栗田病院5 院長の話と3月半ぶりに会い、話した「秀忠」の様子 約1年前の引っ越し当日の様子
竹林院長は、わたしたち2人のはなしの
「生活保護は、受けない代わりに、資金援助はする。
「秀忠」のことは、陰ながら応援するにとどめ、
特別にときに限り、直接会う」という言葉の返答は、
「秀忠君は、普通は、落ち着いていますが、笑ったり、泣いたりするとき
も、あります。手紙は、言われて書いただけで、本当は、一緒に元のように、
暮らしたいと言っています。おかあさんが、手紙の返事で、一緒に暮らしたい
といったようで、喜んだようです。わたしは、お父さん、お母さんがいう、
「適切な距離を置いて、接する」のは、過去の経緯からみて、
無理だと思います。また、一人で生活するのは、難しいと思います」と、
2人の考えを全否定した。
その後、一転して、行政のサポート「訪問看護や家庭訪問など」、
できることは、「k」さんたちが、すると思います。
入院している際は、面会は、週1回、差し入れが、あればして、
物は、今後は、送らないでください。
電話は、許可しますが、週に何曜日だけにするとか、
「約束事」を決めてください。「措置入院」は、あと1週間様子をみます。
来週に「医療保護」になった場合の手続きと、面会を、
遠くてお昼もあるでしょうから、2時にしましょう。
それでは、本人と少しだけ、会いましょう。
厳しいことは、入院中に話した方が良いですよ」
「あの、唯一の友達の電話は、大丈夫ですか。
電話番号と都合のよい日時、電話がダメなときは、手紙を送れる住所と、
テレホンカードを送って、昨日、ついているはずですか」と、わたし、
「病棟に荷物が届いています。それかな。電話は、相手先のことまでは、
わからないので、規制することは、できません。では、行きましょう。
テレホンカードは、使えないので、こちらで預かります」
院長は、北山相談員を先に行かして、他の3人と一緒に、
「閉鎖病棟」に入った。診察室に、座って、「秀忠」の来るのを待った。
ほどなく、「秀忠」が、入った。第一印象は、「痩せた」なと思った。
体重は、後の電話で、本人いはく、16kg減って、136kgだそうだ。
食べる気がしなくて、丸2日、「絶食」したそうだ。
後の電話で、「下痢」で、漏らしたとも、言っていた。
「秀忠」と、良子、わたしも、「秀忠、大丈夫か」
後のことは、何をいったのか、わたしの障害もあって忘れた。
「では、いいですか」、院長は、私たちを行かせると、
そのまま、「秀忠の診察」に入った。
ロビーに戻ると、「k」さんが、
「お先に失礼します、また、電話します」と、
おそらく、病院前の停留所に、行ったと思う。バスは、よく来る。
代わりにタクシーは、駅から遠く、住宅街の細い道なので、呼ばないと
こないし、タクシーについては、ここは、「へき地」で時間もかかる。
休日でも、10分待てば、必ずくる「玉川病院」と、えらい違う。
そのことを心配したのか、「タクシーでお困りなら、
おっしゃって、ください」と、北山相談員。
「いえ、大丈夫です」と、わたし。
最近、自分でも始めた、「GO」(日本交通が中心)、
稲城からの場合は、ソニーが開発した「Sアプリ」が、便利だが、
なぜか、「良子」「わたし」とも、電波状況が、悪いなど、上手く使えない。
結局、「京浜交通」のタクシーが、呼んで、わずか10分くらいで、
到着した。
2人は、事情知った「武蔵中原駅ビルの1階、やよい軒」で、
お昼を取ることにした。ただし、2人でだけで、食事をとるのは、
初めてである。今までは、「秀忠」が入院中に「隆」や、1回あったか、
どうだがわからない「秀忠」を含む家族で、途中、長年住んだ「ペレンゼ原」
を、行きと同様に通った。
「栗田病院」の近くの、メイン道「尻手黒川街道」から、
「南武沿線道路」に行くには、この道を使うのが、王道らしい。
タクシーの運転手は、よく話したが、「良子」の話しは、
あまり聞いていないようだった。
最初、てんぷらが、食べたくて、わたしのお気に入りの床屋
「カットマン」の近くにある、すかいらーく系の「藍屋」で、
奮発して、食べようとしたが、閉店した記憶があるため、
運転手さんに聞いたが、わからない。が、着く間際に確か「閉店した」と
いうことで、入る店を変更した。
途中に、藍屋より安価な「夢庵南加瀬店」であったので、
「てんぷら」は、次の機会があれば、そこにしようと決めた。
とりあえず、「難所」は、過ぎたので、「良子」も「わたし」も、一息。
前日は、突然、話し合いをするというので、わたしの「イヤな勘レーダー」
が、作動し、「竹林てめえー責任放棄か」と怒り、
「市立川崎病院」の「田辺相談員」に、転院先で、退院後のことを話し、
次の住所が、決まってから退院するということを、「北山相談員」に
念を押して欲しいと、電話嫌いの「わたし」が、するほどであった。
その夜中に、例の「茶のネコ」をみて、イヤな勘は、外れたと思った。
わたしのイヤな勘が、ネコに負けた。
話を食事に戻すと、「良子」は、よくみんなで行った「餃子の王将」を
筆頭に、定食では、「野菜炒め」と小ライスを注文する。
「秀忠」は、王将では(「三ツ矢サイダーさわやかレモン」と
「焼きめしの大盛」と「餃子」3人前、
「隆」は、「レバニラ炒めのジャストサイズ」と、
「期間限定」ものを頼んだものだ。「多摩区」に引っ越してから、
一度も「王将の餃子」は、食べていない。
「隆」が、お気に入りの「やよい軒」で、「良子」は、「肉野菜炒め」、
「わたし」は、「サンマ定食」を食べようとしたが、「売り切れ」で、
「かつ煮込み定食」にした。久しぶりの外食であった。
帰りは、「GO」を呼ぶと、またしても、「京浜交通」であった。
「操作に慣れない」、「GO」で初めて、タクシーを呼んだのは、
川崎市の「武蔵中原」から、「中野島」に引っ越す当日であった。
その日「秀忠」38度5分の高熱を出し、「引っ越し」を止めて欲しいと、
「良子」に頼んだ。
「現状を打開したくて、23年ぶりに引っ越し」を決めた「良子」には、
その決断は、取れなかった。わたしでも、同様だろう。
引っ越し作業が進むにつれて、居場所がなくなった「秀忠」は、
わたしを連れて、駅まで、歩いた。
駅ビル内の「マック」で「飲み物」を取った後、
「東横イン」に「秀忠」が電話して、休めないかを聞いて断われた後に、
今度は、「交番」にいって、「クリニックはないか」と相談した。
警察官は、「どこも、午前の診察は、終わっているので、しばらく待つしか
ない」と言われ、家に帰ろうとしたが、体が限界で立っているのが、
やっとであった。そのときに「焼肉くいどん」付近で「GO」を使った。
きたのは、「研修中」の女性ドライバーと、先輩ドライバーで、
女性ドライバーは、途中で歩いて、我々のところまで、来てくれて、
なんとか引っ越し前の家に戻ることが、できた。




