さらば、多摩ニュータウン4 稲城の最後の秀忠の様子 自ら109番する。
そういえば、「秀忠」が、
退院したばかりとき、わたしの母、「嘉子」のために特別な食事をつくり、
神経を使い果たし、途中で帰ったことは、記憶に生々しく残っている。
あのときは、わたしが退院して、すぐ「稲城」に直行して、
わたしも大変だった。朝、「便秘で、トイレにいきたい」のに、
母がトイレを占拠した。そこで、中野島に帰って、ついでに「診療所」に、
行きたいと思った。
一時間ぐらい家のトイレにこもった。「秀忠」から、電話があって、
「黙って、帰るな。ほうれん草を知っている、基本でしょう。すぐに、
きて」仕方がないので、稲城に戻った。
便秘は、わたしの「退院日」まで、お腹の「漢方薬」の処方が
されていなかったことと、「秀忠」が、作る食事に、「野菜」が、
ほとんど入っていないことが、原因かもしれない。
「秀忠」は、稲城の家にいるとき、終始「ぴりぴり」していて、
母親によい食事を調べていて、自分の余暇は、なかった。
「秀忠」も、退院したばかりなのだ。
母親から、「博、困った顔しているよ」など、何回も言われたが、
事実なので、黙っていた。
翌日に、「介護認定」と、シヨートステイ「シンシア多摩」の入所を
控えた前日の夜に、夕食を作った「秀忠」が、パンクした。
「もう、無理、帰る」と、わたしにだけ、言って、帰っていった。
一時間ほどして、「良子」の携帯電話がなった。
「お化けがでて怖いから、家にすぐもどってきて」
秀忠は、医師によって診察結果は異なるが「統合失調症」も
「自閉症スペクトラム」と併発している。
なのに、「退院後」満足に薬をのんでいない。
「良子」は、すでに寝ている、「嘉子」には、声をかけずに、戻った。
一時間ほど、経った。「良子」なら、電話をかけるとはずだが、
かかってこないので、「大丈夫かな」と思い、電話をかけたいと思ったが、
あいにく、携帯電話に不慣れで、固定電話を使うと、電話がある場所と
母親が寝ている場所が近いため、起こさないように電話をかけずにいた。
しばらくして、わたしの石野真子の着うたがなった。
珍しく、1回でとれると、「わたしが、帰ってきたら、
119番をした後で、救急車や消防車、パトカーがきて、大変だった。
今、落ち着いて、「秀忠」も寝ている。明日は、これないから、よろしくね」
その夜、わたしは、寝られずに「徹夜」になった。
朝の9時半ごろ、市の職員から、10時に「認定調査」を行う
との電話があり、調査が行われた。
「母親の認知症」は、受け答えもしっかりして、
わたしの思ってる母親と違っていた。
認定調査が、終わって、世話になった「中村ケアマネージヤー」と
「認定調査員」が、帰って、10分も経たないころに「雄二郎」が、きた。
「真に合わなかったか。でも、兄貴ひとりしか立ち会えないのは、
かえってよかったかも、しれない」
その後、「シンシアの職員が二人」ほどきて、車いすで、母親は、
「シンシア多摩」に向かったようだ.。わたしは、疲れて家にいた。
当日は、エレベーター点検で、すぐに帰ることができないで、
5階から、弱っている足で降りたいといけないトラブルもあったが、
「雄二郎」の助けもあり、家に持ち帰る荷物も、ある目につくものは
持ち帰れて「家」まで、送ってもらった。
わたしだけでは、荷物を持ち帰ることは、できなかったであろう。




