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日月(たちもち)の巫女  作者:
第一章
3/86



 巫女の神殿で、グレイスとセフィは両親を出迎えた。膝をつき、深く頭を下げた姿勢で二人を迎え入れる。

 神聖さにおいて、日月の巫女の上に出る者はないとされている。二人はたとえ、一国の主に対しても、何らかの宗教の最高位の者に対しても下にいる必要はない。けれど、今日は娘として両親を迎えていた。

 父王はがっしりとした体格に、いかめしい青い瞳の壮年の人物。二人の娘を見る目は優しい色を浮かべている。めったに顔を合わせることのない娘は、聖人である以前に何よりも大事な娘なのだ。

 そして、母である王妃は栗色の髪と瞳の、ほっそりとした優しげな人だった。娘たちを見る目が少し潤んでいるのは、気のせいではないだろう。

 二人とも控えめな身なりでここまで来ている。乗ってきた馬車は、森に入る辺りに置いてきていた。馬に乗り、馬は神殿の表につないである。

 何と言葉をかけようか、思いあぐねている間に、グレイスが顔を上げた。生き生きとした顔に、嬉しそうな笑みが広がっている。十五になる娘は、そのままためらいなく立ち上がり、父に駆け寄るとぎゅっと抱きついた。

「お父様、少し髪に白いものが混じりました?」

 グレイスはいたずらっぽい笑みを浮かべながら挨拶代わりに問いかける。父王はほっとしたように、愉快げに声を上げて笑った。そうして首に腕を絡ませている娘の細い体を抱き上げる。

「心配事が多いんだよ。国のことも、お前たちの兄弟姉妹たちのことも」

 父が言うのを聞きながらとんっと父の腕から降りたグレイスは、母の首にもそっと腕を巻き付ける。

「お母様は、相変わらずきれいね。お父様と仲がいいのね」

 グレイスには屈託がない。会わなかった時間の長さなど忘れたように両親に当たり前に話しかける。そして、何のためらいもなく二人に甘え、手をのべる。

 会わなかった時間の溝を簡単にグレイスが埋めてくれると、両親は顔を上げ、立ち上がって微笑みながら自分たちを見ているセフィに目を向けた。

「元気そうだな」

「はい。お父様とお母様もお元気そうで、ほっとしました」

 セフィも、構えるところのない穏やかな声で答える。けれど、その首にグレイスのように抱きつきはしない。そうしようとすれば、セフィは恐怖に固まってしまうだろう。何年も前のあの記憶が、どうしても消えないのだから。

 王と王妃も、セフィに手をのべ、その頬に触れ、あるいは髪を撫でようとはしなかった。ただ、娘を見る目に優しさはある。距離をおいた優しさは、かえっていっそうセフィを切ない気持ちにさせた。

 それに気づくことはなく、娘二人の元気そうな様子に安心しながら王と王妃は微笑んでいる。グレイスがその二人の手を引いた。

 手を引いていつものように神殿の向こう側にある建物に案内しようとするグレイスを、父王は軽い笑い声をあげながら止めた。

「待ちなさい、グレイス。今日はちょっとここを出ないか?」

「え?」

 きょとんとした顔で振り返ったグレイスは、やはり驚いたように目を見開いているセフィと顔を見合わせる。二人の目がどういうことかと問うように両親に向けられた。

「二人の十五の祝いの舞踏会がある。それに出席していいという許可は出ている」

 二人を監督する位置にいる聖職者がいる。まだ若い青年だ。怜悧な印象を与える人物だが、人々の信頼は厚い。二人の巫女にとっては厳しい教育者であると同時に、信頼できる庇護者でもあった。二人の力を借りたいという者が出た時には、必ず彼を介すことになる。そしてまた、二人が聖域を出ることができるかも、彼の是非によった。

「いいの?」

 グレイスがぱっと顔を輝かせる。王族の娘として生まれながら、そのような華やかな席からはほど遠いところで育ってきた。いかに俗世から離れ、巫女として教育されてこようとも年頃の娘であることに変わりはない。舞踏会に憧れ、華やかな場所に胸をふくらませるのは同じことだ。

 その娘の反応にもちろんだ、と、父王は深く頷く。王妃は喜びのあまり父王に半ば抱きついているグレイスの髪を撫でた。この日の衣装も、きちんとあつらえてある。十五の祝いは、成人の祝いでもある。そしてこの娘にとっては社交の場へのデビューでもあった。それぞれの容姿をもっとも映えさせる衣装をと、心を砕いて用意してある。それを身に纏った姿を見るのが楽しみだった。

