長男「隆」から、次男「秀忠」への最初で。最後?の手紙
秀忠へ
お手紙ありがとう!
秀忠とは、確かに色々あったね。ボケモンのゲームを最初にした
ルビー・サファイアは、私が小1ぐらいの時からだから そう考えると
月日が経つのは早いと思ったよ。僕がダイヤモンド(秀忠はパール)の時とか
は、特にポケモンバトルしていたのを覚えているよ!
僕は中学、高校になるにつれ ゲームをする時間は、減ってしまったけど、
休日とかに、ゲーム(マリオカートやスマブラなど~)していた時間は
よかったと思っているよ。
・家の隣の公園では、小学の時は、キャッチボールやサッカーなど色々と
遊んでいたよね。いえいえ、こちらこそありがとう。
・学校は(大学)は、4月から高度な講義(授業)が入ったり学園祭
(聖夜祭)委員会が私も先輩としてしていくこと、就職準備も大学は3年生
からやる必要はあったりと私や1年生や秀忠を含む 親戚全体が思うよりも
忙しくはなってきそうです。ただそのままだと秀忠がいうように無理をして
しまうほうのもあるので、講義の時間は、私が選べるのでできるだけ無理
しない時間帯のコマをおきたいと思う。心配してくれてありがとう。
体調管理は早寝を心掛けるよ。
・秀忠は「北斗寮」に行くけど まずあんまり深く考えすぎないでね。
僕から見て秀忠のことを思うときよく思うことです。北斗寮は僕は
いったことがないのであんまりわからないけど管理者のことをきいています
なれるまでがんばれ!
・弟おもいの兄といってくれてありがとう。感動しました! 僕も兄思いの
弟で嬉しいです。
・北斗寮行ったら僕とはしばらく会えなくなるかもしれないけど私は常に
一生懸命で学問と体調管理の自立のため努力します、だから秀忠は入って
しばらくは僕のことより自分のことを考え 自立するようにがんがりな、
応援しているぞ!
矢川 隆より
注 原文のほぼそのままです。北斗寮に決まったが、まだ行っていないときに
書いたものです。父母は、わたしが代表で書きましたが、
「手書き」でないなら、「心がこもっていない」そうで、
文章は残っていません。
「北斗寮」を、わずか3月間ほどで退寮(当時の最短記録)になった。
「親に捨てられた1回目で、2回目は、「わたしの実家に預けた」
ことだそうです。そのとき、生きていた「祖父」は死に、
「祖母」も命が余命1年、葬儀にも出られない
その時は、「生活保護」 葬儀にも出られないはず
彼は、その事実を知り、どう思うのか




