第1時限目 初めてのお時間 その13
真ん中分けを左右それぞれ違うピンで留めている女子生徒は、上半身を緩やかに折って頭を下げてきたので、私も慌てて頭を下げる。行動の一つ一つが春風が吹き抜けるような暖かみと優しさを感じて、ああこれがお嬢様というものなのかな、なんて思ってマジマジと顔を見てしまう。お嬢様学校じゃなくてもお嬢様って居るものなのですね。
その私の行動に目を丸くして、小首を傾げる正木さん。
「あの、どうかしましたか?」
「え、い、いえいえ、何でもないです」
いちいち仕草にときめいていたらいけない。それ以前に、女同士で仕草にときめくとか、まず無いよね……無いのかな?
わちゃり終わったらしい先生ズの中から、坂本先生がようやくこちらに気づき、正木さんの前に立った。額に手を当てたり、頬に当てたり、これ何本に見える? というネタをやってみせたりした。
……最後のは必要なの?
「正木さん自身、何処かが痛いとか問題がないようだったから、帰っても良いですよ」
「はい、分かりました。特に問題はありませんので、そろそろ……」
「私たちも戻るか。全く、飲む前で良かった」
「あー、アタシも行くー」
わらわらと保健室を出て行く先生3人組に慌てる私。
「ちょ、ちょっと咲野先生! 書類、書類! せっかく取りに来た書類忘れてます! 後、電気と鍵!」
あ、いや、部屋のロックは無いんだっけ。
3人の先生が当たり前のように出て行った後を慌てて追いかけた私は、電気を消そうと手を伸ばしたところで冷静になり、ベッドの上に残っている少女の方が気になって、足を止めた。
「あ、すみません。大丈夫ですか?」
ベッドから体を起こして、スリッパに履き替えようとしていた女の子のところへ小走りで戻って、手を差し伸べると、やや目尻の下がった瞳を更に下げ、華やかさと共に落ち着きのある笑顔で手をこちらに差し出した。
「ありがとうございます」
私よりも幾分か冷えた陶器のような指先を、壊さないように慎重に受け取る。
「いえいえ」
立ち上がった正木さんは、一瞬だけよろめいたけれど、すぐに体勢を立て直して私から手を離し、カーテンレールに掛かっていたハンガーからカーディガンを取って着ると、プリーツスカートの折り目を正しながら歩き出した。私もベッドの上に置きっぱなしになっていた咲野先生の書類を持って、その後を付いていき、電気を消す。
「ああ、ごめんなさい、2人共」
ようやく冷静になったからか、眼鏡のズレを抑えつつ、慌てて戻ってきた坂本先生。しっかりしていそうな先生だったけれど、この人もやっぱり他の2人の友達だけあって、抜けているところがあるんだなあ。まあ、何となく予想はしていたけれど。
残りの2人はというと、十数歩先くらいで「まだー?」みたいな駄々っ子の目をして待っていた。うちの猫よりも躾がなってないんじゃ、この人たち。
保健室の電気を再度点けて、机の上の書類を軽く片付けてから、坂本先生は部屋の鍵を掛けた。
……あれ、今更気が付いたけれど、部屋の鍵ってあるんだね。咲野先生が校内では地下室以外電子ロックは無いって言ってたけど、なるほど、電子ロックが無いだけで部屋ごとにアナログな鍵は付いているんだ。そういえば、先生が職員室に入った時も鍵を開けてたっけ。
ということはこのアナログな鍵は先生たち全員に渡されてるのかな。確かに、いくら学校内に外から人が入ってくるのは容易ではないから安全だと言っても、万が一ということもあるだろうし、生徒たちが勝手に職員室に入ってくることも防ぐという意味合いがあるのかも。
ひんやりした木目柄なリノリウムの床をペタペタと来客用スリッパで歩くと、音が響いて不気味。それが人数分だから、反響を繰り返して尚の事。
先生たちが靴に履き替えているのを見て、ようやく思い出した。私、ずっと上履きじゃなくて靴で学校を歩き回っていた。新学期だからと新しい靴を履いてきたからそれほど汚れていないとは思うけれど、やっぱりまずかったと思う。
同じく靴のままだった咲野先生は私に気づいたみたいで、しーっと人差し指を口元に当てていた。ああ……まあ、そうしましょう。
坂本先生が昇降口の電子ロックを解除してくれたから、私たちは先頭の咲野先生の後ろを歩いて、校舎の外に出た。
「じゃあ、悪いんだけど、小山さんは正木さんをお願いね」
教職員証を持ったままだからか、片手でお願いポーズをした坂本先生に私は頷く。
「あ、はい」
あれ?
坂本先生は私が男だって知らない、んだよね? 何故、私が正木さんを送るって話になっているんだろうか。普通、こういうときは先生チームの誰か1人が送っていく、という話になりそうな気がするのだけど。
嫌だとか言うわけではなく、結局この人は私を男だと知っているのか、それとも知らないのか、分かってて言っているのか、天然で人任せなのか、いやいやそもそもこの学校全体の中で誰が私を性別詐称中真っ盛りだと知っているのかが気になってしまって、夜しか眠られないのだけど。
私に「ほい、懐中電灯貸しとくから、後はよろー」と懐中電灯を手渡した咲野先生は手をひらひら振って、私が差し出した書類を「あ、サンキュー、小山さんがうちのクラスで助かるわー」と調子の良いことを言う。そして坂本先生はぺこりとお辞儀をして、益田さんは私の肩を叩き、耳元で「正木を頼んだぞ」と言ってから軽く手を挙げて去っていく。
私が男だってわかっているから、益田さんが送っていくように言った可能性も考えたけど、あのガサツな性格からするとそこまで考えていない気がする……ということは、皆さっさと帰りたいから、いわゆる押し付けて帰った、というパターン?
でも、この先生ズが正木さんを連れて行くというだけでいろんな意味で不安要素アリアリだし、その……ね、さっきいろいろとあったし、罪滅ぼし的な意味合いも込めて送っていこうとは思っていたから、別に一緒に帰るのは構わない。
……構わないんだけどね?
見栄え上の世間体的では女子高生2人なんだし、夜中の町中を歩いているというのは正直どうなんだろう。補導とかされるんじゃない?
騒がしい先生たちが居なくなって、肌を刺すとまでは言わずとも体を徐々に芯から冷やすような風が吹き抜ける音と草花同士が擦れ合う音しか聞こえなくなった。空は星がそこら中に見えているから雨は大丈夫だろうと思うけれど、ゆっくり星を眺めるにはまだ少し寒い。
「じゃあ、行きましょうか」
正木さんに笑いかけると、こだまのように笑顔を返してくれた。
「ええ、そうしましょう」
ようやく話が展開してきたので、もうそろそろ1章終わるかな……と思ったんですが、ふとある展開を思いついたので、話が繋がってしまいそうです。
……どうしましょう。
ま、まあ、次回続きを書いたときにまた考えます。
8/20 文章見直し
咲野先生が忘れていた書類を渡すシーンを追加したのと、今読み返していて気づいた「上履きではなくずっと靴を履いていた」という事実を追記しました。
後はストーリーにほとんど関係ない言い回しの修正のみです。




