死が二人を分かつとも
絶望と混乱の章。読者様には、少し分かりづらい時系列になりますが、そこもまた彼女の混乱と絶望を追憶しながら、お楽しみください。
その日以来、彼は私を避けるようになった。
「変圧室の調整を頼まれまして。」
「緊急会議です。いけません。ごめんなさい。」
私は貴方と一生を共にしたい、それができないならこっぴどく振ってほしい。そこまでストレートにぶつけても、クロノスは困ったように首を振り、言い募るとしまいには聞きたくないとでもいうように手で耳を覆ってふさぎこんでしまうのだ。
周りの人間も徐々に気づき始めて心配し始めていたようだ。
「すまんねぇ。クロノス。いっつも調整呼んじゃって…。彼女待ってるんじゃない?」
「いいえ。大丈夫。それよりもここ、めちゃくちゃ頑丈ですね。いずれ海底ケーブルとのつなぎ目の変圧室になるんです?」
「ああ。そうさな。これで伝送路と直でケーブルを繋げられることができるってもんだ。ものすげぇ電圧だからその扉の先の部屋は触んないでな。」
「扉の先は圧力および温度制御室だ。」
「そんなものまでここに作ったのか。核攻撃にも耐えられそうですね。」
「ぶふ。そうだよな!物理世界で戦争が起きたらここに逃げ込めば助かるな。」
クロノスはいつも顔なじみの研究員たちにつかまっては軽口をたたきあって楽しそうに何時間も伝送路で過ごしていた。
私はそれが腹立だしくてたまらない。気がいいといえば聞こえがいいが、要は断れないだけじゃないか。
彼の回路には拒否する、という制御回路が無いんじゃない。
一番腹ただしいのは、何もかも気づいてしまっても自分の気持ちは何も変わらず、そんな欠点すらもより一層愛しいと思ってしまう自分自身だ。
私の回路だって壊れている。
※
そしてあの日。
思えば朝からおかしかった。
普段おとなしくふわふわと漂うだけのゴースト達が、妙にそわそわ伝送路を飛び回る。あっちこっちの壁にぶつかっては奇妙なきしみ音を立てて同じ場所を飛び回っていた。
正午ごろだったと思う。
例によって研究員たちと談笑したあと、壊れた油圧計を直していたアーバンクロノスを捕まえて、私はぶつぶつ文句を言っていた。
「こんなのあなたの仕事じゃないわ。」
「だいたい…。」
言葉を切ってにらみつける。
「いつになったら答えをくれるの。どうして私を避けるの?あなたを追いかけて伝送路を一人でうろうろしてあなたがいないとがっかりしてでもあそこなら…ってさまよってる私の気持ちわかってる?」
「ごめんなさい…。」
アーバンクロノスは逃げ場がないのでただそうつぶやくだけだった。
「ごめんなさいなんてオウムでも言えるのよ!答えてよ。何がダメなの??顔?身体?性格?全部作り変えてもう一度あなたの前に来るから、言ってよ!」
「何もダメなものなんてない…。」
「じゃあ、どうして…。」
ごめんなさいとしか呟かないアーバンクロノス。
「どうしたらいいのか、私にも分からない…。」
「凛子が好きなの?凛子と私、どっちが大切?…どうして何も答えないの?」
凛子が大切なら今すぐ私を離して凛子のところに行けばいい。今日は新しくできて伝送路の生活空間のお披露目と学生のインターンの対応をしているから近くにいるはずだ。
突然、空気が揺れるような地響きが辺りに響いた。
そこからのことは、私には、あいまい。推測が多くなるけど許してほしい。
おそらく、彼は数百キロ手前付近から気づいていたようだが、それがなんなのか分からず戸惑い、数キロのところに来た時に、それが途方もない数のゴーストであることに気づいたんだと思う。
彼の瞳が瞬きをやめていた。オートモードに入ったのだ。おそらく遠隔監視機能で探っていたのだと思う。
クロノスの口からいくつかの音楽がこぼれていた。とりどりに変わっていくそれは何が気を引けるかを矢継ぎ早に確認していたため。
今思えば、海底ケーブルの根元、変圧室のそばにクロノスがいたのは全くの偶然で、それがなければあんな離れ業はできなかったろう。
大陸から入り込んできた異形の怪物に、歌を歌ったのだ。最大音量で当時12本あった海底ケーブルのすべてに音楽を流し込んで1本のケーブルに収束させた。
ケーブルは12本だが変圧室は1つ。
今ではエンダーと呼ばれる悪魔が姿を現した。ゴーストとは存在感が違った。そして、ゴーストが一律影のようなおぼろげなシルエットたったのが、エンダーはもっとはっきりとした形を取っていた。頭にいびつな角の生えた牛の頭ようなもの、球体のに手足の生えたようなもの、ロボットを模したブリキのおもちゃのような動きをするもの、今から思えは百鬼夜行絵巻のような有様だった。
その時はそんなことを考える余裕はなく、不可解に空を見つめてぶつぶつとつぶやくクロノスに、何が起きたのか分からず困惑する私。
おそらく、海底ケーブルと伝送路を切り離してケーブルと変圧室を繋げたんだと思うが、理論がよくわからない。結果として12本のケーブル上にいたエンダーはすべて変圧室の中に誘い込まれたんだろう。
派生型トロッコ問題って知ってる?もちろん知ってるわよね。ロボット工学の5ページ目くらいに必ず出てくるものね。
アーバンクロノスはね、凛子1人を助ける為に14人のいる線路に躊躇なく舵を切った。
私も巻き添えにして。
※※
それからのことはよく覚えてない。5分くらいだった気もするし、半日もそうしていたような気も。気がついたら部屋はすっかり静かになっていた。壊れたクロノスに手を伸ばしたら、がらん、と音がして、大きな塊が崩れ落ち、闇に溶けて消えた。かろうじて手の中にくすんだ灰色のガラス玉が残った。手のひらは火傷したがそんなこと気にならなかった。私の片腕も消えていた。
もう一つのガラス玉を探した。クロノスのかけらが何も残ってないことを確かめて絶望した私は扉を出た。
手の中のガラス玉はとうに崩れて消えてしまっていた。涙も出ないぐらいのあっけない終わりだった。
書いてて私が一番泣いてしまった…。




