余命1年
「雄二郎」から、「良子」に、携帯電話が、なった。
内容は、こうである。
「新百合丘あゆみクリニック」(訪問医療)から、
血液の異常がある。
病院で「精密検査」を受けてほしいとのことを受けて、
新百合ヶ丘の病院(わたしも1回救急車で運ばれた)をうけたところ、
「骨髄腫」で、「余命1年」と宣告された。
それは、あの、「笠井信輔」と同じ病気。
元気な時なら、「加賀野会」で最も仲が良かった、
今、子供と高層「都営住宅」に住んでいる、
「鹿島」さんに電話するだろうけど、
もし、その気が起きても、電話帳を「認知症」で探せないだろう。
母は、現在、要介護3だが、もし、認定を受ければ、4になるだろう。
ただ、「病院」でなく、「施設」に入るとなると、介護度が高いほど、値段
も高いので、認定は受けない予定である。
わたしは、雄二郎と、同意見で、施設に入所すると良いだろう。
幸い、倹約家の母は、父と違い、相続税が、かかる程度にお金は持っている。
ただ、今の場所から、「離れたくない」だろうと、容易に想像できる。
雄二郎の商売(犬、猫のブリーダー)が、思わしくないとき、
稲城の家(雄二郎名義)を売るかもしれない。
雄二郎の話だと、「稲城市」で探すか、雄二郎の勤務、及び、家がある
「下町」の「葛飾」で、探したいとのこと
このままだと、栄養失調で「餓死」しかねないほど、1週間前に
わたしが、訪ねたときよりも、瘦せていて、急を要する。




