破壊の使徒は初心に帰る2
吹き抜ける暖かな春のそよ風は草花を揺らし、花の先端についた綿毛は風に乗って何処かへ運ばれて行く。天気は快晴、陽気な春の昼下がりといった調子でフィルとリオンは踏み固められた草の道を歩いていた。目的の薬草は一箇所に纏まって群生している種なので、目的数以上入手して亜空間に入れてある。フィルといると物の持ち運びが楽でいいと時折荷物持ちとして雇われることもあった。
冒険者として扱われないことに憤って報酬は上限ギリギリまでふんだくってやったが、未だに怒りは収まらない。度量が狭いと彼を知らない赤の他人はそう揶揄するが、幼少期の経験から荷物持ちが大嫌いなのだ。何があったかフィルは深く語りはしない。草原を歩きながら薬草の群生地を見つけては採集を繰り返し、ちょうど二百個ずつ集めた時だった。リオンが唐突に口を開くと同時にフィルの手を掴み、胸元に引き寄せる。
「一応、僕は女だよ?今後はそれ相応に扱ってね」
フィルの触覚は確かにその何とも言えない柔らかさを感じ取っていたが、フィルは無表情で感情には動揺など一片たりとも存在しない。ただただ手のひらが包み込む柔らかさを堪能するため、感覚神経を限界まで研ぎ澄まし、集中していた。彼のことを世間一般にむっつりスケベと呼称する。ちなみにフィルの手中にある柔らかさについての評価及び感想は以下のとおりだ。
まず、絶妙なフィット感を誇り、制服越しだというのに如何ともし難い熟れた果実である。柔らかさに反して形はしっかりしたもので非常に好みだが、批評家の趣味はひとまず捨て置くべきだろう。サイズは軽く見積もってもD、いやEだ。いやはや実にけしからん。しかし紳士を自称している以上、未婚の女性の胸を触った状態で硬直すべきではない。仕方ない、あと二十分くらいで勘弁してあげよう。
フィル個人としては紳士のつもりらしいが、頭に変態と付くことは明らかだ。とにもかくにもフィルのリオンへの対応が決定した。破壊属性と再生属性を混ぜ合わせた異質な魔力を凡そヴァラレイ家分家筋の当主一人分くらい使いリオンの体表を覆うようにコーティングする。如何なる物理攻撃も精神攻撃をも通しはしない不可視の絶対障壁をフィルは今後は分からないが、今のところ唯一無二の親友を大事にする意味を込めて贈った。同時に柔らかさを包んでいた自分の手のひらを引き戻す。内心、未練タラタラだが割愛する。
「・・この濃密で不可解な魔力で構成された障壁は僕が女だって認めてくれた証拠と受け取って相違ないのかな?むしろ相違ないんだよね」
想定外の嬉しそうな声音のリオンに驚きつつも、フィルはずっと黙っていた事を告げてみる事にする。
「昔から・・」
「???」
「昔からリオンの声は高く澄んでいて、肌も綺麗で、容姿も女っぽかったからな。確固たる事実を知るとあまりに可愛く見えるもんだから少し焦った。今後はより一層大事にしないとな」
「っ!?」
無邪気な笑顔と共に告げられた言葉に体の火照りを抑えきれず、小躍りして喜びを表現したい欲求がリオンを襲う。
「ん?どうした、顔真っ赤にして。風邪か?」
そしてフィルの言葉にこいつは難敵だねと溜息をこぼした。本気で疑問符を頭上に浮かべるフィルを無視してリオンは歩行を再開した。次は害獣の討伐だ。薬草を二百個ずつ採集したのはペアの場合、報酬の単位が分割されるからだ。報奨金はペア同士の話し合いで適当に分ける規定となっている。二人は正直金には困ってないのでギルドが戦災孤児の救済をしている。それに回そうと思っている。
最近、何処かの国が国境付近の村にちょっかいを掛けており、既に幾つか村が廃墟と化した。その生き残りの戦災孤児達をギルドが国の代わりに救済しているのだ。本来、国がするべき行為だが今の財務大臣は選民意識の塊みたいな男である。平民を蛮族と罵り裏では人身売買も平気で行う社会のゴミだが、悪事を隠蔽するのが特技で国の上層部にはバレておらず、自身にとっては商売道具に過ぎない平民のしかも孤児のために回す金はないと普通に断言する下郎だ。
