さよならは伝送路から
生きるとは。死ぬとは。
伝送路ワームホールの形成にはその後1日半もの時間がかかった。
物質世界ほどではないが、伝送路でも眠くはなる。寝ている間にどうにかしてやろうか、と思ったヒロユキだったが、隣のAIの青年がずっと行動を監視しているため何もできなかった。
アーバンクロノスを模したらしいAIは不気味なほど存在感を感じず、何もしゃべらず、こちらをジッと監視していた。ハクユラのそばから片時も離れず、ずっと不自由な右半身を支えるようにぴったりと寄り添っていた。
「3、6、…よし。」
「オッケー。ありがとう。」
ワームホールの終端の扉を作成し終端装置を設置してようやく終わりである。
「こんっなにしんどい残業したことねぇよぉ…。給料3倍ください…。」
「ふふふ。プラハに置いてる私の研究所の財産なら、全部上げてもいいわよ。どうせ使わないし。」
「…遠慮する。どうせえげつない手段で稼いだやつだろ。」
最後の仕上げは増幅器と制御器の配置だ。扉となる四方にそれぞれ配置して中と外の位相の変調を段階的に偏移させて道を作る。
簡単に言うと外にあるはずの伝送路にワームホールをぶつけて、突き抜け、つなげる。
「下がってて。」
ハクユラが増幅器スイッチを入れる。後はもう自動起動だ。
扉の起動する瞬間、光の向こうに幻の様に見えた姿に、ヒロユキは安堵する。
「新旧美女2人のお出迎え、痛み入るねぇ。コリンダー、凛子会長。」
ハクユラは、表情も変えず佇んでいた。
「…お前は、ほんとに大したやつだよ。1人でこの難局を乗り切ってその軽口がでるかよ。」
凛子は言いながら、懐かしそうにハクユラへ顔を向けた。
「久しぶりだね。ハクユラ。生きてたなら、どうしてヨジュンに知らせてやらない。」
「…お久しぶりです。Dr凛子・山根。ヨジュンには、姉には知らせる気はありませんでした。生真面目な性格の彼女には重すぎる話です。」
「アーバンクロノスにも似たようなことを言われた。あんたたちは似たもの同士だよ。ヨジュンには合わせる顔がないってさ。」
どこかまぶしいものでも見るようにハクユラの顔を見る凛子にハクユラは嬉しそうに微笑んだ。「ありがとうございます。種明かしをお聞きしても?伝送路ワームホールの到達点に先回りできた。」
もちろん、と凛子はうなずいてコリンダーが持つ小型の冷蔵庫のような装置をぱんぱんとたたく。
「立体位相変化対応型オシロスコープ。最新型はいいね。ワームホールも半日ほどで形成できたさ。そっちのにいさんが鈍足の開通にしてくれたおかげで、隣に、こちらからもワームホールを形成しても間に合ったのさ。」
それから、ヒロユキ、あんたに伝言だ。
「位相測定にスペアナ使うなってさ。スコープ系の測定機なら三分の一でいける。だが、向かない装置で時間稼ぎ、よくやった、ってさ。あとは…息子によろしくって。」
凛子がそういって笑う。
AI研究所会長の山根凛子は御年78歳になるはずだ。
元気だ。最新式の装置、10キロはありそうだ、を使ってここまでワームホールを開設してきた直後とは思えない元気ぷりに、思わずはぁ、とため息が漏れる。
ヒロユキは我慢していた頭痛が急に身体を制圧してきたように感じ、頭を押さえ、脱力してへなへなとその場に座りこんだ。
落としてきた通信サークレット、無事起動したらしいコリンダー、そしてコリンダーと自分の間でONにしっぱなしにした偽角膜型映像共有機や超小型補聴器タイプ通信機、これだけ種をばらまいたんだからあとはそっちで何とかしてくれ…。
投げなりな気持ちになりそうなのを何とか抑え、つぶやく。
「俺がそっち側なら2時間でいけるけどな。あと何の勘違いが存じませんが、あなたに息子はいませんよー。夢見るのは勝手ですが、お布団かぶってからにしてね、って伝えといて。」
「この状況で減らず口たたけるならメンタルの方も大丈夫そうだね。」
「さて、ハクユラ。ヒロユキの機転で、通信ONになってたので、すべて聴くことができたよ。」
そうか。だからわざわざ凛子がきたのか。78歳の体をおしても、コリンダーが目覚めてすぐ研究所に連絡を取ってくれたことに感謝をする。
「私達って少し似てるわね。当時も私とあなたが姉妹の様だってよく言われた。そう。私はあなたが大嫌いです。Dr凛子。あなたは私からアーバンクロノスを奪った。」
