元フジテレビアナウンサー「笠井輔博」、小学校から、大学まで、学校が一緒だった。
東京の町田市にある、「本町田東小学校」から、
大学まで、学部は違うが、
元フジテレビのアナウンサーの「信笠井輔」が、一緒であった。
「笠井信輔」といえば、「ステージ4」の悪性リンパ腫から、
「完全復帰」したことでも、有名だ。
最近では、「帯状疱疹」で、入院して、「車椅子」姿が、
ニュースで、放送された。
小学校では、先生は、「信輔」のことを可愛がった。
特に、4年生の「森先生」は、「エコひいきだ」と、
わたしが、母に言いつけるぐらい、酷かった!
例えば、多数決で決まったところを、「変な理屈」を述べ、
採決をしなおし、「僅差」で、結論を、ひっくり返した。
信輔は優等生で、学級委員も毎年していたが、
仲が良い人以外(ただし、女子を除く)は、疎遠であった。
小学校は3年間、同じクラスであり、彼とも同じクラスであった。
同窓会も、二回開かれ、当時の担任「加賀野先生」も、
2回目は、「コロナで1回順延」もめげずに開催された。
その同窓会の責任者は、「信輔」である。
中学校は、「町田の学習院」とよばれる「薬師中学校」では、
クラスは同じではなかったが、
わたしが、中学2年生ではいった「バスケットボール部」に
信輔はいた。
彼は、スタメンで「背は高くない」が、人数が少ない部で、
戦力になる選手であった。
「狛江高校」では、彼の姿さえも見つけていない。
芸術で、わたしは「音楽」をとったが、同じ芸術科目をとっていれば、
彼と同じクラスになる可能性はあった。
大学は、彼が「人文科学部」、わたしは「理工学部」で
校舎も、違い彼の姿を見ることは、なかった。
「信輔」は、「明」だとすれば、わたしは、「暗」
彼が「人を引っ張るタイプ」なら、
わたしは、「後ろからみんなの様子をみて、斜に構えるタイプ」である。
彼が「雄弁」なら、わたしは「無口」である。
学力は同レベルだが、正反対の2人、幸せな晩年を送れるのは、・・・