「数日、こちらに泊まっていいと許可が下りています。十五になればあなた達も成人ですから。少し、実家でゆっくりなさい」

 グレイスに言い、そうしてからセフィにもその目を向ける。

「月姫、お前もおいで」

 父王は手招きながら声をかける。けれど、その声にはわずかに不安が混じった。

 セフィは小さく首を振った。

「セフィ?」

 問いかけるようなグレイスの顔に笑って見せながら、セフィは両親に頭を下げた。

「すみません……せっかくですが、わたしは賑やかな場所は苦手ですので」

 用意してあったように断りの文句が口をついて出る。

 口ではそう言っても、セフィもグレイスと同じように、年頃の娘だ。それは本心というわけではない。確かに、賑やかな場所は苦手ではあるが、そこに対する好奇心はもちろんある。けれど、その言葉を聞いた両親の顔を見て、これでいいのだと思う。

 グレイスの手は生を与える。だから人は皆、競ってグレイスの手を取りたがる。普段からその力が発揮されるわけではなくても、その力の一部でも得、光栄に浴したがるように。

 しかし、セフィの手は死を与える。人はその手に、その身に触れることを恐れる。近寄ることをも恐れる。死は忌むべきもの。セフィの与える安らかな死は、その力を望んだものにしか、そのセフィのもたらす死の喜びは分からない。しかし、死を喜ぶことも、セフィには悲しい。

 とにかく、セフィは行かない方がよいのだ。舞踏会と言えば手を取らないわけにはいかない。そして、グレイスとセフィが主役となれば、最低でも誰か一人はセフィの手を取らざるを得ないのだろう。その人物がいやな思いをする。それが、セフィには手に取るように分かっていた。

 グレイスはそんな妹に問いかけるような目を向け続ける。

「セフィ、行かないの?」

「うん。グレイスがわたしの分まで楽しんで来て」

 セフィが向けた微笑みはいつもの通りの、穏やかなものだった。うん、と、グレイスは煮え切らない頷きを返す。一緒の方が楽しいのに。

 それから、思いついたように両親を見た。父も母も大好きだが、それでもいつも一緒にいるわけではない。本当に気心が知れている、とはとても言えなかった。知らない人ばかりの場所に出ていくのは、グレイスでも多少は緊張する。それは期待のために胸が締め付けられるように感じるのかもしれなかったが、それでもよく知った人が一人いれば、と思う。

「ねえ、カイザーも一緒に行ってはだめ?」

「カイザー……?」

 呟くように言いながら父王と王妃は顔を見合わせた。それが、娘たちと共にこの聖域にいつの間にか暮らし始めた流れ者だとは知っている。ただ、あまり好ましいとは思っていない。巫女には恋愛は法度である。だが、そのためではない。一国の王女の身辺に身元の分からない若者がいるということが問題なのだ。

 が、二人がそうしている間にグレイスは決まったとばかりに念を押す。やりたい、ということに否を出されるとはグレイスは思っていない。確かに、監督官やカイザー、セフィからはたしなめられたことも駄目だときっぱりと言われたこともある。けれど、その三人は特別なのだ。

「ね、呼んでくるわね」

 言い終わらないうちに踵を返し、軽やかに走っていってしまう。顔を見合わせていた二人は、困惑顔をセフィに向けた。

 カイザーも行ってしまえば、セフィはここにしばらく一人になってしまう。けれど、舞踏会は普通なら楽しいのだろう。行かないのは自分の我が侭だ。この上カイザーを引き留めるわけにもいかない。

 セフィは両親の困惑を読みとって励ますような笑みを向けた。

「大丈夫ですよ。カイザーはいい人です」

 きっぱりと、セフィにそう言われると二人も妙に納得する。それでもやはり、心配はぬぐえない。カイザーがどういう人物か、には安心できても、その若者が巫女である娘と共にいるのを人はどう見るか、に安心ができない。

 そのうちに、グレイスは強引にカイザーの腕をひいて戻ってきた。まだカイザーは状況が飲み込めていないようだ。そのカイザーに、グレイスは屈託のない笑みで、答えを確信しきった様子で言う。その様子は無邪気以外の何ものでもない。

「カイザー、一緒にお父様たちの所に行きましょう。ねっ。十五の祝いの舞踏会を開いてくださるんですって」

 弾んだグレイスの声を面倒そうに聞きながら、カイザーは心配そうな王と王妃を見た。これで行ったところで招かれざる客だ。何より、そんな場所は苦手、と言うよりも嫌いと言った方がいいだろう。

