私
誰もが幸せになる方法を、いつも考えている。
幸せはどこからくるんだろうか。
この世に存在しているんだから、脳内物質によるものなんだろうか。
なら、それはどんなときに分泌されるんだろうか。
分かりやすい例は、三大欲求だろうか。
でも、誰もがそれで幸せになれるわけではない。
容姿を否定されて、食を拒絶する人がいる。
性というものに、嫌悪を感じる人がいる。
寝ると悪夢ばっかり見るから、なるべく寝たくない人がいる。
最後のは私だったりする。
みんな共通に幸せになれるものは、ないんだろうか。
どう足掻いても、みんな別人だから。
少し思い直してみる。
別に、誰もが同じことで幸せになる必要性はない。
それが存在するなら楽かと思ったけど、別になくても可能かもしれない。
安心、安全、これは必須。
でも、安定であることは、幸せと言えるんだろうか。
天国を考える。
変化がなく、発展がなく、一定が続く。
それは、幸せだろうか。
いや、違うや。
そのとき、私たちの体がそのままである可能性はほぼ皆無であろうから、幸せの定義は確実に別のものだ。
脱線した。
行動とは、なぜするんだろうか。
これはおそらく、幸せになるため。
この仮の結論に、現状反論が思い浮かばないので。
極論を考えればいくらでも反論は思い浮かぶが、そんなことを考え始めたらきりがない。
すると、行動を考えれば、答えが分かるかもしれない。
私は今、考えていることをただ書き連ねている。
これをすることで、私は幸せのようなものを感じているんだろう。
あーーー。
思考がつまった。
私は人を知らなすぎる。
それを考えるステージに立てていない。
誰もが幸せになれる世界を、私は諦めたくない。
机上の空論でもいいから、存在してほしい。
なら、希望が持てる。
だから。
まだ、答えは出しちゃいけない。
というか、出せない、
でも信じてる。
私が死んだ後でもいいから、誰もが幸せである世界が存在していることを。
生まれたことが正しかったと思いたい。
生まれることに希望を持ちたい。
これから生まれる全てが、綺麗で、素敵であることを信じたい。
私が納得できる何かが欲しい。
だから、私は考え続ける。
条件で決まる幸せなんて嫌なんだ。
一部は仕方ない。
なんてことは、嫌なんだ。
そんなことが肯定されるような世界なら、存在しなくてもいい。
希望がない世界なんて、嫌なんだ。
世界は最初から不公平で、誰かの不幸は避けられない。
それは、ただ諦めているだけなんだ。
どんな人も、私は好きなんだ。
すぐ怒る人も、話が通じない人も、なんでも否定する人も、人を殺してしまう人も、誰かと比べなきゃどうしようもない人も。
みんな、幸せになってほしいと思うんだ。
だってさ。
生まれたんだもん。
慣れたくない。
誰かの涙を見て、悲しみたい。
生きにくくなってもいいから。
そういう私でありたい。
生まれただけで、幸せになっていい。
そう言い切りたい。
愛してるよ。
世界はやさしくないかも知れないけど。
私は、みんな好き。
嫌いなふりは、もうしたくない。
嫌いなんて、もういいたくない。
人を好きでいたい。
泣きたい。




