第一話『滑走路に並ぶは…』
果てしなく続く、灰色の大地。
瓶に入ったシュナップスは、雲の隙間から降り注ぐ、一筋の陽に照らされ、煌めきながら泡立っている。
辺りは極寒に包まれ、手元の瓶すらも凍り付いてしまいそうだ。
…既に気温は氷点下に達している。之で11月と言うのだから笑えない。
「少尉殿、中に戻られた方が宜しいのでは。」
背後から、そう声がした。
「…今のうちに寒さに慣れていた方が…身の為ですよ。」
ロシアの冬は寒い。
どれ程かは分からないが、寒い、と聞いている。
実際、急降下爆撃機の発動機も掛かりずらくなってきているし、ロシアの風は、コート越しでも寒さが伝わってくる。
「……どうやら発動機が点いたらしいですね、ほら。」
彼、"エーミール・シュネー・フォン=ポール"空軍大尉の指差す先。逆ガル翼が目立つ4つの機体が、煙を吹きながら並んでいた。
ユンカース航空機・発動機製作株式会社製、Ju-87 急降下爆撃機。
ダイブブレーキの奏でる"賛美歌"と共に、天より舞い降りて…敵戦車小隊をその爆弾でもって叩きのめす。
シュネー少尉は、ドイツ国国防軍空軍の急降下爆撃機パイロット、そして飛行隊本部小隊の隊長であり、之より出撃を行う所だったのだ。
「出撃許可はもう出ていますし、行きますか。フライターク君。」
「Jawohl、大尉殿。」
飛行小隊は東へ。黒い大海へ。
「…Wir sind die schwarzen, Husaren der Luft, Das Stuka, Stuka, Stu~ka.」
小説『Das Stuka!』
第1章『1941年、黒海。』
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滑走路に並ぶ4機のシュトゥーカ。
シュネー大尉の乗機の傍に、軍用オーバーコートを羽織った1人の女性が居た。
トゥーフロックに身を包み、ボーイッシュな髪型の彼女は、男装の麗人にも見える。
「大尉さん…発動機はバッチシ動きました。之からは発動機の始動に熱湯が必要らしいですがね。…貴方も熱湯ぶっかければ、体が温まりまると思いますよ。」
「いや、遠慮する。Danke.」
大尉相手に軽口を叩いているが、その事を咎める者は誰も居なかった。
そればかりか…周囲は、暖かい目で二人を眺めている。
彼女の名は、エリカ。
空軍※女性補助員であり、コートの丈も男性型コートより少し短い。
(※女子補助員…国防軍に勤務した女性隊員の事。)
「…大尉さんの帽子、いつ見ても可愛いですね。」
「この制帽が?」
…シュネーの被る制帽は、両側が極端に凹んだ不格好な形をしていた。
制帽前方の白い針金を抜き、形を崩しているのだ。
この形は親衛隊・国防軍・突撃隊問わず、当時のドイツ軍で流行ったファッション。
つまり"流行り"である。
彼は流行りに直ぐ乗っかるタイプで、NSDAPがドイツを席巻した時も、今まで支持していたDNVPから直ぐに鞍替えした。
彼が乗らない流行りと言えば、パンツァーチョコレーテの錠剤、即ち覚醒剤ぐらいであろう。
「ええ、可愛いですよ。」
「…可愛い…。」
―――この時、シュネーの顔には、彼の"笑み"があった。
故に、誰も彼女を咎めないのだ。
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煌めく内海に、4つの影が映る。
高度約3kmを飛行する爆撃小隊は、黒海上空で獲物を発見した。
狙うは、ソ連海軍の高速魚雷艇である。
海面で反射する※ジュラルミンは、荒れ狂う白波を穿つが如く進んでいた。
(※ジュラルミン…アルミニウムの合金。この場合はソ連の高速魚雷艇G-5を表す。)
「洋上、12時の方角に小型艦艇発見、我に続け。Ende.」
…小隊は緩やかな降下を開始した。
垂直尾翼に鍵十字を輝かせた大鷲は、空気の上を滑る様に加速する。
添えられた左手により、速度計の針が進むと共にスロットルが絞られ、
操縦桿を握る右手は、本能的に※トルクを抑えながら動かされる。
(※トルク効果…プロペラの回転と共に、航空機が僅かに逆回転する現象。)
それは本能的な狩りの動きであり、まるで己の手足を動かすかの様であった。
…しかしながら。
何故、彼は自らの手足に、鈍足なシュトゥーカを選んだか。
「シュトゥーカには…他機とは一線を画す魅力を有している。
それが一体何たるかを知覚するには、この世に生を受けたその時から、
遺伝子的に植え付けられた本能が存在せねばならない。
そして私には、それが存在していた。」
…それが彼の考え、もとい思想である。
シュネーの右胸で金に煌めく※スペイン十字勲章は、正にそれを証明していた。
(※スペイン十字勲章…スペイン内戦に参加したドイツ軍兵士に送られた勲章。)
コンドルの様に舞い降り、地に這いつくばる戦車を穿つ。鳴り響くサイレンの中、彼は風防の内側で、己の脳に運命的な電撃を覚えたのである。
…―――魚雷艇に向けて20mm機関砲が放たれ、4機のシュトゥーカが颯爽と過ぎ去った後。
洋上に残ったのは、腐りかけのジュラルミンと燃え上がる重油のみであった。