計画的に無計画
リエルが運命を素敵だと言えば、夜闇の中で浮かぶアメジストの瞳がついと楽し気に歪んだ。
「僕は運命を信じてる。疑う理由が今のところないからね。でも、先に起こることがわかってしまうこの力の在り方は、あまり歓迎していない」
肩を竦める動作は芝居がかって見えた。
リエルはこてりと首を傾げて返す。
「転ばぬ先の杖と言いましょうか、未来がわかれば備えることができますでしょう? とっても素敵なことに思えますけれど」
この先に起こることを予知できるならば、良い結果と悪い結果を選べる。誰だって、自分の進む道の先に崖があると知っていればその歩みを躊躇うだろう。そして考える。迂回してもっと良い道を探した方がいいか、どうにかして崖の向こうに渡る準備をするべきか。崖があることが事前にわかれば、落ちないように用心できるわけだ。
未来を知れば、その分だけ余裕が生まれる。紛うことなき素晴らしい能力だと一般論で思うのだけれど、クロムはいやいやと首を振った。
「だって、そんなのつまらないじゃないか」
リエルよりもずっと年上のくせに、いつまでたっても子供のような仕草が抜けない人だ。見た目年齢が不祥なせいでそんな様子があまり見苦しくないのも逆にいけない。
「つまらない、ですか?」
「そう。未来を知ったら、人はそれを指針に行動してしまうだろう? 自分にとって良い結果ならそうなるように、悪い結果ならそうならないように。それは因果関係を歪めることに成り兼ねない。鶏が先か? 卵が先か? 選択の先に結果があるのに、結果によって選択されるだなんて不可思議だ。そう思わない?」
夜に響くような甘いテノール。その声で紡がれる言葉は、随分と耳に馴染む。
懐かしくて安心する。
いつかの『記憶』の中でも、彼は同じようなことを言っていた。
溢れ出した魔力で無意識に先読みができるのだから、意図的にその力を使うこともできるのではないかと聞いたとき。彼はそれを肯定して、しかし否定した。できるけれどやらない、というのが正解だ。理由はやっぱり、「つまらない」から。
『記憶』の中で既に持っている答えをこうしてわざわざ聞いたのは、違う受け答えをしたかったからではない。
勘違いしてはいけない、とリエルは思うのだ。
例えばどれだけ聞き覚えがある言葉を紡がれても、その心のうちにあるものを真に理解しているのは、理解しようとしていたのは、今ここにいるリエルではない。
上手に線を引かなければ『知っている』『聞いたことがある』と、勝手に理解した気になろうとする自分がいた。それはなんて怠慢で傲慢なことか。
ときに『記憶』に目を瞑り、初めて聞いたこととして受け入れる必要があることを、リエルはちゃんと知っている。そういう自分でありたいと思う。
先入観に囚われて、目の前の事象を受け入れられないのは悲しいことだから。
(────ああ、でも。それを教えてくれたのは、『記憶』の中のこの人かもしれない)
『いいかい、リエル。僕は未来をみれるけれど、それが絶対だとは思わないようにしているんだ。何故かって? 未来を知ることで、未来を変えることができるからさ。嫌な未来なら変えたいと思うのは当然のことだろう? それなら、未来をみたことで未来を変えようとすること、それも含めて運命なんだよ。だからね、いつだって今目の前にあるものが真実で、変えようのない結果なんだ』
まあ、僕にかかれば望む未来を導くことなんて造作もないけどね。
だから先読みをすることは『つまらない』のだと、彼は笑った。
彼を尊敬し、頷いたのは『リエル』であってリエルじゃない。きっとどんなリエルであっても、同じように彼を尊敬し、彼の言葉に頷いただろうと思うのに。そうに違いないのに、時折こうして不安になる。
リエルのこの考え方は、リエルが自ら生み出したものなのか。『記憶』の中の感情や情報に引き摺られてはいないのか。
鶏が先か? 卵が先か?