 それからその目をセフィに向ける。セフィはくすくすと笑っていた。自分が困っているのに気づいて笑っているのだな、と察してカイザーはセフィを軽く睨む。

 それからそうか、と思い至った。セフィが行くのなら、自分も行った方がいいかもしれないと。自分なら、何も気にせずにセフィのパートナーを務められる。ただ、セフィがいまだに自分に触れようとしないことにも気づいていたが。

「二人とも行くのか?」

 二人の両親がいるからと言って、言葉遣いをわざわざ変えるようなカイザーではなかった。その辺りは既に父王も王妃も承知している。今さら目くじらを立てる気にすらなれなかった。

「グレイスだけ行くの」

「セフィ行かないんだって。だからカイザー行きましょうよ」

 一人でつまらないから、と続けようとしたグレイスを遮って、カイザーはその目の前に手をかざした。その仕種にうっと言葉に詰まり、グレイスは問うようにカイザーを見上げる。

 一人でつまらないのは自分よりもセフィだろう、とは思わない。セフィは一人でいることが多い。だから一人が好きだというわけでもないのは分かっているが、ここでカイザーと一緒に行ってもセフィが怒らないことだけはグレイスにも分かっていた。

「二人が行くのにオレが残るのはまずいかもしれないが、セフィが残ってるんならべつにいいだろう。お前は楽しんでこい」

「えぇぇぇっ!」

 不満そうにグレイスは頬をふくらませる。セフィが気遣うようにカイザーの顔を見上げた。自分に遠慮しているのだろう、と。

 が、ほっとした様子の父王と王妃はカイザーの話はそれですましてしまい、改めてセフィを見る。セフィが見て取った通り、確かにセフィが行かないと聞いてほっとしたのを二人は否定できないだろう。それは、セフィの気遣いをする必要がなかったからでもあれば、娘を思う気持ちと共に、どうしても消しきれない、月巫女の力に対する怖れを隠し続ける労力が必要なくなるから。

「月姫は、本当に行かないのか?」

 頷くセフィを横目に見ながら、カイザーはぴくり、と眉を上げていた。両親までがセフィを月姫と呼ぶ。それはセフィの名ではないというのに。そしてまた、親しみを込めて付けられた愛称でもないのに。


 父王と一緒に、抱きかかえられるように馬に乗ったグレイスはじっと訴えかけるような目で見送るセフィとカイザーを見つめる。一緒にいければもっと楽しいのに。

 確かに、いつも外出許可があっても行くのはグレイスだけ。セフィは一度、一緒に行った以降、出ようとはしない。その時、グレイスは楽しかった記憶しかない。ただ、その時に何かあったのかもしれないとは思う。何も、気づかなかったけれど。そして、ずっと昔の記憶で、それほどよく覚えているわけでもない。

 見えなくなってからグレイスはようやく前に目を向けた。緩やかに馬は進み、森の木漏れ日が柔らかく降り注いでくる。ここはいつも、きらきらとした印象がある。

「やはり、月姫も一緒の方がよかったかい?」

 不意に問われ、グレイスは顔を上げた。そうして、かぶりを振る。それは我が侭だと思う。セフィは嫌がっていたのだ。

 「月姫」という響きが、グレイスには羨ましかった。その呼び名は、セフィによく合っている。そうしてまた、敬っているのだ、と、感じさせる。敬う、という行為に伴う距離は、グレイスは無視していた。

 ただ、時折、父も母も月姫、としか呼ばないことには違和感を覚える。自分を名前で呼ぶのならセフィも名前で呼べばいいのに、と。

 そんなことを思いながら呟くように返事をする。

「セフィは、本気で嫌がっていたもの。わたしが無理を言えばきっと来てくれたけど」

 それではセフィは楽しめない。

 父王はその言葉に目を細めた。明るく奔放な日巫女のグレイス。誰にも好かれる王女だ。日巫女という立場がなくとも、誰にも好かれたろう。そして、グレイスとセフィは互いに互いを思っている。

 父王は、グレイスが日巫女という立場がなくとも誰にも好かれると、そう感じた。しかし、月巫女であるセフィがその立場ゆえに、人との距離を取るようになったことには思い至らない。幼い日、手元にいた二人が同じように屈託なく、明るく笑い合っていたことを、忘れてはいないはずなのに。



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