死にたがり令嬢が生きたいと願うまで
栄光ある王立貴族学園の卒業記念パーティー。この日のために飾り付けられた豪華な会場は、今は水を打ったように静まりかえっています。おめでたいはずの舞台で始まった断罪劇に、噂好きの貴族たちは興味津々でした。
「レティシア、当に調べはついている。……お前が聖女様を虐めたんだな」
罪状を述べるは我が婚約者、パトリック・オースティン。いえ、婚約者だったと言うべきでしょうか。私は当に婚約解消を打診されているので。
「はい、間違いありませんわ。パトリックに近づいた聖女様に、私は報復をいたしました」
素直に認める私に、ざわざわと観客がどよめきます。潔すぎる私の態度は、稀代の悪女と呼ぶに相応しい——誰かがそんなことを言っているのが聞こえて来ました。
「わかった……。レティシア・グレイソン。今日を持って、君との婚約を破棄させてもらう。他の罰については追って通達されるので自宅で待つように……。こんなことになって残念だ、レティシア。では」
パトリックの言葉が終わるや否や、私は騎士に引っ立てられ、惨めにパーティー会場から引き剥がされました。そして馬車に押し込められ、自宅に向かわされます。私の中には怒りも悲しみも、もはやかけらもありませんでした。ただただ深い絶望が、そこにはあったのです。
自室に帰り着いた私は、自分の部屋で隠し持っていた毒を飲みました。これ以上辱めを受けるなら。これ以上苦しみを背負うなら……いっそ、一瞬の苦しみで終わらせてしまいましょう。自殺が成功したことは、私にとって何よりの幸福でした。
***
——だと言うのに。
神様、これは一体何という罰なのでしょうか?
先ほど、私は死を選んだはずなのに——いつものように次の朝が来てしまったのです。私が寝台で絶望していると、いつものように侍女が入室して来て、朝の支度を始めます。私は違和感を覚えました。侍女は当たり前のように学園の制服を用意しています。——つい先日卒業して私には必要なくなったはずの制服を。
私はまさか、という恐れを抱きながら侍女にこう尋ねました。
「ねえ、マーガレット。今日は何年の何月何日だったかしら……?」
結論から言うと、私は自殺を図った日からきっかり一年、巻き戻っていたのです。
私が絶句している間も侍女は器用に制服を着付けてくれます。あっという間に学園でのレティシア・グレイソンが完成しました。朝の支度を終え、自分の仕事を全うした侍女は部屋を出ていって、私は一人になりました。
私はこれからの一年に起こるであろう出来事を思い起こしました。聖女様の涙一つでころっと寝返った婚約者、友人、その他もろもろ。どうせ最後には裏切るやつばかりが、学園で待っているのです。
ずっと耳鳴りがしています。ざあざあと、ひどい雨が降っているような不快な感覚が身の内を荒れ狂って、私に囁くのです。
苦しいのは一瞬だよ、と。
私は護身用の短剣を片手に取り、首筋に当て——ようとして叩き落とされました。
私は目を見開いて自殺を未遂に終わらせた人物を見つめました。息を切らして私を睨みつけているのは、婚約者のパトリックだったのです。
「パトリック、どうしてここに……」
「話は後だ。短剣はこれだけか? ロープは? 毒は」
パトリックは無礼にも乙女の部屋を隅々まで暴き、全ての自殺のための道具を没収してしまいました。
あまりの横暴さに私はポロポロ涙をこぼしながらパトリックの胸をポカポカ叩きました。
「ひどいです。ひどいですわ……! 道具を全部没収なんて。どうしてここまでするんですの!?」
パトリックは泣き止まない私の髪をさらりと一撫でして、まっすぐ私の目を覗いてこう言いました。
「逆に聞くが、どうしてそこまでして死にたいんだ?」
「うぐっ」
私は言葉に詰まりました。
私はこの時間軸から一年後の断罪の日が耐え難くて死にたい。けれどその絶望は、私にとってはつい昨日のことなのです。
しどろもどろになる私を、パトリックは急かさずゆっくり待ってくれました。
結局、あなたに婚約破棄される夢を見て絶望した、と言うことにしました。パトリックは「そんなことにはさせないから安心してくれ」と私の頬を優しく撫でながら言いました。私はその言葉をとうてい信じていませんでしたが、今この瞬間注がれる彼の優しさが嬉しかったので、とりあえず今日死ぬのは止めることにしました。
私はガタガタと馬車に揺られながら、花がちらほら咲きつつある街道を眺めました。穏やかな日差しの中では冬服は少し暑いくらいで、滲んだ汗をそっとハンカチで拭き取ります。
「暑いのか? 仰いでやろうか」
「いえ、それほどでは……。というかパトリック、本当に毎日一緒に登校するんですの……?」
「もちろんだ」
パトリックの甘やかしは突然始まりました。登下校はもちろん一緒。荷物を持ち、昼食は一緒に食べ、美味しいお菓子は私のために取っておいてくれる。クラスメイトからは彼はおかしくなったんじゃないかと揶揄われたり、心配されたり。