この世界のリエルは、この問い掛けが少し怖い。
「ああ、でも。因果関係がどうのと言っておきながら笑っちゃうけれど、今回は僕にとっても珍しい行動だったと自負しているよ」
思考の海に呑まれそうなところで、ハッと我に返った。
「……珍しい行動ですか」
「そう。いつもなら放っておくような先読みだった。だって、一人の女の子に僕が出会うか出会わないかって、ただそれだけの未来だよ? そんなのどっちでもいいって思うじゃないか」
「確かにそうですね」
この人ならそうだろう。リエルが知るクロム=ライムという人は、人にも物にもあまり頓着しない。
「でもね。何故だか僕にもわからないんだけれど、今日このときを逃したくなかったんだ。命に関わるようなものでもないのにね、望む未来を掴みたい、なんて。柄にもなく動いてしまった。君は知らないだろうけど、こんなことは実に僕らしくない。いつから僕はつまらない人間になったんだろうって呆れちゃうくらいさ」
嘆きに溢れたセリフに反し、その口調は楽し気だった。その満足そうな様子を見ていると、何だか胸がざわついた。
だって、そんなの。
気のせいじゃなければ、クロムが言いたいことは、まるで。
「つまり、僕らしくないことをしてでも、今日は君に会いたいと思ったんだ」
(……口説かれているみたいだわ)
自分を曲げてでもリエルに会いたかったと言っているように聞こえる。
この人のことだから、きっと他意はないのだろう。この世界ではまるっきりの初対面のはずなのにこれほど執着されるのは、彼にとって何かしらの意味があるのだ。偉大な魔法使いであるクロムが必要だと思うのなら、無駄なことなど一切ない。
そう冷静に頭を回しながらも、頬が熱くなるのは止められなかった。
耳に大音量で流れ始めた自身の鼓動を宥めすかし、リエルは微笑む。
「思う未来にはなりましたか? それともこれからなるのでしょうか? 私と貴方がここで出会って、それから先のお話。もしよろしければ、少しだけお教えいただけませんか?」
白々しくはないはずだ。
リエルにしてみても、純粋な興味があった。
しかし。
「さあ、わからない」
「え?」
クロムはあっさりと、あっけらかんとそう言った。
「まだこの先は決まっていない。というか、僕は知らない。君ったら、シナリオにないことばかりするんだもの」
「私?」
「そう。ドレスが水色じゃなくなる未来がみえたときなんか、肝が冷えたね。どういう原理か知らないけれど、黄色のドレスの君はこのバルコニーに出てきてくれない。桃色のときは兄君の傍にぴたりとくっついて離れないくらいさ。こんなに枝分かれした運命をみるのなんて初めてだよ」
「そう、なんですか?」
うんうん頷くクロムは、さも困りましたという風に人差し指をくるりと回した。
「普通なら、枝分かれしている未来をみたらこれ幸いと思うのになあ。流れに身を任せて、どんな結果に辿り着くか見物したに違いない。でも、今回はそうしなかった。どうしたら今日君に会えるのかと頭を悩ませて、水色のドレスという〝鍵〟を見つけた。後はそう、君の知っての通り」
リエルに指定のドレスを着させるために、天候を変えた。
ああ、でも。リエルが知りたいのは、今回に限って「そうしなかった」理由である。
「そんな顔しないで、お嬢さん。大丈夫。僕は鈍感じゃないから、君が困惑しているのはわかってる。どうしてそこまでしてまだ見ぬ君に会いたかったのか、その動機が知りたいんでしょう?」
鈍感じゃないなんてよく言う、と思ったのは内緒にして、リエルはこくりと頷いた。
「素直でよろしい。でも困ったな、動機なんてさっき言ったことが全部なんだ。そうした方が面白いと思ったから、なんて言葉で納得してもらえないかな」
納得しないのが普通だろう。
客観的に見て、クロムは怪しい。とても怪しい人だと思う。
突然話しかけてきて、自己紹介もそこそこに、今日会うことは運命だなんて歯の浮くような口説き文句を並べたてる男だ。クロムは自分の鼻筋の通った綺麗な顔立ちに感謝した方がいい。
まあ、それはさておき。未来がみえるという話も、本来ならすぐに信じられるようなものじゃない。リエルが相手じゃなければ、自分を口説くために考えられた荒唐無稽な三文芝居だと受け取られても仕方ないだろう。不思議と胡散臭くならないのは彼がもつ往来のミステリアスな雰囲気のおかげか。それとも本当のことを言っているからこそ説得力のようなものが滲み出ていたりするのか。
とにかくとして、クロムは怪しい。客観的に見て、怪しい人だ。
しかしそれは全部、相手がリエルじゃなければの話だった。
「──いいえ。私は、貴方を信じます。信じたいと思います。クロム=ライム様」
今目の前にあるものを素直に受け入れよう。
今、自分が感じている気持ちを素直に受け入れよう。
「クロム様は、本当に私に会いに来られたのですね」
「初めからそう言っているでしょう?」
何を今さらと言いたげなきょとんとした表情を視界に収めて、リエルはやっと本当の意味でその事実を理解した気がした。
彼は、この偉大な魔法使い様は、言葉通り「会う」ためだけにこの場に来たのだろう。
わざわざ難解な魔法を使って、朝から天候を変えてみせたりして、今この時にリエルに会うというそのためだけに。
会って何をしたいか、何をするかはみえていないようだった。こんなに計画的に無計画な人、そうそういないだろう。苦笑する自分の他に、それでこそクロム=ライムだと手を叩いて喜んでしまう自分もいた。
「君に会いに来た。それが運命だから。後のことは知らないよ。それこそ、流れのままにどうにでもなるさ」
「ライム様」
「うん?」
「会いに来てくださって、ありがとう御座います」
いつか夢にみた大好きな師匠に。
そして、これから新しく関係を築く素敵な夜闇の魔法使い様に。
言葉にできない気持ちを乗せて、リエルは笑った。