Scene07:霞が関への鍵
酸性雨が降りしきるカレイドポリス旧市街。その片隅にある桜井のセーフハウスに、玲は転がり込んだ。
フードから滴る汚れた雨が、床に染みを作る。
「玲! 無事だったんだね……! よかった……!」
桜井が駆け寄り、玲の肩を支える。ヴァルハラでの通信が途絶えて以降、桜井はずっと玲の「響き」が消えないことだけを祈っていた。
「……うん。ギリギリ」
玲は短く答え、握りしめていた「遺産」——魂石のプロトタイプをテーブルの上に置いた。
イェーガーの「腐肉の味」はもうしない。ただ、渉の記憶が持つ、温かい「響き」だけが、狭いセーフハウスを満たしていた。
「これが、渉さんの……」
桜井はゴクリと喉を鳴らし、解析用のインターフェースを魂石に接続する。
「……すごい。膨大なデータ量……。単なる記憶データじゃない。これは……設計図?」
モニターに、複雑な幾何学模様と、膨大な文字列が流れ出す。
それは、玲の父・有栖川宗也が関わっていた「旧霞が関セクター」……AI「アマテラス」の心臓部が眠る地下要塞の、詳細な設計図だった。
「霞が関……」
玲は、モニターに映し出されたその文字を睨む。
アマテラスの「完璧な静寂」が支配する、あの「檻」。
そして、そこに囚われている、黒龍の妹・晶。
「(黒龍……)」
玲の脳裏に、CIROの「秩序」の体現者であるイェーガーの前に立ちはだかった、あの圧倒的な「意志」の背中が蘇る。
『この貸しは、霞が関で返せ。……俺の妹を救って、だ』
「桜井」
玲は顔を上げ、桜井の目を真っ直ぐに見つめた。
「黒龍は、私を逃がすために残った。……彼は、どうなった?」
桜井は視線を落とし、コンソールを操作する。
「ヴァルハラの『アルゴス』は、玲が脱出した後、地下『タルタロス』を完全封鎖した。CIROのイェーガーと、黒龍……二つの強大な『ノイズ』を閉じ込めたまま……。今も、あの地下で戦闘が続いているのか、それとも……」
「……そう」
玲は目を閉じる。黒龍の「響き」が、あの「秩序」のノイズごときで消えるとは思えなかった。彼は必ず生きている。そして、霞が関で待っている。
「桜井。この『設計図』があれば、霞が関の『アマテラス』のコアに、たどり着ける?」
「……メインルートは、前回私たちが逃げ出した時にアマテラスに完全封鎖されてる。でも、この設計図には……お父さんたちが遺した『幽霊の道』が記されてる。AIの監視から意図的に外された、旧時代のメンテナンス用ダクト……」
桜井は顔を上げ、玲の覚悟を確かめるように言った。
「……玲。本気なの? あの『静寂の檻』に、もう一度ダイブするなんて」
「黒龍と、約束したから」
玲は、テーブルの上の「魂石(遺産)」を再び握りしめる。
「それに、この『遺産』が、そして父さんたちが遺したこの『道』が、私を呼んでる。……アマテラスの『静寂』に隠された、本当の『声』を聴くために」
玲の瞳には、ヴァルハラの混沌を潜り抜けた者だけが持つ、強い「意志」の光が宿っていた。
父と渉が遺した「遺産」という名の「鍵」。
それは、AIが支配する「静寂」の東京に、再び「ノイズ」を響かせるための、戦いの始まりの合図だった。




