーハンを私に食べさせようとしたら、手を滑らせて私の鼻にチャーハンをねじ込もうとした」
「ねじ込もうとしてないですよ!? ただ単純にちょっと失敗しちゃっただけですからね!?」
「あー……」
「こ、小山さんも“あー”じゃないですよ!?」
一体、完璧お姉様が、クール吸血鬼になって、ポンコツ美少女とは誰が予想しただろうか。少なくとも、私には無理でした。
最初会ったときの少し高嶺の花感があった初期のイメージはほぼ完全に払拭……いや霧散して、ドジっ娘にしか見えなくなってきたのは、むしろ愛されキャラという立ち位置的には良いと思う。本人がどう思うかはさておき。
「普段……学校は特にそんなでもない。多分、学校で完璧を装ってる反動と、血を吸った後の高揚感が原因、だと思う」
工藤さんは、こちらの内容に関しては急に声量を落として答えてくれた。
「ああ、それも少し納得出来るかも」
顔は見えないけれど、血を吸っている園村さんが興奮してちょっと過激な大阪式ツッコミ改良版を受けているのは知っているし。
「私のときは、準のときほど興奮してないけど」
「そんなに違うんだ」
「全然違う。でも、興奮自体はしてる」
異性の血を吸ったときだけは興奮度が違うっていうのは、何だかちょっとアレな感じがするけれど。
「それに、今回は準に良い紅茶飲ませようと張り切ってるから」
「そ、そんなことナイヨー」
完全に最後棒読みになってる。そうやって張り切ってくれるのは素直に嬉しいけれど、それも血を吸ったことによる影響だったりするのかな?
「でも、こういうときでも奇跡的にケガはしない」
「それはきゅ……体が丈夫だから、とかじゃないかな」
一瞬『吸血鬼』と言い掛けて、慌てて言い換えた。危なかった……何処で聞いている人が居るか分からないし。
「かも」
「で、出来たよー」
マグカップを3つとお茶請けをお盆の上に載せて園村さんがやってくるけれど、緊張しているからか、さっき言っていた高揚感によるものか、台所を出る前から既にカタカタ震えている。
あ、これアカンやつですね。
「私が受け取りますよ」
ひっくり返して大惨事にされたら困るので、先回りして私が受け取る。
「だ、大丈夫ですよ? ひっくり返したりとかしないですよ?」
小刻みにぷるぷるしていて、説得力ゼロ。
「いえ、このままだと確実にひっくり返します」
強制的にお盆を受け取った私は、
「あああ……」
と虚空を浮遊する園村さんの手を振り切り、お盆を机の上に置いた。
よし、セーフ。
「大丈夫なのにー! 別にそんなに失敗しないのにー!」
うーうー言いながら反論する園村さんに対し、工藤さんが口を開いた。
「千華留」
「な、何?」
「喉乾いた」
「あ、う……そ、そうね。じゃあ、頂きましょう」
私はカップを手に取り、香りを嗅いでみると、搾りたてのいちごの脳が蕩けるような甘みが鼻腔をくすぐった。
これはまた随分と甘い紅茶だなあと思いつつ、口を付けてみると、
「……およ?」
思ったよりは甘くない、というか味は上品な味の紅茶だった。香りが香りだから、まるでいちごをかじっているような味の紅茶なのかなと思っていたけれど。
「んっふっふ、驚いたでしょう!」
私の反応を見ていた園村さんが楽しそうに言う。
「これ、なんですか?」
「これはフレーバーティーというんですよ!」
よくぞ聞いてくれました! 感を全面に出しながら、ノリノリで園村さんが答える。
「色んな果物やキャラメルなんかの香りを付けて飲む紅茶のことで、甘い紅茶が飲みたい、でもダイエット中には本当に甘い紅茶なんてノンノン! なんて人にはもってこいの紅茶なんですよ!」
「ダイエット……?」
そう言いつつ、私はお盆の上に置いてある、お茶請けに出されたいちごタルトに視線を送る。
「……こ、紅茶の糖分を抑えた代わりに、お菓子を食べることが出来るのが利点ですから!」
私から視線を外しながら、震え声で園村さんが言う。
……駄目じゃん!




