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『不実のコード』ソースは嘘をつかない  作者: リコウ
第一章 聖域のデバッグ
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第十八話 裏口の番人

墨田区の事務所、サイバーアルケミストの室内は、サーバーが吐き出す熱気と、数十時間にも及ぶ不眠不休の解析による焦燥感に包まれていた。


栗栖は、充血した目をこすることすら忘れ、モニターに流れる無数のシステムログを凝視していた。


「リコウ、これを見て」


香織が、掠れた声でサブモニターを指し示した。


「アケボノビールの現行システムには、侵入の痕跡が一切残っていないわ。ファイアウォールも、最新のEDR(エンドポイント検知)も、すべて正常に動作しているように偽装されている」


「……表門メインゲートから入ったんじゃない、ということか」


栗栖は、冷めきったコーヒーを一口含み、思考を研ぎ澄ませた。


「山田君、パケットの返信先を、もう一度ネットワークの最下層まで掘り下げろ。物理レイヤーに近い、古いルーターのルーティングテーブルに、不自然な静的ルートが残っているはずだ」


「……ありました! リコウさん、これです!」


山田の声が、静まり返った事務所に響いた。


「旧アケボノと旧ミツボシが合併した際、統合から漏れたはずの『名古屋第三工場』の古い在庫管理用サーバーです。理論上は廃止されているはずなのに、なぜか今もグローバルIPを保持して、社内LANに直結しています」


栗栖の瞳に、鋭い光が宿った。


遺産レガシーか……。蛇谷は、この忘れ去られた裏口を見つけ出し、そこからアケボノの心臓部へ横移動ラテラルムーブメントしたんだな。だが、おかしい。これほどの大企業が、なぜ十数年もこのサーバーを放置していた?」


「リコウ、これ……」


香織が、独自のルートで入手したアケボノビールの保守契約リストを広げた。


「この古いサーバー、保守費用が今も支払われ続けているわ。それも、帝都中央銀行の遠藤常務が管理していた不透明な特定口座から、『三和システム』というペーパーカンパニーへ」


栗栖は眼鏡のブリッジを押し上げ、冷徹な笑みを浮かべた。


「繋がったな。遠藤は、自分の利権のためにこの不要な保守契約を維持させ、裏金を作っていた。蛇谷は、その『腐った裏口』を、テロの拠点として再利用したわけだ。……組織の腐敗が、蛇の餌食になったというわけか」


同じ頃、千代田区大手町の帝都中央銀行本店。


澪は、十六階の大会議室の重苦しい空気の中に立たされていた。


対面に座る加藤常務は、わざとらしく時計に目をやり、冷酷な笑みを浮かべた。


「久保田君。約束の明朝九時まで、あと数時間だ。アケボノビールからの復旧の確約はいまだに届かない。融資部としては、これ以上のリスクは看過できん。予定通り、緊急融資の停止と、債権回収の準備に入らせてもらう」


「常務、お待ちください。現在、システムの汚染経路が特定されつつあります。今、融資を引き上げれば、アケボノは倒産し、わが行の債権も紙屑になります。それは、銀行にとっても最悪の選択ではありませんか」


「黙りなさい!」


加藤が机を叩いた。


「専門家を自称して時間を稼いだ結果がこれだ。君の無能が、わが行に数百億の損失をもたらそうとしているんだぞ。……山崎次長、移管の手続きを進めろ」


澪は唇を噛んだ。


彼女は、自分が監査チームの秘匿サーバーにアップロードした「三和システム」のメモを、栗栖が必ず見つけると信じていた。


守秘義務という壁がある以上、直接言葉を交わすことはできない。だが、同じ敵を追う技術者として、データの断片だけで意志は通じ合っているはずだ。


「……常務。一つ、お尋ねしたいことがあります」


澪は、震える声を抑え、加藤を真っ向から見据えた。


「三和システムという会社をご存知ですか。遠藤常務の管理口座から、多額の保守費が流れ続けていた会社です。もし、アケボノのシステム崩壊の原因が、この不透明な契約によって維持されていた『裏口』にあるとしたら……。銀行の責任問題は、融資の判断どころでは済みませんよ」


加藤の顔色が、一瞬で土色つちけいろに変わった。


「……何を、根拠のないことを」


「根拠なら、今、墨田区の専門家が掴んでいるはずです。彼らは、蛇谷の尻尾を掴みました」


その時、澪のスマートフォンの通知音が鳴った。


表示されたのは、栗栖からの着信ではない。


監査チームの共有サーバーに、一つの暗号化ファイルが送信されたという通知だった。


ファイル名は、琥珀。


澪は、会議室の全員が見守る中でタブレットを開き、そのファイルを展開した。


そこには、三和システムのサーバーを経由して、蛇谷の端末からアケボノビールへ送り込まれた攻撃コードの全貌と、遠藤常務が署名した古い契約書のPDFが並んでいた。


「……これが、真実です」


澪の声は、一点の曇りもなく会議室に響き渡った。

墨田区の事務所では、栗栖が最後の一撃となるコマンドを入力していた。


「裏口の番人は、俺たちが引き受けた。……さあ、久保田さん。あとは、あなたの仕事だ」


窓の外では、隅田川を挟んで対峙する二つの街に、夜明けの光が差し始めていた。


組織の闇に潜む蛇を炙り出し、失われようとしていた琥珀色の信頼を取り戻すための、反撃の火蓋が切られた。


辞令という名の鎖を断ち切った澪の瞳には、もはや迷いはない。


彼女の背後には、見えない境界線を越えて繋がった、最強の仲間たちがいた。

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