恐るべきインフルエンザ
最初は、祖父、久敏であった。いつの間にかいなくなり、
12月下旬に、坂の上のヤオコーにみかんの箱を買いにいったところ、
転んで動けなくなったと近隣の人が教えてくれた。
これが地獄の始まりだった。
次に秀忠であった。1月初旬にインフルエンザA型にかかった。
祖母に連れられて、近くの稲城駅前クリニックにいった。
1月初旬のことだった。
治ったという間もなく、秀忠は、1月下旬に、
再びインフルエンザA型にかかった。
次は父の博の番で、昼に調子が悪くなり、
急遽、稲城市から中原区の家に戻ることになった。
近くのクリニック、「たかはし内科」で検査をしたところ、
インフルエンザA型とわかった。
最後は再び、久敏の番であった。2月初旬のことである。
いつもよりより元気がなく、大丈夫というが、熱を測ったら、
38度後半の高熱で、インフルエンザだった。
その日は早期全快した博もいて、救急車で稲城市立病院にいって、
そのまま入院になった。
わたしたちは楽観視していて、少し、入院したら退院でき、
また前の生活に戻れると思っていた。
しかし、入院中に環境が変わり、家族もいないせいか、
久敏は認知症が進み、足腰もより衰えた。
その間に介護認定が行われ、ありえない自立から
一気に要介護5になった。




