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こころを病んでいる人  作者: セブンイレブン


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さらば愛知県

 自立支援施設を愛知県で見つけるのをあきらめた。


次にするべきことは秀忠の居場所と病院探しだった。



 以前、検討していた那須の施設の人は、


秀忠が退寮処分になったことを知ると冷たい態度になり、


断れた。



 次に北斗寮の親玉というべき施設、青少年自立センターが、


東京の青梅線福生にあった。


 見学もしたが、自由だが学校のような雰囲気で、


妻は秀忠には合わないのではといった。


 


 そこは断れることはなく歓迎されたが、


お金がある妻の父の了承を得ることが条件だった。


 結局、そこもあきらめた。


 秀忠はパソコンで長編小説を書き続け、両親に毎日のように、


それを送っている。



妻の実家では私の実家で秀忠を預けるべきだという考えが支配的であった。


しかし、母の実家では高齢であることを理由に母の支援者は否定てきだった。


また、子を預けると将来の親の介護も主体的に引き受けないといけないのも、


私はひっかかった。


妻の実家では私の実家で秀忠を預けるべきだという考えが支配的であった。


けれど、母の実家では80歳を超えた高齢であることを理由に、


母の支援者が、反対した。


また、秀忠を預けると、将来の親の介護も主体的に引き受けざるをえない。


のもためらう理由だった。


 わたしはまず、何年ぶりかに実家にいき、父の眞と母の嘉子にあった。


ただし、父は認知症であれだけかわいがり、閉演になった遊園地、


多摩テックや映画にも2人の子供といき、矢川家の4人とも一緒に潮干狩りや


いちご狩りにいって、矢川家に行くたびにシャトレーゼのシュウウクリームや


コストコのロールパンをお土産にもってきてくれた。


そんな父だが、たぶん子供のこともわすれている。


それなのに当初の要支援2からなんと自立!に介護認定されている。


これはひどい。季節でさえわからないのに! 


若い時に唐津から上京し東京日産につとめ、仕事でもあり、生きがいの車を


大きな事故も起こし、危ないので次男雄二が主体になり車を処分。


 それ以来、足腰も弱り、それ以上に生きがいをなくし、


新聞を読んでいて元々無口だったが何も話さない。


 最後にあったのは脳梗塞の予兆が出たときで、


それ以前に帰りに迷子になったとも聞いて、


それから2年もたっていないのに変わりように、


わたしはショックを受けた。



 とにかく、わたしは母に必死に頼み込んだ。一回返事を保留したが、


二度目に合ったときにやるだけやってみると承諾してくれた。


これで居場所は確保した。


 次は病院だ。都内、烏山に発達障害で全国から患者がくる昭和医科大学烏山


病院がある。


 次の候補で都立の松沢病院も考えた。


秀忠の病名は、自閉症スペクトラムや確実だが、統合失調症、適応障害、


精神遅滞まである。病名を確定するには歴史ある都立の松沢病院がよいのでは


と思った。多分病気の付き合いは長期戦になる。


おまけに、わたしの実家は都内にあるので好都合だと思った。


 病院はわたしが最初に本格的に1年ほど通った慶応大学病院も少しは


頭をよぎったが、歴史ある松沢病院に決めた。


慶応大学病院を避けたのは稲城から車でいくには少し遠いし、


異動で先生が突然いなくなるのを経験したからだ。


もちろん、松沢病院でも同じことがいえるのだが・・・



 偶然とはあるもので、松沢病院の院長は妻がお世話になったクリニックで


齋藤正彦 (さいとうまさひこ)医師であった。


 妻はバセドー病から双極性障害になり今も通院が必要だ。


良美は父親の紹介で過去に齋藤医師の勤務するクリニック2か所に


通院していた。


 今は妻がみつけた溝の口の別のクリニックに7年位通院したが、


医師上村が良美が毎回秀忠の話をしているのに話を聞き流して、


たまに同席する当方の話も都合のよいところだけ切り取って、


障害者年金手帳の診断書を自立支援や障害者手帳を書くのと、


同じ基準で書こうとする。


 障害者年金はもし、一人で生活したときに、どれだけ日常生活ができるか、


というところが、診断書についで重視される。


 今、妻は心身ともに参っていて、本当なら精神科に入院させたかったが、


身体の手術が9月9日に迫っていて、その1月前検診の日も決まっていて、


入院はできなかった。今はなんとか電話ができるレベルでクリニックにいくの


も難しい。日常生活がもし一人になったら、どこまでできるかを判断するのは


難しい。しかし、今の妻は子供が本来は8月15日までしか入院できない、


措置入院している病院の看護師にいら立ちをぶつけることぐらいしかできな


い。十分に日常生活は2級レベルである。


わたしの担当医だったら、家族や母親のことまで聞いて、診断書にも書くが、


上村医師はそれを無視する。こんな無能な医師だと思わなかった。


いつも30分ぐらい診察まで待たせるが、


軽傷と思われる患者と何を話しているのか。そういえば患者は女性ばかりだ。


 医師には情報がこないんですよといい、


平気で3級さえも通らない診断書を書く。


 薬も睡眠薬がきかないといっているのに何も処方を変えようとしない。


こんな無策な医師とはわからなかった。


 今、わたしは認知機能に問題があるが、元気で食事も作っている。


この小説も書いている。これが私も交通事故等で入院したらどうなるのか。


夫の依存が強く、実家がいやで結婚した良美がどうなるのか。



 ちなみに長い蛇足が続くが、障害者年金の申請は初回が重要で、


特に今年は申請が通らない人が多くなったといわれていて大騒ぎである。


それは当然で生活費になる重要なお金である。障害者年金3級でも、


配慮なくして、就労ができない程度である。


2級は日常生活にも支障があるレベルである。


1級は寝たきりで一人で病院にいけないレベルである。


精神障害は一見、普段の見た目では、健常者と変わらないケースも多い。


 まともに障害者手帳の診断書も書いたこともないとしか思えない、


がんこ医師だった。こんなことも見抜けなかった。自分が恥ずかしい。


 ちなみに受付の女性2人は優秀だと思う。


 障害者年金の申請は初診日が重要で、


そのとき、厚生年金に入っていたか、


それとも国民年金かでもらえる金額が違う。


もちろん、未加入はだめで、わたしのように学生免除のときは、


それを考慮されるが、障害国民年金には3級がない。


おまけに昔のことだとクリニックがなくなっていたり、


カルテの保存期間は5年間と決められていて、


今みたいに電子カルテがない時代は、カルテがないと、


次の病院と順に記録を探らないといけない。これをクリアしても時効で病気に


なった期間のすべての期間に年金が出るわけではない。


わたしの場合は会社にばれることを恐れて申請を考えたことがなかった。


でも、よく考えれば正社員になれずにパートになり、


うつか双極性障害そううつともいわれたで精神を病んで寝込んだときに


十分その資格はあった。


 問題はだれがそれを申請するかで、わたし以外それをできる家族は


いなかった。



 今なら社会保険労務士に頼めば何とかなったと思う。


ないしは、ソーシャルワーカーがいる病院かクリニックに通院してたら、


ちがったかもしれない。










 

 







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