伝送路ワームホール-1
ようやく目を覚ますヒロユキ、そこには1人の女が佇んでいた。こいつが犯人…?!
星の一つもない夜空、伝送路の誘導灯のない場所は夜空そのものだったが、ワームホールは暗い海の中のようだ。時折ブゥン、という低い電子音が聞こえ、遠くの壁に反響したノイズが肌をびりびりと通り抜けた。
「長くいると電磁中毒になると思う。」
隣を歩く女が言った。
ヒロユキは、この女ともう3時間近くもワームホールを歩いている。
ヒロユキが意識を取り戻したのはワームホールの中間地点だった。
傍らには倒れたコリンダー。それと一人の女。年のころは60をいくらか過ぎたところだろうか。背の高い青年が一人、彼女の椅子代わりのように包みこんで地面に座り込んでいる。
「起きたの。それ、運んでちょうだい。重力が半分以下だからっていってもやっぱり重くて。」
コリンダーをそれ、と指して女は立ち上がり、パンパンと服を払う仕草をする。
「伝送路に埃も土もないだろ…。」
ふふふ、と女は笑う。
「起きて第一声がそれ?変わってるわねあなた。お前誰だ、とか、ここはどこだ、とか何が目的だ、とか。」
「そんなことより電磁ノイズがヒデェ。頭がおかしくなりそうだ。」
これは電脳空間じゃないな。もっと物理層に近い場所…。ヒロユキは推測を巡らすべくあたりを見回す。
「あらごめんなさい。通信制御機が共振してるのね。…ほら、調整したから少しまし?」
「…ああ、だいぶましだ。ありがとさん。…んで、聞いてほしい?」
え、と聞き返されヒロユキは「だから」とちょっとイライラした顔をする。
「あんた誰?とか。聞いたら教えてくれるんなら聞くけど?」
「…ええ。もちろん。もちろんよ。元日本公社 主任研究員、ハク•ユラです。よろしく、電脳ハンター、鍋島ヒロユキさん。」
ハクユラと名乗った女はにっこり微笑むと、しなだれかかっていた青年に目を向ける。
「そして、こちらが私のアーバンクロノス。タイプイレブン。試作機11号目なの。こちらのAIに感情値をいれて感情自律AIにすると私のアーバンクロノスが完成する。あなたのコリンダーの感情制御値データいただきました。ありがとうね。」
「てめぇ。」
「あら、どうしたの?やだ。大丈夫よ。感情値データをスキャンしたのだからコリンダーには何の影響もないのよ。あなたのお仕事が終わったら2人とも無事に返してあげる。」
「そういうことじゃねぇんだよ。感情自律AIの感情値はその個体の生きてきた人生そのものなんだよ。コピー人間をつくるようなもんだ。倫理的に許されねぇんだよ今の日本の法律ではな。」
ヒロユキの瞳に怒りと哀れみが同居する。
目の前のこいつは馬鹿で何も知らない女なのか?
ハクユラの瞳をまっすぐ見据える。
「アーバンクロノス?シルフ(感情制御回路)とクロノス(論理制御回路)がなきゃ、データだけあってもしょうがないだろ。感情値は感情制御回路という入れ物に入れて初めて機能するんだ。シルフとクロノスはとっくの昔に開発凍結、もう設計図のかけらも残ってないよ。」
しかし、ハクユラの瞳には微塵の動揺も見えなかった。彼女の瞳には、茫漠とした虚無しか見当たらない。ヒロユキは内心戦慄する。人間の目じゃないみたいだ。
「うふふ、アーバンクロノスについて知ってくれてるのね。」
もちろん知っている。アーバンクロノスはコリンダー達ニュージェネレーションが開発される前の感情自律AIの第一号機だ。事故で廃棄されている。
けれどこいつは誰だ。
ヒロユキの中では、この騒動の首謀者の名前と1体のAIを連れていることについて忙しく頭が回り始める。
伝送路ワームホールの出現は意図的だったのか。コリンダーのデータを盗みたいだけならもっと別の方法だってあるはずだ。そしてなぜ自分まで捕まっている?アンバーの姿を偽って罠にはめてまで…。
「ねぇ。凛子は。そう、あなたたちAI研究所の会長は。感傷的ね。AIにお墓を作るなんて。」
「なに?なにを…?」
「…とはいえ、ある気はしたの。問題は場所だけ。大量の研究所の人員に気づかずに盗聴器を仕掛けて根気よく探るの。結構苦労したわ。でも、見つけてしまえば簡単だった。」
「もしかしてあんた…暴いたのか。」
「…ええ。設計図も生体データも、全部一緒に埋葬したのね。律儀ね。」
