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『不実のコード』ソースは嘘をつかない  作者: リコウ
第一章 聖域のデバッグ
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第二話:逆光の会議室

 帝都中央銀行本店、十五階。重厚なマホガニーの扉の向こう側にある「特別応接室」は、今や酸素が

欠乏けつぼうした潜水艦の内部のような、息苦しい緊張感に満たされていた。


 部屋の上座では、頭取の奥田が深く椅子に背を預け、沈黙を守っている。その横には、広報担当常務、リスク管理担当役員、そしてIT統括部長の佐藤が、まるで行き止まりの路地に追い詰められたかのような顔で並んでいた。


 逆光の中で、壁に設置された大型モニターが不気味に赤く発光している。そこに映し出されているのは、行内の全端末に表示されたものと同じ、身代金要求の英文と髑髏どくろの紋章だった。


「……それで、久保田君。この『二十億』という数字だが。払えば、元通りになるのかね」


 奥田の低く、静かな声が室内に響いた。それは質問というよりも、経営者として最悪の選択肢を吟味する冷徹な響きだった。


 澪は、役員たちの射抜いぬくような視線を正面から受け止め、毅然きぜんとして答えた。


「わかりません。身代金を支払い復旧したという過去の事例もありますが、データが完全に復旧ふくきゅうされる保証はありません 。過去のランサムウェア被害の事例を見ても、暗号解除のキーが送られてこないケースや、復元作業中にシステムが瓦解がかいする例が多々報告されています 。何より、反社会的な組織に資金を提供することは、銀行としての倫理に反します」


綺麗事きれいごとを言っている場合か」


 IT統括部長の佐藤が、いら立ちを隠さずに割って入った。


「オンラインが停止してすでに二時間が経過している。窓口、ATM、ネットバンキング。すべてが死んでいるんだ 。このまま一晩ひとばん開ければ、明日の朝には『システム障害』では済まされないパニックが起きる。銀行の信用は、地に落ちるんだぞ」


「佐藤部長、これは単なる障害ではありません」


 澪はモニターの警告文を指差した。


「攻撃者は、少なくとも十日前には我々のネットワークに侵入していました。管理者権限を奪取し、潜伏しながらバックアップの所在や復旧手順をすべて調査していたんです 。そして今日、準備が整った段階で一斉に発火させた。これは緻密ちみつに計算された『標的型攻撃』です 」


「十日前だと?」


 リスク管理担当役員の顔が、みるみるうちに土気色つちけいろに変わった。


「その間、数億円を投じたセキュリティ監視システムは何をしていたんだ!」


「攻撃者は正規の管理ツールを悪用していました。システムの正常な動作にまぎれ込ませる手法です 。機械的な検知をすり抜けるのは、今の我々の防御力では不可能でした」


 専門用語を並べる澪に対し、役員たちは理解できないことへの焦燥しょうそうつのらせていく。


「要するに、君たちの力では手も足も出ないということか」


 奥田頭取の冷たい一言が、澪の胸を刺した。


「……感情論でシステムが動くなら、今ごろ私は神様になってます。現在の行内こうないのリソースだけでは、汚染範囲の特定すら困難です。もし不適切な復旧作業を行えば、それこそ預金データそのものが物理的に破壊され、永遠に消滅する恐れがあります 」


 澪の言葉に、部屋全体が凍りついた。沈黙が支配する中、佐藤部長が奥田の顔色をうかがいながらささやいた。


「頭取、ここは……外部のベンダーを。いや、しかし情報が漏れれば……」


隠蔽いんぺいは不可能です」


 澪の声が、静まり返った室内をつらぬいた。


「今すぐ事態をおおやけにし、謝罪すべきです」


 役員たちの顔色が変わった。奥田の鋭い眼光が澪に注がれる。


「……君に、この難局を打開できるあてがあるのか」


「あります」


 澪はりんとした足取りで一歩前へ出た。


「外部から、専門家を招聘しょうへいしてください。この汚染を正しく解析し、攻撃者の痕跡を辿たどれる、唯一の人物です。墨田区に事務所を構えるホワイトハッカー……栗栖公理くりすきみのりさんです」


     


 同じ頃、墨田区にある『サイバー・アルケミスト』の事務所。


 栗栖公理は、窓の外を流れる隅田川の景色を眺めながら、冷めたコーヒーを口に運んでいた。


 机の上には三枚のモニターが並んでいるが、そこに映っているのは銀行の内部情報ではない。インターネット上の「交通量」を示すトラフィック・モニターと、世界中のサーバーの応答状況を可視化した地図だ。


「……リコウさん。帝都中央の公式サイト、依然として応答なし。BGPボーダー・ゲートウェイ・プロトコル※の経路情報も、先ほどから一部不安定になっています 」


 エンジニアの山田が、淡々とした口調で報告した。技術者としての客観的な事実のみを述べている。


「単なるハードウェアの故障なら、予備の回線に切り替わって数分で復旧するはずだ。二時間以上も

『沈黙』が続いているということは、管理系ネットワークそのものが制御不能に陥っている証拠だね」


 栗栖は縁のない眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。彼の頭脳の中では、見えないパズルのピースが組み合わさっていく。


「……リコウさん、下に黒塗りのセダンが停まったよ」


 経理兼ボディーガードの霧島香織きりしまかおりが、入口のモニターを指差した。


「すごく『お堅い』空気の二人連れ。片方は女性だけど、もう片方は銀行員特有の、靴だけはやたらと磨き抜かれたタイプだね」


 栗栖は椅子から立ち上がり、窓際のブラインドをわずかに開けた。


「ソースコードは嘘をつかない 。……だが、嘘つきたちがようやく、真実を求めてここに辿り着いたようだ」


 栗栖の瞳には、獲物を待つ冷徹さと、不当に組織を追われた者が持つかすかな熱が同居していた。


「香織さん、お茶の用意を。ただし、最高級の茶葉にしてくれ。相手は日本で一番プライドが高い人たちだ。そのプライドごと、飲み込んでやる必要があるからね」


 栗栖が扉へ向かって歩き出したその時、事務所の古びたインターホンが、重々しく鳴り響いた。


 日本最大のメガバンクと、天才ホワイトハッカー。  

交わるはずのなかった二つの運命が、崩壊の淵で、今、激突しようとしていた。

■ボーダー

境界のこと。

■ゲートウェイ

異なるネットワーク同士をつなぐ「出入り口」となる役割や機器のこと。

■ルーティング

目的地までデータを届けるための「最適なルートを選び、転送する」仕組み

■プロトコル

PC同士が情報をやり取りするための「共通のルール(約束事)」のこと。

■BGP

ボーダーゲートウェイプロトコル(BGP)は、インターネットのルーティングプロトコルです。郵便物を処理する郵便局と同様に、BGPはインターネットトラフィックを配信するための最も効率的なルートを選択します。

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