ハクユラから吐き出される冷たい憎しみに、凛子が負けじと強い熱を吐きだす。
「違う…違うんだよ…。アーバンクロノスが私を助けるためにあなたや研究者を犠牲にしたなんて筋書き、あるもんか。」
「…今更何を言ってるの。」
「だって…。あのとき、アーバンクロノスは私が伝送路にいたことなんて知らなかった!」
「…うそ。」
「うそなもんか。私があの日伝送路に行ったのは臨時だったので朝のミーティングでのみ報告共有していたんだ。あの日アーバンクロノスは朝のミーティング出なかったじゃないか!朝イチで変圧室の調整を頼まれてて。」
「そんなわけ…。でもじゃあなぜ。」
「あのとき、彼があんたを抱えて変圧室とエンダーの道を繋げてしまったのは。彼が…アーバンクロノスがロボット派生トロッコ問題を派手に間違えたからなんかじゃないよ。」
「あんたを道連れにして死にたかったからだよ。あんたの命が欲しかったんだよ。」
※※
復元したクロノスの第一声がそれだった。
「どうして私を起こすんですか。とても良い夢を見ていました。苦悩もない世界、ずっと穏やかな夢を見ていました。ユラと2人で。」
そんな苦言だった。クロノスは、「私の次に作るAI達には、夢を見させてあげられるように作ってください。とても幸せな夢でした。」と言った。
ユラの思いには凛子だって気づいていた。当時伝送路にいた研究者たちは一人残らず気づいていたろう。クロノスがそれに答えず逃げ続けていたことも。
どうして?と。迫る凛子にクロノスは下を向いて沈黙するばかりだった。
「答えてやればよかった。こんなことになる前に。」
クロノスは傷ついたような顔をする。
「どうしてそんな残酷なことを言うのですか。
私の作り手なら分かるでしょう。
私は何も持っていません。今も昔も。これからも。家も、土地も、財産も、冗談を言って笑いあうユラの幸福な家に集まる親戚達も、結婚という地位も、その先にいる自分の体を分け合った小さな幸せの塊も。人間が当たり前に持っているそれらのものは、何も。
…みなさん私にはとてもやさしくしてくださる。昔前のAIのように私を奴隷の様に使役することもない。望まぬ働き方をさせることもない。でも、本当はみんなわかってるのでしょう…。」
クロノスの目には何も映っていなかった。正面に座る凛子も。
「どこまでいっても、誰にも、何ひとつ与えることができない、私はただのAIなんですよ。」
凛子は、何も、言えなかった。かける言葉も見つからず、ただ自失して背もたれに背を預け彼の顔を見るばかりだった。
しばらくして顔を凛子に向けるアーバンクロノス。
「…ごめんなさい。凛子(お母さん)。
生まれて初めて一つだけわがままをいたしました。あのとき、醜悪な外見をしたゴーストを何千体も眺めて、もうだめだなぁと思いました。あのとき…。」
言葉を切り、その先が言えずにいる。
「ユラの手を離す猶予は、ありました。でもそうしなかった。手が離せなかった。そばにいてほしい。ずっと。それしか頭になかった。」
※
伝送路には朝が来ない。
それでも、女が流す一粒の涙に光が反射したような錯覚を覚えてヒロユキは顔をそらした。
ハクユラは泣いていた。今20年の時を経てようやく聞けたアーバンクロノスの答えに。
「…ヒロユキ、私もあなたのように、姉のように、母のように、彼に接してあげられたら良かったのね。お兄ちゃんと呼んで腕に包まれてしまった。彼はずっと苦しい、助けてと言ってたのに。」
「そうだったとしても誰も責められないさ…。」
「許してやってくれ。」
凛子の絞り出すような声に、ハクユラは首をふる。
「許す…?いいえ、幸せだわ。
私はもうクロノスの腕のぬくもりを覚えていない。それだけの年月もずっと私を独り占めしてくれていたのね。」
ハクユラが隣に佇むAIの青年の髪をそっとかき分けてやりながら、首にかけていた石を取り外す。
「星の爆発を模した超局所型熱融解爆発装置。有効半径5メートル。もうおもちゃで遊ぶのも飽きたわ。終幕ね。」
飛び退いて出口側に退くヒロユキにさよなら、とほほ笑んでワームホールへ足を踏み出すハクユラ。その後、縦に切り裂く光と静かな爆炎で炎に炙られるそばから2人の体は塵になって伝送路の闇の中に消えた。
