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最初の通院と創造
ぼくは長男、隆のように心配して欲しいとの思いで、
11歳のころ統合失調症のふりをした。
そのころは行政が対応していて、
心理テストやら両親の子への対応指導やらを
行っていた。
最初の通院は、父がみつけた鹿嶋田にあるステラクリニックだった。
クリニックの先生は、児童の統合失調症は扱えないとし、
横浜国大か東邦大学のどちらかを紹介するといわれた。
父が決めた車での通院が便利そうな、
東邦大学の医療センター大森病院になった、
3分診察の4時間待ちが当たり前だった。
待ち時間はファミレスのジョナサンで過ごしたが、
これは悪くはなかった。
ぼくは入院したいといったが、
閉鎖病棟しかない病院では認められるはずもなかった。
中学校になって学校と病院が連携したいとの話もあったが、
医師、蓮弥先生が乗り気でなく話は立ち切れした。
これでは話にならない。
また、後の小説の基礎になる、ぼくが好きな女性(女子高校生)、
例えば「藤井れいな」などを描いた、
「創造」を医師にみせたが、特に反応はなかった。
1年半後、父は薬をもらうだけなら、
クリニックで充分と思い転院した。