第1時限目 初めてのお時間 その9
てくてく。
保健室の扉を開けて、無言のまま先導するように出て行く猫耳少女、美夜子ちゃん。傍若無人という言葉に服を着せて歩かせるとこんな感じになるのかな、って思うような行動に、私は腹を立てるとかそういう以前に全くさっぱり話についていけないのだったけれど、保健室を出る前に坂本先生を見たところ、優しい笑顔でこう言われた。
「えっと、申し訳ありませんが、美夜子ちゃんに付いていってあげてください。ちょっと気難しいというか、変わったところがある子ですが、悪い子ではないので」
それに、と一度言葉を切ってから言葉を続けた。
「あまり人と関わりたがらない子なんですが、珍しくあなたに興味があるみたいなんです」
益田さんと咲野先生もうんうん、と頷いて私を見るくらいだから、よっぽど珍しいことなんだろうと思う。
仕方がないので、まるで猫が自分のねぐらに招くかのように、10歩くらい先に進んでは後ろを確認して先導する少女に付いていくことにする。坂本先生が来たときにどうやら点けてくれたみたいで、校舎1階全体の照明は既に点いていた。
先をちょこちょこと歩く少女の目的地は下足箱の並ぶ昇降口の前を通り、明かりのほとんどない階段を降りていく先にあるようだった。
……え? ここ1階だから、階下ってことは地下? この学校って地下室があるの?
あ、でもそういえばここに入る前に咲野先生が地下室があるとか言っていたっけ。すっかり忘れていた。まあ、この短時間で色々あったからね。
未だ話が十分に整理がついておらず、ひよこが3羽くらい頭の上をぐるんぐるんと回っているままで、少女の進むがままに付いていく私。大丈夫なんだろうか、やっぱりこんな夜遅くに学校に侵入したことについて尋問を受けるんじゃないだろうか、いや小学生くらいに見える女の子が尋問なんてすることはないよね、別に私はそういう趣味も無いし、なんて不安と疑問の渦巻きに身を浸したまま、少し薄暗い手すり付きの階段を降りていく。
そうそう見失うってことは無いと思うけれど、1階の明かりも届きにくくなって、足元含めてかなり暗くなってきたから、なるべくこの子の近くに居た方がいいかも。
何より階段は結構急で、途中で足を踏み外すと――
「あ」
「ちょっ……!」
目の前の少女は、手すりも使わずにてくてく降りているのが見えていたけれど、おそらく階段の縁に付いていた滑り止めの段差につま先を引っ掛けたのだと思う。少女の体は小さな驚愕というよりは、手元の本が落ちただけのような無感動な声でふわりと前のめりになった。
慌てて、私は右手で少女の腰に手を回……そうとして、少女の左腕をがっちり掴み、左手で手すりを掴……もうとして失敗し、空を切ったままバランスを崩して、階段の下に転がった。
「痛っ!」
……痛いだけで助かったのは、目的地の地下まで後数段しかなかったお陰だと思う。体の節々が悲鳴を上げていたけれど、多分怪我まではしていない、はず。痛かったけど。
倒れた時、どうにか体を捻って倒れこんだことで、少女を押し倒す方向ではなく、自分が下になって受け止められたのが不幸中の幸い。というか、いくら見た目的には女性に間違えられることがあるとはいえ、こんな小さな子に意図せずとはいえフライングボディプレスを浴びせるようなことがあったら、女の子の方は痛いだけでは済まされなかったと思う。
「ふん、やっぱり女の子とくっつきたいだけのヘンタイにゃ」
「……え?」
暗がりだから正確には分からないけれど、おおよそ胸の辺りからそんなヒネた台詞が聞こえてくる。多分、さっきの猫耳ちゃん。
「さっさと離れるにゃ」
私が体を起こそうとすると、私のお腹に鈍い痛み。すぐにその痛みは引いて、その代わりに頭の辺りで足音がした。
……もしかして、お腹を踏まれた? ま、まあ大して重くなかったから、別に構わないけれど。
地下の床は冷たいコンクリートに何かカバーを貼っただけのように酷く硬く、既にほとんど明かりが届いていないけれど体の痛みが治まるのを待ちながら階上を見上げると、何となく深海魚の気持ちが分からなくもない気がしてきた。うん、あまり深海魚とは仲良く出来そうにないかな。
「……ふん、さっさと起きるにゃ。寝転がってたって、何にも見せてやらないにゃ」
ごろり、と横になったままの私の頭上から声が降ってくる。背中をさすりながら立ち上がると、通路の奥の扉が開いており、その先にやや明るい光が漏れ出してきている。その光は結構カラフル。
立ち上がって美夜子ちゃんの後を追い、部屋に入って私は息を呑んだ。
目の前のほぼ三方向を囲むような分割画面はどう見ても監視室だった。その部屋の床中に雑然と広がる用途不明な機械達。その様子はゴツゴツとした磯の中に立っているような気分になる。そして、その海の主である黒猫少女は部屋の中心で、椅子の上に胡座をかいて座っている。
うん、まあ、詰まるところ、何か色んな機械があるみたいだけど、あちこちに置きっぱなしになっていて足の踏み場が殆ど無い。とても、片付けたい衝動に駆られる。
「小山準」
「あ、はい」
意識が別なところに向いていたせいか、思わず敬語で答えてしまう。そして何でだろう、フルネームで呼ばれたからか、死刑宣告でもされるのを待っているような冷や汗が背中を伝う。
「準は――」
ジト目で私を睨みつけるようにしていた割に、美夜子ちゃんがすっと言葉を唇から流したことで、思わず聞き逃しそうだった。でも、その言葉の内容は、ある意味で私にとっては死刑宣告にも等しい言葉。
「――何で男なのに、女子校に通ってるのにゃ?」
「…………えっ」
その言葉で、数回分、瞬きする時間を吹き飛ばされた。
8/20 文章見直し
細かい部分以外では、地下室に行く前の行を直しました。
2018/12/16 誤記修正
「怪談の縁」
↓
「階段の縁」
「……痛いだけで助かったのは、目的地の地下まで後数段しかなかったお陰だと思う。体の節々が悲鳴を上げていたけれど、多分怪我まではしていないと思う。痛かったけど。」
↓
「 ……痛いだけで助かったのは、目的地の地下まで後数段しかなかったお陰だと思う。体の節々が悲鳴を上げていたけれど、多分怪我まではしていない、はず。痛かったけど。」