彼が私のことを大事にしてくれるのは、浮き上がるほど嬉しいです。けれど、私はどうして急に? という問いを捨てきれずにいました。
「あの、パトリック」
「なんだ?」
「どうしてここまでしてくれるんですの?」
パトリックは少し口を開き、閉じて、また開いた。
「お前の命を、他でもないお前から守るためだよ」
私は。
私は何度だってあの屈辱の日を思い出しては死にたくなるのですが、彼が注いでくれる優しさは、その絶望を少しだけ軽くしてくれるのです。
***
そんな風に甘やかされる毎日を過ごすうちに、本格的な夏がやって来ました。夏は苦手です。汗でべったりと濡れた衣服が不快な上、私は熱中症になりやすく、年に一度はぶっ倒れるのです。
そんな夏に、彼女は編入して来ました。そう、聖女様です。その日、私は発作的に死のうとして屋上へ行き、パトリックに腕を掴まれ止められました。
「彼女はただの転入生だ。レティシアになんの危害も加えないし、決して加えさせない」
そう宣うパトリックに、私の中の何かがぷちっと切れました。
「パトリックは知らないだけですわ! あの女があなたにどんな色目を使ったか! あなたはあいつの嘘泣き一つでころっと騙されて……それで……それで私は……!」
泣きじゃくり叫ぶ私を、パトリックは優しく抱きしめました。私は酷く怒っていましたが、彼の暖かい腕には抗えませんでした。
「私はずっと死にたかった……!」
パトリックの腕がより一層強く私をかき抱きました。互いの心臓の音が聞こえるほど、私達は近くにいました。
私が落ち着いて泣きやんでも、パトリックは私を抱きしめたままでした。彼はぽつりと「俺はずっと誤解してたんだな」とこぼし、私の瞳を覗き込みました。
「今日は本音が聞けて嬉しかった」
パトリックが離そうとしなかったので、私はしばらく彼の心臓が早鐘の様に脈打つのを感じていました。
***
日が落ちるのが早くなったと如実に感じる様になった頃、私は薄暗い校舎パトリックを探して歩いていました。この頃には一緒に帰ることに私も一切の違和感を抱かなくなっていました。
そんな時に見てしまったのです。パトリックが聖女様と一緒にいるところを。私は二人の様子を影から見つめずにはいられませんでした。
聖女様は涙目でパトリックに何やら言い募っている様です。私は影で爪を噛みました。本当に忌々しい。何を言っているかは分かりませんが距離が近すぎます。これは浮気ですわ!
憤慨する私に冷静なもう一人の私が囁きます。
——また裏切られるんじゃないか?
やって来た絶望に私は耳を塞ぎました。
——今死んだ方が良くないか? 苦しみは一瞬だよ。
うるさいうるさいうるさい! 死ぬならせめてあいつらに文句の一つでも言ってから死んでやりますわ! 私はいつまでも押し問答をやめない二人に猛突進しました。聖女様とパトリックの間に体を滑り込ませます。
「恐れながら聖女様、この方は私の婚約者ですの。いつまでも話しかけないでくださる? あなたもあなたよパトリック! もう下校時刻でしょう!? ずっと探してたのよ!」
無事パトリックをもぎ取って進む私を、聖女様は憎々しげに睨みつけました。私はフンと鼻を鳴らすと、パトリックに腕を絡めて馬車へ向かいました。
「……怖かった」
溢れた本音にパトリックは苦笑して「助けてくれてありがとう」と抱きしめてくれました。
***
栄光ある王立貴族学園の卒業記念パーティー。この日のために飾り付けられた豪華な会場は、楽しげに笑う卒業生で溢れ、おしゃべりが止むことは決してありませんでした。
一年前の今日、私はここで婚約を破棄されました。ややこしいですね。巻き戻る前の今日の話です。
それがどういうことでしょう。私はそのパーティーでパトリックとダンスを踊っています。これは夢でしょうか? 私は確かに全てに絶望して毒を飲んだはずなのに。パトリックは今ここにいて、踊りながら私に笑いかけている。足元がふわふわして、頭がぽおっとして、何故だか無性に泣きたい気持ちでした。
「そろそろ休憩しよう」
そう言ってパトリックは私を中庭に連れ出しました。バラで彩られた庭園に人影はなく、私たちは二人きりでした。パーティー会場の喧騒が遠く聞こえて来ます。
空には満天の星空が広がっていました。白い息を吐く私に、「寒くはないか」とパトリックがジャケットを羽織らせてくれます。残っている彼の温もりが暖かくて、私はそれを胸の上で握りしめて「ありがとう」と言いました。
「レティシア」
「なあに、パトリック?」
「結婚しよう」
私は驚いて彼の瞳を見つめました。その目には一片の冗談もなく、彼は本気だと私は悟りました。
「これからも一番近くで、君の命を他でもない君の手から守らせて欲しい」
私は顔をくしゃくしゃにさせてうん、うん、と頷きました。泣き出した私をパトリックが抱きしめて、いつかの様に彼の鼓動に耳をすませます。早鐘の様なそれに笑みをこぼして、私はパトリックの瞳を覗き込みました。
「私はこれからも、愛するあなたと一緒に生きていきたいです」