その意見が承認されている時点で上層部の人間としての程度が知れる。人気取りのために九大公爵家と王族が個々の名義で支援をしているが、あくまで個人からの援助だ。国は救済活動に直接関与はしない方針をとっている。実質上、救済活動の資金は良識的な冒険者や狩人達の寄付で成り立っている状況で二人はその状態がひどく嘆かわしかった。フィルもリオンも幼少期は辛い思いをしている。せめて、孤児達に最低限の生活くらいはさせて上げたいのだ。
野外学習が始まってから二時間が過ぎた頃、二人はゴブリンの集団と遭遇していた。ゴブリン単体では第十級の害獣だが、種族の特徴としてゴブリンは集団行動を好む。集団の規模によって小隊・中隊・大隊・軍勢とランクが定められ小隊で第九級、中隊で第八級、大隊で第七級、軍勢では第五級の害獣と同等の危険度とされる。数はそれぞれ十~三十、三十~八十、八十~二百、二百~千以上となっているが二人が遭遇したのは小規模の軍勢だ。数は三百前後。ゴブリンは繁殖能力の強い害獣だが元々軍勢レベルは珍しい。
尚、討伐系の依頼は討伐の証明のため特定の部位などを持ち帰る必要がある。ゴブリンはその手に持つ棍棒だ。棍棒はゴブリンが等しく持っている武器である。軍勢ともなると指揮をするゴブリンリーダーと呼ばれるリーダー格が複数存在する。二人が最初に取った行動はゴブリンリーダーの証である色付きの棍棒を持つ個体をダーク・アローで即座に狩ることだ。軍勢であるが故にリーダーを失うと混乱をきたすのもまたゴブリンの特徴である。
思惑通り、統制の乱れた軍勢に次々とダーク・アローの雨を降り注がせる。ギャーギャーと耳障りな悲鳴と濃厚な死の気配、不快な血の臭いが爽やかで壮大な草原の景観を激しく損なわせたが、血の臭いに惹かれて野犬共も集まってくるので一石二鳥だと二人は全く気にしない。どこまでもシンプルに、二人は冒険者なのだ。
屍の山を築き上げ、闇で棍棒だけを浚う。余談だが闇属性持ちはフィルのように荷物持ちとして重宝される。生み出した闇の内部はそれなりの容積があるのだ。後は言わずもがなである。閑話休題。
殺戮を終えて数分経ち、次の獲物がやってきた。雑食の野犬とお零れに与ろうと大ネズミが集まってきたのだ。当然、速攻で狩られていく。証明部位は双方共に尻尾だ。正直、気持ち悪いが。故に証明部位の確認をする受付の役職に就くものには忍耐が必要とされる。こうして初心に帰り、一方的な虐殺を終えた二人は意気揚々と以来達成の報告に戻った。提出された証明部位の多さに百戦錬磨の受付嬢もさすがに色んな意味で悲鳴を抑えられなかった。結果は獲得単位、それぞれ五。報酬は一万三千ギル。
二人は少し遅めの昼食中にSクラスの生徒数人が重傷を負って保健室に運び込まれたという話を耳にした。幸いにも優秀な保険医によって傷は即座に治癒されたが、精神的なショックが大きかったのか寝込んでいるらしい。運び込まれた内の一人がうわ言のように黒い鷲〈ブラック・イーグル〉と呟いていたそうだ。それを聞いた教師陣や九大公爵家の直系に近く他国の事情に明るい生徒達に緊張が走った。
黒い鷲〈ブラック・イーグル〉は凶鳥として知られる第二級の害獣だ。しかし、重傷を負った生徒達が依頼で向かった先に棲息する害獣ではないし、万が一にも出没する可能性はない。だとするならば、この場合の黒い鷲〈ブラック・イーグル〉とは邪神を信仰し、邪神教至上主義を掲げる邪神教国の騎士団のことだ。黒い鷲が描かされた軍旗がシンボルで知られる。俄かに信じがたいが最近は邪神復活を目論んでおり、生贄に特殊な属性を持つ人間を拉致しているらしい。
この件は国に報告し国境付近の警備体制を強化することでひとまず決着するが、後にフィルとリオンを中心として巻き起こる世界を揺るがしかねない大事件の前哨戦の始まりだった。