※
爆発が局所型だったおかげでワームホールはかすり傷一つついていない。焦げ臭いにおいと焼けたそばから塵になっていく人体とAI一体。AIの腕が1本飛んで転がったが、すかさずヒロユキは冷凍保存用の液をかける。事故調査が必要のためだ。
何とも言えない苦い思いだが、ヒロユキはやっとの思いで一言紡ぐ。
「…なんだかひどく満足そうに見えたよ。」
何も言えなかった。
20年もずっと暗い海の底でもがいていた1人の人間に、自分が何かをできるなんて思い上がりだ。
「そう、思いたいね。あの事件以後、多かれ少なかれみんなが後悔していた。もっと何か結末があったんじゃないかって。」
だからこそ誰も何も言わないんだろう。みんなが責任を感じていたからこそ。
月日は経ち、関係者はみんな何かしらの補償を得て日々の生活に戻った。亡くなった14人の研究員も遺族へ莫大な補償が支払われたはずだ。
けれど、彼には何も与えられないのだ。
その高性能な頭脳は何もかも見通しすぎてしまったのだろう。想えば想うほど、2人になんの未来もないことを悟る気分はどんなものだろう。
「ヒロユキ…。」
呆けたような顔をした凛子がアーバンクロノスイレブンの腕の残骸から活動ログの解析結果を見せる。
2日前の12時に全機能停止。
その後のログは1つもなかった。
ちょうどヒロユキがワームホールをくぐったタイミングだ。
「…ワームホール転移にボディが耐えられなかったんだな…。」
ヒロユキはハクユラの隣で自分を見つめる静かな瞳を思い出していた。その熱のない茫漠の暗闇の瞳を。
そうか。
そうだな。分かるよアーバンクロノス。君は最も欲しかったものを手に入れて逝ったんだな。
人間1人の命が地球より重いとか、生きてこそ、なんてシケたことは言わないさ。彼女が望んでいるんだ。何処までも連れていくがいい。
※
絶縁の手袋とブーツ、通信用サークレット、計測機器、さて全部取り付けた。
伝送路に入るといつもの誘導灯が鈍い光を放ってる。
「あ~、久しぶりの日常だぁ」
ーはい。伝送路でのエンダー狩りは実に34日ぶりになります。
「だよな。あの地獄の書類作業の日々…。思い出したくないね。」
ーとはいえ。マスターが書類作業をしたのは最初の3日だけです。その後は遅刻、遅刻、欠勤、また遅刻…その上、模擬訓練空間へ逃亡…。
「そうだっけ。15日目くらいに取っつかまってちょっと書類こなした気がするけど。
ーちょびっとだけ。ちなみに空白の期間のその分の書類作業をこなしたのは私です。電池が切れていて詳細が把握できなかった部分が多いので、適当に、マスターが超電磁ブレードで海底ケーブルを破壊しながら掘削していたことにしておきました。
「…なんか事故調査委員会からめちゃくちゃ着信があったのはそのせいか…。」
頭の痛くなる問題が次から次へと出てきてサボって寝てる暇もない。
「なあコリンダー。今更だけど、ハクユラの目的は伝送路で死ぬことだったんじゃないかな。」
ー間違いないでしょう。彼女の計画は穴だらけでした。何より偽角膜型映像共有機や超小型補聴器タイプ通信機、緊急時にONにするハンターのバディ用の通信機器の数々、発明者の一人にハクユラの名前がありました。
「そうだよなぁ。」
すべて知ったうえでのことだったか。映像も音声も、最後に誰かに聞かせたかったのだろうか。
なんだかあの一件以来、妙に仕事に熱が入ってしまいそうになるのを自覚するヒロユキだった。
いやがおうにも、知ってしまった歴史の1ページ。
悲しくやるせないものだった。
そのせいで自覚させられたのだ。自分達の仕事の日々がいつか同じように歴史の1ページになっていくことに。
「バッドエンドはもううんざりだぜ…。楽しくてウキウキして語りたくなるような1ページにしようぜ。な、コリンダー?」
ーはい。ほら、獲物がたくさんやってきましたよ。後ろを向いてる暇なんてありませんね。良かったですね、マイ・マスター?
空が青かろうが暗かろうが日常はやってくる。
嬉しさとわくわくと、ほんのちょっとの切なさを乗せて。
ここまで読んでくれてありがとうございます!!
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