空挺降下
ニッツが仕掛ける直前、ゼークトは司令所を後方へ下げていた。リュブリャナには二個連隊の陽動部隊のみを残す。
司令所の壁には大きな地図が張ってある。
地図の前には二人の水魔法使いが座っていた。インクを操り、敵味方それぞれの部隊の規模、向きを書き表す。
新しい情報が入ると、水魔法使いは随時、インクを操って最新の情報を描き出していた。
水魔法使いとは別に5人の通信手もいる。
通信手は風魔法の使い手だ。戦闘用の魔法は使えないが、遠距離の相手と話す魔法を使える。これによって前線の指揮官と情報をやりとりしている。
敵味方の部隊の周辺には最低限ながら斥候が撒かれており、すべての情報が司令部へと送られていた。
入った情報は即座に地図へ反映される。
ゼークトはここで、神の視点から戦場のすべてを俯瞰できた。
敵が動き始めると、リュブリャナにいる二千は小規模な戦闘を行ったのち、後退。敵はそれを追いかけてくる。
事前にゼークトが命じていた通りだ。
連隊長たちには要塞付近まで敵を誘導するよう命じてあった。
要塞の西2キロの位置に、南北に流れる川がある。しかし今は上流のダムで水はとめられ、枯れている。
連隊は水のない川を渡り、敵の部隊も対岸へ渡りつつあった。
ゼークトは後方に控えていた副司令を振り返る。
「俺は出る。あとは任せた」
「はっ」
副司令の敬礼に見送られ、ゼークトは司令所前の広場に出る。
広場でゼークトを出迎えたのは——天を駆ける最上位の魔物、ドラゴンの群れ。
巨大な体に、刃を通さない硬質な鱗。翼の生えた爬虫類。
この神獣は国家にとっては威厳の象徴であり、合理主義者のゼークトにとっては、最精鋭部隊、空挺大隊の一部だった。
25体のドラゴン、それを使い魔とする、25人のドラゴン使い。
竜の背にはそれぞれ20人の兵が乗っている。
ゼークトもまた、ドラゴンの背に飛び乗った。
直後、爆音。
川の水を堰き止めていたダムの壁が決壊した音。
続いて、怒涛の勢いで流れ出る水流の音が響いてくる。
「敵部隊、分断されました。敵司令官は中洲に取り残されています」
そばにいた通信手が言うと、ゼークトはうなずく。
「出せ」
命じると、御者はドラゴンを飛び立たせた。他の24体もそれに続く。
上空からは戦場のすべてが一望できた。
要塞側の岸に渡ったのは三分の一ほど。
川の中洲には千あまりの敵が取り残され、ひときわ巨大な白い蟻に男が乗っているのが見えた。
残りの敵は対岸で右往左往している。
「降下地点10秒前」
御者が言うと、ゼークトは眼下の敵に目を向けた。
「……5、4、3、2、1……降下!」
降下の一言で、兵たちはドラゴンから飛び降りた。
×××
ニッツは混乱していた。
敵を追っていると、要塞が見えた。敵はそこへ逃げ込むらしい。
追撃を命じ、自身は手頃な丘があったので、そこに陣をしいて指揮を取ろうとした。
すると突然、大量の水が流れてきたのだ。
ヒュージアントの大群は川で分断され、ニッツは中洲となった丘の上に取り残された。
要塞からは一万ほどの敵兵が出てくる。横隊に並び、川に退路を断たれたヒュージアントに向けて突撃してくる。
(ちっ……! 罠か! ……一度、地下に潜って合流する。穴を掘らせて!)
命じると、蟻たちは地面に顎を突き立てる。
——と、大きな影が中洲を暗くした。
見上げると、ドラゴンが飛んでいる。背中には兵士。驚くことに兵たちはドラゴンの背中から飛び降りた。
呆気に取られていると、兵たちは風魔法を使って減速。ゆっくりと地上に降りてくる。
(作業中断! 先に降りてくる敵を殺せ!)
着地をする瞬間は無防備になるはずだ。ヒュージアントに臨戦体制を整えさせる。
だが、敵は対策を打っていた。
ドラゴンが口から炎を吐く。蟻が壁となってニッツと女王を守るが、その隙に敵は着地を終えていた。
敵は手近な蟻を切り伏せる。
戦いながら横隊に並び替えた。
中洲の端から端までかかる横隊となり、ニッツのいる方へ前進してくる。
敵兵たちは蟻の顎よりも長い槍を手にして、目の前の敵を確実に殺していく。中央ではすらりと背の高い、壮年の男が指揮をとっていた。
(不利だな……逃げるしかない。急いで穴を掘らせて)
周りの蟻たちは穴を掘り始める。そうするうちに敵は前進を続ける。もうニッツから20メートルも離れていない。
敵の投げた槍がニッツの顔をかすめた。
「っ……!!」
声にならない悲鳴をあげ、ニッツは尻餅をつく。四つん這いになり、蟻の掘った穴に体を押し込んだ。
穴が深くなるにつれ、外の喧騒が遠ざかっていく。
穴の入り口に兵たちが集まっているのが見えた。耳をすませば話し声まで聞こえる。
「追いますか?」
男の声。
「いや、地下は敵の独壇場だ。地上の敵の殲滅を優先する」
「了解、ゼークト閣下」
そのやりとりを最後に、敵兵は穴から遠ざかっていく。
(ゼークト……あの指揮官か)
ニッツはその名前を反芻し、記憶に刻み込んだ。