表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『不実のコード』ソースは嘘をつかない  作者: リコウ
第一章 聖域のデバッグ
12/13

第十二話 蛇の毒

渋谷、道玄坂。雑居ビルの合間に、香織の運転するセダンが静かに停車した。


 澪は車窓から、目指す「有限会社ヘビヤ・コンサルティング」が入居するビルを見上げた。築四十年のすすけた外壁には、名前ばかりの看板が並んでいる。


「……あの中に、私の人生を狂わせたデータがあるのね」


「ああ。だが、あそこは銀行のサーバー室より厄介だぞ。法もルールも通用しない連中の巣窟だ」


 栗栖は膝の上でノートパソコンを展開し、無機質なキーボード音を響かせる。画面には、ビルの内部を飛び交う無線パケットが可視化されていた。


「……佐藤部長のスマホが吐き出した通信先、四階のサーバーラックを捕捉した。……だが、妙だな。暗号化の強度が、さっきまでの比じゃない。これは半グレが使うようなツールじゃないぞ」


 栗栖の眉間にしわが寄る。その時、澪のスマートフォンが震えた。


「……非通知?」


 恐る恐る出ると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、加工された低い男の声だった。


『――久保田澪さん。今、渋谷の道玄坂にいますね。……左後ろのグレーのワゴン車を見てください』


 澪が息を呑んで振り返ると、そこにはスモークガラスのワゴンが停車していた。窓は開かない。ただ、じっとこちらを監視していることだけが伝わってくる。


「栗栖さん、見張られてる……!」


「……チッ、逆探知じゃない。最初から位置情報を掴まれていたか。……香織、出してくれ。ここはマズい」


 香織が静かに車を発進させる。激しいチェイスが始まるわけではない。ただ、あのグレーのワゴンが、一定の距離を保って、どこまでも静かに、執拗しつように背後を走っている。


「……警察に駆け込めないかしら」


「無理だ。向こうは何も法に触れることはしていない。ただ同じ道を走っているだけだ。……だが、見てみろ」


 栗栖が画面を指差す。澪のスマートフォンの画面が勝手に操作され、彼女の銀行口座の残高や、私的なメールの内容が次々と表示されていく。


「……私のスマホが、乗っ取られている?」


「……『蛇の毒』だ。ヘビヤのサーバーに近づきすぎたせいで、強制的にスパイウェアを流し込まれた。……久保田さん。彼らは君を殺そうとしているんじゃない。……君のデジタル上の人格を、一歩ずつ破壊しようとしているんだ」


 信号待ちのたびに、背後のワゴン車がじりじりと車間を詰めてくる。運転席の男の顔は見えない。ただ、逃げ場のない閉塞感が、車内の空気を薄くしていく。


「分からない。だが、相手は君の『思考の先』を読んでいる。……佐藤部長が言っていた『聖域』の意味が、ようやく分かった気がするよ。……これは単なる銀行の不祥事じゃない。……もっと巨大な、触れてはならない『システム』だ」


 不意に、澪のスマホに新しい通知が届いた。それは、彼女のSNSアカウントが「顧客情報の流出を自白する投稿」を勝手に発信し始めたという通知だった。


「……やめて! 私がやったんじゃない!」


 叫ぶ澪の隣で、栗栖はかつてないほど険しい表情でキーボードを叩き続けていた。


 暴力ではない。だが、確実に一人の人間の居場所を奪っていく、音のない攻撃。


 辞令まで、あと六日。


 姿の見えない蛇に足を噛まれたような絶望感の中、澪たちは渋谷の街を彷徨ほうこううことしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