なんてこった。
盗聴器に墓荒らしに伝送路の破壊に…。犯罪数が半端ない。
「なんでそこまで…。」
「アーバンクロノスをもう一度完成させたいの。それ以外はどうでもいいの。私はもう死んでいるのだから、今いるのは幽霊みたいなものね。どうやって消えようか、それしか考えることのない幽霊。」
ハクユラは自身の作成したらしいAIに左手を取られながらヒロユキの前をゆったりと歩いている。背後から襲われる可能性など考えないのだろうか。ジッと見ているうちに奇妙なことに気づく。右足は滑らかに動いているが、左足は明らかに引きずり重そうな動きだ。
「サイボーグか。右半身。」
「そう。私の半身は2030年の伝送路災害で死んだ。」
「ねぇ。そんなことより。あなたの力を貸してちょうだい。このワームホール。まだ半分ぐらいしか開通してないの。電圧を変換して扱いやすいようにしているんだけど先を掘ろうとすると周波数干渉がひどくて、難しいの。」
「あぁん…?まじ…?ちょい測定器貸して…。てかいやいや…。俺が協力するとでも…?」
「ワームホールってね。一方通行なの。入口にはもう戻れないから終端まで開通するしかないのよ。」
「…」
「ついでに言うと、このワームホールを私の研究所のあるチェコのプラハまで伸ばすの。ワームホールってね。適切に設定すると時空を超えるの。ヨーロッパまで伸ばすのも訳ないのよ。」
「…」
「ね。穴は私が掘るから、あなたは干渉制圧をお願い。」
「干渉をはねながらやってんの…?…それって僕の理解が正しかったらですけどね。。ちょっと測定間違ったら伝送路ごと火災とか…、最悪、ドカンといきませんかね?」
「…かもね。だからあなたの腕が必要だったの。」
信じられない暴挙だ。しばらく口をあんぐり開けて固まっていたヒロユキだったが、これはもうやるしかないのかと腹をくくるまでに時間は必要なかった。
さて。
常の測定アプリが全部イカれてる。
「スペアナとアッテネータと、増幅器ある?」
「全部あるわ。」
「よっし。測定器で単発信号を測定。ノイズ除去のためにアッテネータ接続とインピーダンス整合制御。増幅器を接続するタイミングはこちらで指示する。あんたは指示値の通りに掘っていくのを気にしてくれ…。」
※※
「8」
「はい。オッケー。」
「…5.5。いや。このあたり乱れてんな…5.3だ。」
「完了。」
もう2時間はこのやり取りの繰り返しだ。
ヒロユキの額にはびっしりと汗が浮かんでいる。ここまで繊細な測定作業を2時間も行ったのは初めてだった。
「休憩しましょう。」
ハクユラがため息をついていう。こちらも、疲労が浮いた顔をしている。
それにしても。ヒロユキはハクユラの手元を見る。
手際が良い。熟練したエンジニアの調整だ。
「そんだけ腕がありゃAI研究所でも働き続けられたろ。」
「そうかしら。…そうね。私は腕のいい方ではなかったけど、アーバンクロノスはこういった作業は完璧だった。見ているうちに私も多少はできるようになった。」
そうか。昔の伝送路にはエンダーなどいなかったし、伝送路対応AIの日々の仕事はこういった調整が主なのかもしれない。
「私のことはどうでもいいわ。ねぇ。私が知りたかったのは、あなた。鍋島ヒロユキ。優しいハンターさん。」
ハクユラは言う。
「私はこのワームホール計画を立てた時、AI研究所から情報を盗むべくあらゆる「もの」と「人」に盗聴器を仕掛けた。なのでいろんなハンターのやり取りを聞いた。」
ヒロユキはどんどん増えていくハクユラの犯罪告白に眉をひそめる。
「…でも、あなたとコリンダーのやりとりほど心惹かれるものはなかった。あなたは愛を知っている。やさしさ、強さ、自信、全部愛につながる源泉。」
「そう、そしてずるさ。あなたはコリンダーのことを愛しているのね。」
「…はあ?伝送路で目開けたまま寝てんのかババァ。」
「…センサー付き盗聴器って素敵ね。心拍数や呼吸数も見えちゃうの。」
ヒロユキは、「AIは人間の道具ではない」と語りかけてくれる、2050年の存在です。
あ、作品全体を通して、測定器の使い方は、ほぼ嘘っぱちです(笑)
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