退寮へ後編
刈谷病院から帰宅途中に、木村さんから秀忠が寮での楽しかったであろう、
出来事を話してくれたが、落胆が大きく話を聞くだけであった。
中原区の自宅に父と母は戻ったがその時のことは覚えていない。
一応3か月に入院計画書にあるにもかかわらず、
早く出るなら構わないが、1日たりとも長く入院はさせない、
というスタンスだった。
それならこっちにも考えがあると盗聴器をおいて電話をしたが、
音声が不明瞭で尻尾はつかめなかった。
次に妻が父(政、財に知人がいる実力者)に頼んで手紙を書いてもらい、
入院期間を延ばしてもらうよう交渉したが予想通りダメであった。
刈谷病院に面会にいく前に電話を入れた。
期待はゼロだったが、20歳前の障害認定もせず、
ただ牢屋のような場所に1月入れておくだけで、
退院に向けての措置を全く何もしないということは、十分違法だと思う
が・・・
次に面会したときは北斗寮の鈴木所長が見舞いにきていた。
看護師に強くいって見舞いを実現させた。
ただ、両親の面会後の話で詳しい話は知らない。
さらに翌週には木村さんも面会にきた。
さすがに退寮、即無関係ですは、できなかったようだ。
北斗寮との関係は退寮後もアドバイザーとして、
今日も父母はつながっている。
秀忠は本音で話す木村さんには一目置いているようだ。
私と妻は愛知県で自立支援施設を探すことにした。
その間、秀忠と妻は岡崎のビジネスホテルで暮らし、
パートが休みの日に父が昼から夜中まで岡崎で暮らす生活を約1月続けた
子供は昼は近くのほっかほっか弁当を食べ、体重が90kgだったのが、
測っていないがリバンドしてきた。
貯金はみるみる減り妻の預金も私の預金も減ってきた。
けれど、愛知県で居場所をみつける意思は固かった。
最初はグループホームを探したが空きがなかった。
次に自立支援施設を愛知でさがした。
その施設を見学し、担当者と責任者と話をした。
男性の担当者はよかった。しかし、責任者は
「若い人は長く続かないよ。」「それでもいいの」
公的機関ゆえ、うちらがごり押ししたら入所はできそうだった。
事実、責任者そうすると思っていた。
しかし、北斗寮の鈴木所長とえらくちがう。
公務員臭さが強く、ここでは退寮するのは時間の問題だ。
北斗寮でさえ、スピード記録らしいが約三か月しかもたなかった。
この責任者には預けられないと思った。




