斥候
バエル陥落から二ヶ月——。
ニッツは女王に命じ、ひたすらに兵力を増やしていた。
また、自身はラフエル王国の地図を睨み、国の兵力配備を調べ、進行計画を練り上げる。
一方、王国は戦争状態への突入を宣言。
王は軍団指揮官を近衛軍団長へ移譲。近衛軍団長ルーシア・フォン・ゼークトは国軍長官となり、予備役を収集。
国内の防備を固めつつ、自らは近衛軍団を率いてバエル近くの街に前線司令所を開設。継続的に斥候を派遣して敵状を探っていた。
×××
——満月の照らす夜。
バエル近郊の森に、10人の兵士が潜んでいた。
その中のひとりが地面に片膝をつき、目を細め、聴覚を研ぎ澄ませている。
彼の使い魔は風の精霊。その力を使い、空気の流れを読んで索敵を行っていた。
部隊の指揮官は30代後半の、精悍な顔つきの兵、ロメルだ。
風魔法使いの兵士が手をあげる。
「敵です。3体、一体はまっすぐ向かってきます」
「横隊」
ロメルが命じると、兵たちは敵を正面にして一直線の横隊になる。
すぐに敵は現れた。ヒュージアント。夜の闇に溶け込む黒い魔物。
しかし風精霊を使う者には敵の位置ははっきりとわかる。
彼らは槍を構え、敵の頭を突き刺した。
戦闘に気づいた二体のヒュージアントがやってくるが、それも串刺しにされる。
戦闘が終わると、ロメルは星を見て時刻を確認する。
そろそろ潮時だろう。
「帰隊する」
「「「了解」」」
兵たちは二列の縦隊に並び替える。警戒を怠ることなく歩き、バエルから5キロほど離れた洞窟にたどり着いた。
中には10頭の馬。彼らは馬に乗ると、司令所の置かれた街・リュブリャナに向けて鞭を打った。
×××
ちょうど朝日が登るころ、ロメルたちはリュブリャナへと帰り着く。
部下たちに休息を命じ、ロメルは兜を脱いで司令所へと向かった。
街を取り囲む城壁の外に、軍団の宿営地がある。
宿営地は500メートル四方の地域にテントが並ぶだけの空間。テントは碁盤の目状に整然と並び、隙間が綺麗に道となる。
道端には寝ぼけ眼の兵たちが朝餉の支度をしていた。土で釜戸を作り、配給された小麦と干し肉をいっしょくたに鍋に入れてスープを作っている。
塩っけのある香りがロメルの鼻をくすぐる。
偵察は、戦闘以上に体力を消耗する。物音を立てないよう、夜闇に紛れ、一晩中歩き周るのだ。帰隊した時にはもう空腹で腹が鳴り止まない。
だが今は報告が先。ロメルは無理やり視線を食べ物から逸らし、まっすぐに司令所へ向かう。
宿営地は南北に二分され、南半分が一兵卒に割り当てられる。
北半分はさらに三分され、東から、技能兵、士官、衛生兵の地域。
士官地域の中央のひときわ大きな天幕が司令所だ。
ロメルが入ると、中は静まり返っていた。ほとんどがまだ寝ているのだろう。いるのは数人の連絡将校と、近衛軍団長のみ。
ロメルが入ってきたのに気づくや、軍団長は視線をあげる。
「ただいま斥候から戻りました」
言い、軍団長の前に立つ。
軍団長、ルーシア・フォン・ゼークトはまだ30代の、この重責にしては若い将だ。
身長は高く、がっしりとしているがスマートな印象。しかし表情は厳つく、鋭い目をしている。
「ご苦労。どうだった?」
「敵は城外にはほとんどいません。たまに見かけるのもどうやら食糧を探しているだけのようで」
ゼークトは聞きながら、手元の地図に目を落とす。
地図には斥候によって得た詳細な地形や、敵状について書き込まれている。
城外から確認できる限りでも、敵の数は一万を超えている。おそらくは二万、多くても三万には届くまい。
敵はヒュージアントという、国外の森に住む魔物だ。本来なら脅威のある相手ではないが、今はなぜか大量に発生し、王国へ侵攻してきている。
その原因は、——おそらくは敵将の少年。
これを聞いた時はゼークトも驚いたが、一万を超える魔物たちは、たったひとりの少年に操ららているらしい。
使い魔の契約を交わせるのはひとりにつき一体だけ。
だが少年はどうやったのか大量の魔物を従えている。特殊な契約か、あるいは使い魔に他の魔物を隷属化する能力でもあるのか。
ともかく、敵将さえ打てばこの侵攻は終わる可能性が高い。
近衛軍団は一万。予備役に収集はかけているものの、予備役は一般の生産者でもあるため、戦いで死なせることは極力避けろ、と王から命じられている。
ゼークトとしては優勢な兵力で押し潰したいのだが、すぐに使えるのは手元の近衛のみ。ヒュージアントは人間と違い、短期間で数が増える。時間が経てばかえって不利になるだけ。
半数の兵力で戦うなど避けるべきだが、敵将のみを討てばいいのならまだやりようはある。
ゼークトは再び地図を見て考え、近衛のみで敵を倒すことを決めた。
×××
数日後、ついにニッツは動き始める。
二万を越えるヒュージアントは黒い大河となってバエルから溢れ出した。
ニッツが進軍を命じた先はリュブリャナの街。
バエルの中でヒュージアントの数を増やし、戦争準備を整えている間、敵の斥候がきていることには気づいていた。
その斥候がリュブリャナから出入りしていることも。
ニッツの方針は第一に敵軍を壊滅させること。王国全体を占領するには兵力不足だが、敵の兵力をつぶせば、あとは煮るなり焼くなり好きにできる。
半日の行軍で街は見えてくる。
意外なことに敵は街の外に陣をしいていた。てっきり城壁の中にこもって攻撃してくると思っていたのだが。
予想ははずれたが、やることは同じ。
(あいつら殺して)
ニッツの念に応じ、ヒュージアントは敵に襲い掛かる。
敵は二千人ほど。勝敗は見えている。
敵は馬に乗って突撃してくる。その威力は凄まじく、前列の蟻たちは吹き飛ばされる。
しかし突撃の威力は最初の一撃だけ。すぐに数の有利が出てくる。
敵は勝てないと見るや、踵を返して逃げ始めた。馬に乗っているだけあって逃げ足は早い。
(追って。全速力)
速度をあげると、敵は振り向いて応戦する。しかしやはり勝てないと見て、またすぐに逃げ出す。
ニッツはここでできる限り敵の兵力を削いでおきたい。逃げる敵に向かい、追撃を命じ続けた。