寮での暮らし前編
六つ目のクリニックは西尾心のクリニックだった。
ここは北斗寮の寮生が通っているクリニックである。
そのときのはっきりしている病名は自閉症スペクトラムだけなので、
そう父は寮に伝えておいた。
けれど、当然、通院したときからの統合失調症の薬も入っているので、
医師や付き添えの人もそれは自明である。
寮では当番制で役割がまわってにくる。買い物をする係、
食事を作る係など。
当たり前だが洗濯も自分でしないといけない。
集団生活は病院外では初めてだった。
中には面倒見のよい人もいて助けてもらった。
ぼくは、水はふつう飲めない。
そこでアクエリアスを自転車でいった業務スーパーに買いにいく。
自転車は体重が100kgを超えていたので、
ガタイの良い自転車を購入した。
お金は寮の担当スタッフが管理し、自分の口座から出金した。
残高は300万円ほどあり、多いといわれた。
ちなみに薬も寮の担当スタッフが管理してくれた。
そのスタッフは河合といいまじめそうで父は気にいったようだが、
ぼくはそのスタッフが陰湿なところがあり嫌いだった。
寮ではいろいろな行事があった。
楽しいところでは名古屋にいって、
ネコカフェにいく。ボルダリングに挑戦。近くの海水浴にいく。
地域のおまつりに出店する。ちなみで寮名物は焼き鳥。
おなじような自立支援施設間でソフトボール大会開催。
大きなところではスタッフが車をだして、飛騨高山に観光旅行。
こう書くといいところばかりだと思うが、その分、つらいこともあった。
施設によって内容は異なるが、
ここではハウスクリーニングがそれにあたる。
愛知の高温の中、エアコンもない、水分もろくにない。
そうしたなか、ゴキブリがいる中、
廃屋と化したビルを何時間もクリーニングする。
とてもきつかった。しかし、こういう収入源がないと寮費だけでは
運営が難しいし、自立の訓練にならないらしい。
木村さんに褒められたこともある。
屋台に出店するとき抜け落ちていることを提案したとき。
ぼくはマヨラーなので、食事に多量のマヨネーズをいれたとき、
後の人のことを考えろといわれた。